シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

POLOで霞ヶ浦周辺をブラブラ

購入後、拭き掃除程度で何もメンテナンスしていないFTR223ですが、さすがにオイル交換位はしてやらないととずっと思っていながら、なかなか重い腰が上がりません。近所のバイク屋に全く馴染みがなく、一から人間関係を作るのがちょっと億劫というのが大きな理由でもあります。
3代前のトライアンフボンネビル以来、車検や基本的なメンテナンスはすべてディーラー任せですので、それ以外のバイク屋と全く付き合いが無くなってしまっているのです。それから13年が経つのですが、その前のカワサキW650の時にパンク修理等でお世話になっていたバイク屋さんは既に廃業しています。

 

ということで、この日はちょっと気合を入れて、まだ行ったことがない近くのバイク屋さんにFTRを持ち込もうと考えていました。ところが朝起きてみるとこの日は朝から冷たい風が吹いて気温も上がって来ません。ただでさえ低いテンションがさらに下がってしまいましたので、あっさりこの日の持込みは延期としました。
こうなったら近所のバイク屋に拘らずに、淡々とした付き合いができそうなライコランドとか2りんかんといった大手バイク用品店に持ち込む方が良いかも知れません。

 

そしてこの日全く予定が無くなりましたが、寒い日でしたのでバイクはやっぱり止めて、POLOで出かけることにしました。最初は以前から行きたかった群馬県の「おもちゃと人形自動車博物館」に行ってみようと考えたのですが、思い立ったのが遅かったので時間的にちょっと厳しそうです。そこで急遽行き先を変更して、これも以前から行ってみたかった霞ヶ浦の「予科練平和祈念館」に行くことにしました。ここまでなら1時間半もあれば行けそうでしたから。

 

圏央道の牛久阿見ICを越えて霞ケ浦の畔まで進むと、かつての土浦海軍航空隊跡地が陸上自衛隊土浦駐屯地となっていて、それに隣接して予科練平和記念館があります。
予科練とは「海軍飛行予科練習生」の略称で、14歳から17歳までの少年に集団生活を通じて厳しい訓練や教育を受けさせ、熟練が必要な航空隊員を確保する目的で始まった制度です。初期の予科練生は、身体、体力だけでなく、学力などを検査し、70倍もの倍率を潜り抜けて選抜されたエリートですが、給与をもらいながら訓練を受けることができたため、家計を助けるために志願した若者が多いそうです。
海軍のスーパーエリート養成機関である海軍兵学校は旧制中学から進学しますが、経済的に恵まれず中学進学ができない成績優秀者が高等小学校から予科練を目指しました。パイロットとなる訳ですから、勉強し過ぎて目を悪くする訳には行かず、かなり頭が良くなければ無理だったのだとか。
ただ、卒業すれば士官(少尉)となる海軍兵学校と違い、予科練はあくまでも下士官ですから待遇にはかなり差がありました。7つボタンは桜に錨と歌われた予科練の制服はその不満を解消するための手段として導入されたもので、これを着ることは若者の憧れともなったようです。

 

しかし、そんな成績優秀な若者達も戦況が悪化すると特攻隊として多く出撃することになり、終戦までに戦地へ送り込まれた2万4千人の内、約8割が戦死しました。
平和記念館に隣接した陸上自衛隊駐屯地の敷地内には、記念館とは別に「雄翔館」という予科練戦没者の遺書・遺品を展示した施設があるのですが、その多くが特攻隊として出撃する前に書かれた遺書等で、かなり沈鬱な思いになります。

 

 

どちらの施設も館内の撮影は禁止ですが、特に雄翔館の方は許可されていても撮影する気にはなれないと思います。
祖国のために散ったこの優秀な若者たちは、恐らく国の将来が決して明るくないことは悟っていたでしょうし、それだけにいたたまれない思いになります。

 

ここを出て更に霞ヶ浦の畔を進み、鹿島海軍航空隊跡というところにも行ってみました。ここには当時の建物がそのまま残されており、週末には一般公開されています。
この日は平日でしたから外から眺めただけですが、映画撮影などにもよく使われているという雰囲気は感じることができました。

 

 

そして、そこから霞ヶ浦の南岸に沿って戻る途中に見かけた「陸平(おかだいら)貝塚」という所にも寄ってみました。
ここは国内でも規模の大きい貝塚群で、縄文時代前期から後期にかけての遺物が多数見つかっているのだそうです。陸平貝塚公園として整備されていて発掘調査をもとに竪穴建物などが復元されていました。
入り口には「猪多数目撃、注意!!」といった趣旨の警告板が何枚もあり、人っ子一人おらず薄暗い公園への道を進んでいくのはかなり怖かったです。

 

 

 

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