8年前からスタートした、都内のある企業との契約がこの6月で満了となりました。
業界的には全く未経験の会社だったのですが、人事面での助言というのが主要任務で、それならば自分の経験で何とかなるかもと考えてお受けすることにしたのです。
基本月一回の会議参加と、必要に応じての商談・業務相談への立会いだったのですが、それでも8年間となると100回以上は通ったことになり、それなりに感慨深いです。
人事・教育面での助言を求められる立場でしたが、この会社はとてもしっかりした会社で、法令遵守、制度改革、労務環境改善、教育体制整備、等々私が口を挟むことも無いほど良くできていました。
ですから、意見・アドバイスと言われても「宜しいんじゃないでしょうか」で終わるケースが殆どで、最初は何だか消化不良でウズウズして来たものでした。
定年まで勤務した会社では、「手を動かせ」ということをしきりに言われていて、見るだけ、聞くだけ、指示を出すだけ、人任せ、ということが非難されるような風潮でした。それを今風にカッコ良く「ハンズオンで」などと言っていましたが、要はそういうことで、偉くなったらお茶飲みながら新聞でも読んでゆっくりと、などというのは望むべくもありませんでした。まあ今時そんな会社もないでしょうが、自部署の現状について上司から聞かれて、「部下に確認します。」という答えは許されない感じでしたので、割と緊張感がありましたね。
という働き方をしてきましたので、この会社での立ち位置は正直物足りない思いの方が強かったのです。ただ契約期間が長くなるにつれて、それなりの処し方も見つかるようになってきて、それは善悪・正誤の判断ではなく(これについては上記の通り殆ど口を出す余地はなかったですから)、どちらの策も正しいのだが会社として二者択一を求められているような場合、いつ着手すべきかタイミングを計っている場合、などでは必ず自分なりの意見を言う、ということです。
ただ、実務者が一生懸命積み上げてきた施策案を、実行直前でちゃぶ台返しされた時のむなしさも良く分かりますから、これは既に引き返せないなという時はおとなしく従うようにもしていました。そんな時、月一回ペースでの会議・ミーティング参加では、口を出すタイミングを逃してしまうとことも実感しましたし、所詮実行者・決定権者ではないことの歯がゆさは最後まで残りましたね。
そうして迎えた最後の会議では、私がこの日で最終になることを社長が紹介してくれて、大きな花束までもらってしまいました。百合の強い香りがあたりに漂い、帰りの電車ではかなり気恥ずかしかったですが、4年前の65歳定年の時を思い出しました。
ただその時はもっと遠方だったことと、かなり酔っていたので(そもそも酒は殆ど呑めませんが、断る訳にもいかない状況でしたので、、)、タクシーで帰ったのでした。
この日も夜には有志で会食を催してもらいましたが、皆大人の紳士ばかりでしたから、無理に呑む必要もなく、充分電車で帰れたのです。
これで一つ仕事が減ったわけですが、月1回だけの拘束でしたから、それで暇になるということもあまりなく、収入が減ることだけが生活への大きな影響ですので、今後は更に慎み深い生活が必要です。