シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

ハイエース秋の旅14日目:和歌山~奈良

 

2連泊した九度山の道の駅を出発し、この日は奈良市に住む友人宅を訪問します。
彼は社会人になりたてで韓国駐在した時のルームメイトで、45年以上前からの付き合いになります。
ただ、当時勤務していた会社をどちらも30歳前後で退職し、全く別の道に進んでからは永らく音信不通だったのですが、ある時突然マイクロソフトのHotmailで彼から連絡が来て、そこから交流が復活しました。彼は次の会社でも長く海外勤務をしていて、駐在を終えて帰国したタイミングで、ネット上で私の何かの情報を見つけ、もしやと思って連絡をくれたもののようです。30年振り位で再会したのは神楽坂の料理屋で、その時私は生まれて初めて「くさやの干物」なるものを食べ、その強烈な記憶と共に彼との再会は脳に刻み込まれています。

 

九度山から奈良に向かう途中、まずは明日香村を経由してキトラ古墳・高松塚古墳に行ってみることにしました。
高松塚が先に発見され、その後ウチのムラにも同じようなものがあるぞということで発掘が始まり、キトラ古墳が見つかったんだそうです。これはキトラ古墳の前で団体客相手にガイドさんが話していたものを横でちょっと聞いただけですので正確ではありませんが、、。

 

 

ここから少し北の橿原市は藤原京のあったところですので、藤原宮跡にも寄ろうと思ったのですが、その手前で天香具山(あまのかぐやま)の看板(標識?)を見つけましたので登ってみることにしました。
耳成山(みみなしやま)畝傍山(うねびやま)と共に大和三山の一つですが、天から降ってきたという意味である「天の(あまの・あめの)」という美称が付けられるのは香具山だけであり、それだけ特別な存在だったのだと説明書きがありました。
標高200mにも満たない山ですので舐めていたのですが、思ったより急な階段・坂道の連続で、前日2万歩以上歩いた足にはかなり堪えました。

そして藤原宮はこの大和三山に囲まれる位置に造営されており、確かに藤原宮跡に立ってみるとその3つの山が間近に見えました。都の守護を担った山だったのでしょう。

 

天香具山

畝傍山

耳成山

昼時を過ぎお腹も空いて来ましたので、蕎麦屋でもないかなと探していたのですが、やはり関西には蕎麦屋は多くありません。かといって数日前まで讃岐うどんを食べてきた身としては、いくら関西のうどんといってもあまり食指が動かないのも事実でした。
そうこう考えながら走っていたのですが、「得得うどん」という店を道端に見つけて、一気にうどんモードに突入してしまいました。
このうどん屋は別に讃岐うどんの店ではないのですが、そこのメニューにある「ジャワうどん」というのが30年以上前関西勤務だった頃大好物だったのです。名前の通りのカレーうどんなのですが、カレーライスのルーそのものをちょっとだけ出し汁で割った感じのドロッとしたものがかかっていて、それまでカレーうどんやカレー蕎麦、カレーラーメンは好きでなかった私が初めて好きになったカレー麺なのです。
今我が家では、カレーライスはわざと多めに作り、残ったルーで翌日昼のカレーうどんを作るのが恒例なのですが、そのルーツはここのジャワうどんなのです。
得得うどんは関東にはない(と思います)ので、このチェーンが健在だったこと自体感動ものでしたが、何せ30年振りでしたから、ジャワうどんがメニューに残っているのかは心配でした。
そして店内に入りタブレット注文方式に近代化されたメニューを見ると、そのものズバリではありませんが、「ジャワ風カレーうどん」というのがありました。早速注文してみると、若干記憶の味とは違うような気もしましたが、たたずまいは記憶通りのジャワうどんが登場し大満足。当時私と同じくこれが好物だった妻にLINEしたところ、かなり羨ましがられました。

 

 

その後薬師寺に行くことにしたのですが、駐車場にたどり着くまで狭い住宅街の道を散々さ迷ったせいで、ちょっと駆け足見学となってしまいましたが、さすがに堂々とした大寺院でした。
この日は明日香村、橿原市、奈良市と北上したのですが、経路上だけでも立ち寄れなかった史跡・旧跡が本当に沢山あり、その都度見学していたら何日もかかると思います。明日香村付近は、FTRのような身軽なバイクで回る方が良いでしょうね。

 

その夜お世話になった友人宅では、自宅庭でのバーベキューを用意して待っていてくれて、旅の途中の粗食・偏食を一気に取り返すことができましたし、屋根の下で寝るのも5日振りでしたので、静かな住宅街で安眠できました。

 

 

 






 

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