徳島市の南、阿南市にある道の駅でこの日の早朝目覚めてみると、夜中も時折強く降っていた雨はあがっていたものの風は依然として強く、フェリーが運航されるのか心配でしたので早めに出発することにしました。フェリーが欠航となれば鳴門まで戻って淡路島を経由して行くしかないのですが、強風の場合は鳴門大橋・明石海峡大橋共に通行止めとなることもあり得ます。
5時半頃道の駅を出発し、途中のコンビニで朝食を調達して、6時過ぎにフェリー乗り場に着いてみると、係のお兄さんは事も無げに通常通り運航してますよと、、。私にとっては強風でもプロには何て事ない風のようです。
定刻の8時まで随分時間がありましたが、道の駅で居るのもこの駐車場で居るのも変わりませんからそれは問題ありません。既に私の前に乗用車が1台、大型車のレーンにも1台先着しており、その後徐々に埋まってきて結局普通車が10数台、大型が5台、バイク・自転車が5台となりました。
徳島港を出港してしばらくは風が強く波も高かったのですが、和歌山港に入港する頃には天候が回復し穏やかな海になっていました。
和歌山港からは奈良県に向かうのですが、それならば紀ノ川沿いに高速を使って進めば2時間かからない行程です。しかし今回は奈良の友人宅に行く前に熊野本宮と高野山にもう一度行きたいと思っており、そのために2日の余裕を持たせていました。この日は熊野本宮に立ち寄る予定で、ナビは海沿いに田辺市まで高速道路を進みそこから内陸に入って熊野本宮、というコースを指示して来ましたが、極力下道を走りたいのと、やはり高速道路・幹線道路は好きではないことから、海南市から山中に入り熊野本宮のある本宮町を目指すコースを取りました。主に国道424号線を走るのですが、3桁国道だけあってなかなかの酷道です。その狭い見通しの悪い道を地元ドライバーは結構なスピードで駆け抜けて行き、その速度に合わせるのは大変でした。やっぱりこの手のワインディングはハイエースには合いません。
休憩しながら昼過ぎに本宮町に着き、まずは大斎原(おおゆのはら)という熊野本宮の旧社地に行きました。明治22年まではここが本宮でしたが、熊野川の洪水で流失し、今の高台に遷座したのだそうです。
そこから現本宮にお参りして来ましたが、欧米系の観光客が目立ちました。ここでは八咫烏が熊野大神(素戔嗚尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされ、手水舎やポストの上にも居ます。
山中の街だからか日暮れも早く、もう薄暗くなり始めましたので、ここで車中泊することにしました。本宮から少し北に進んだところにある「道の駅 奥熊野 古道ほんぐう」で泊まろうと思い、この道の駅で食料も調達した後あたりを歩いてみると、何と車中泊禁止の看板が出ていました。街中で民家が隣接しており騒音被害があるからというのが理由で、私はおとなしく寝るだけなのですが、白眼視されるのも嫌ですから、それなら翌日回る予定の高野山の近くまでこの日のうちに移動してしまうことにしました。
既にあたりは暗くなり始めていましたが、時刻はまだ17時半位でしたから問題はありません。
ただ、高野山近辺には車中泊できそうなところが見当たりませんでしたから、数年前この辺りをバイクでツーリングした時に高野山詣りの前泊地とした、九度山というところの道の駅に行くことにしました。九度山は真田昌幸・幸村父子が関ヶ原の戦いの後、高野山蟄居を命じられて移り住んだ土地です。
簡単に考えて走り始めたのですが、ルートであるR168が朝走ったR424にも増して大変な道で、しかも日が暮れて真っ暗なのに周囲のクルマはビュンビュン走ります。結構神経すり減らして「道の駅 柿の郷くどやま」に着いたのは20時前、既に車中泊態勢のクルマが何台も居ましたのでおとなしくクルマを停め、買ってきた食料を車中で食べて21時前には眠りにつきました。この日はコインランドリーに行くつもりだったのですが、それも風呂もお預けです。