シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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新春浅草歌舞伎を観て来ました。

 

浅草公会堂で開催されていた「新春浅草歌舞伎」を観て来ました。
この歌舞伎は若手歌舞伎役者の登竜門と言われていて、今年は9名の出演俳優の内、これまで10年間この公演をリーダーとして率いてきた尾上松也はじめ7人が卒業することになるのだそうです。

 

浅草に着いて雷門の前まで来てみると、雷門前の交差点からはスカイツリーもきれいに見えていました。周辺は平日にも関わらず大変な人出で、その大半が来日観光客のようでしたが、仲見世通りは歩くのにも難儀する程で、まだ正月飾りが残っている仲見世の雰囲気を味わおうと思って歩き始めたものの、浅草寺までたどり着くのは早々に断念し、裏にそれて公会堂を目指すことにしました。

 

 

新春浅草歌舞伎は2部制で、私たちは11時開演の1部を予約していました。公会堂前には既に多くの人が集まっていて、和装のご婦人方も多く新春公演らしい華やかな雰囲気でした。

 

 

私の歌舞伎見物はこれが3回目で、最初は香川県の金毘羅さんにある金丸座という江戸時代の小屋を修復して毎年行われている「四国こんぴら歌舞伎大芝居」でした。8年前の四国・九州ツーリングの途中で妻と落ち合い、江戸時代そのままの狭い升席に座り込んで間近の舞台を楽しみました。
その後なかなか行く機会がなかったのですが、故中村勘三郎(当時は中村勘九郎)らが中心となって立ち上げた「平成中村座」の公演を、浅草寺そばに江戸時代の芝居小屋を模して設営された仮設劇場で観たのが二回目でした。この時は既に座主の18世中村勘三郎は亡くなっており、父の遺志を継いだ長男の6代目中村勘九郎が弟の2代目中村七之助や2代目中村獅童と共に活動していた時期でした。
妻はその間も何度か知人に誘われたり一人で出掛けたりもしていたようですが、そんな妻でも演目によっては役者の語りや口上を聞き取るのはとても難しいそうで、まして3回目に過ぎない私にはそれが日本語とも思えない程です。ということで今回はイヤホンガイドを借りたのですが、おかげで芝居の筋も背景も良く理解できました。
特に武田勝頼と長尾謙信の娘である八重垣姫の恋愛模様を描く「本朝廿四考(ほんちょうにじゅうしこう)」はこれが無いと殆ど聞き取れなかったと思います。

 

歌舞伎通とはとても言えない「にわか」の私は、メディアへの露出が多い尾上松也以外の役者さんは誰も知らなかったのですが、女形で「本朝廿四考」では八重垣姫役、「源氏店」ではお富役を演じた中村米吉の美しさ・可憐さには驚きました。プロフィールではもう30歳なのだそうですが、それが10代の八重垣姫を演じて60代の親爺を驚嘆させるのですから凄いです。江戸時代の娘たちが夢中になったのもわかる気がしますし、宝塚の男役に熱狂するのと真反対のシチュエーションですが、相通じるところはありそうです。

 

ところで、歌舞伎の舞台で役者に「〇〇屋!」という掛け声をかけることがありますが、それをする常連客のことを大向こう(おおむこう)と言うのだそうです。江戸時代から劇場の一番後ろ、つまり舞台から一番遠くの安い大衆席を「大向こう」と呼び、ほぼ毎日劇場に来て、大向こうの席で役者に声を掛ける常連客がいたので、それが語源と言われているのだそうで、私も大向こうとは席の事だと思っていました。
この日もタイミング良く2階席あたりから歯切れの良い掛け声が聞こえていて、いかにも通の人らしかったですが、大向こう公認の会と言うものもあって、基本スカウト制なんだそうです。一般客でも声かけはできるのですが、その中でも良く劇場に足を運んでいい声を掛けている人に、先輩大向こうが声をかけて、1年ほどの試用期間のようなものを経て、認められれば歌舞伎座公認の会に入ることができるのだとか。一般客として最初に声をあげるのは相当な度胸が必要ですね。

 

 

浅草公会堂を出たのが14時半頃、浅草に着いた時に朝昼兼用の軽食を食べただけで小腹が空きましたので、途中のデパートで開催されていた「京都大阪物産展」で、にしんそばを食べて帰る事にしました。にしんそばが売りの京都の蕎麦屋さんが出店を出していることを妻が調べていたのですが、京風のあっさりした出汁に身欠き鰊の甘露煮の味が溶け込んでとても美味しく、お代わりしたい程でした。

 

 

 






 

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