シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

冲方丁「はなとゆめ」を読みました。

 

冲方丁の作品が続いていますが、今回読んだのは、前回の「月と日の妃」の姉妹編とでも呼べそうな「はなとゆめ」です。
前回、娘が子供の頃読んでいた「花とゆめ」という少女雑誌のイメージが強くて敬遠していたという事を書きましたが、今も昔もこんな表紙の雑誌ですから、いい歳をしたジジイが敬遠する気持ちはわかっていただけるかと。
しかも本作「はなとゆめ」の表紙もこんな感じです、、。

 

 

 

「月と日の妃」は、平安時代、一条天皇の中宮(皇后)だった藤原道長の娘彰子(しょうし)が主人公でその女房(侍女)として紫式部が登場しますが、この作品では彰子の前の中宮定子(藤原道長の兄道隆の娘)とその女房清少納言が主人公です。
両作品の違いは、「月と日の妃」はタイトル通り中宮彰子が主人公であり、「はなとゆめ」は女房清少納言が主人公であることです。清少納言の女主人中宮定子が、彼女にとっての花であり夢であった、というストーリーになっています。

 

冲方丁は、ほぼ同時代を同じ一条天皇の中宮として生きた二人の女性にまつわる物語に、知らぬ人は居ない程有名な女性文学者二人を配置しているのですが、上に書いた通り、作中での中宮と女房の関係は両作品では逆となります。
共通しているのは、どちらの中宮も、一族の繁栄の責任を一身に背負わされ、上級貴族間の陰湿な争いの被害者となった女性としてのみ描かれているのではなく、その中にあって気高さや美しさ、強さを維持して、その影響を周囲に与え続けた女性として描いているところです。

 

中宮とは今でいう皇后ですが、当時は多妻制でしたので、多くの妃の内で中宮となることは大変な名誉であり、一族の繁栄が約束されることでもありました。先に中宮となったのは定子でしたが彼女は若くして亡くなり、その後中宮として権力の中枢に長く座ったのが彰子でした。年齢も定子の方が10歳ほど上だったようです。

 

しかし二人の中宮がいかに気高い女性だったとしても、勿論争いと無縁だった訳ではありません。同じ藤原氏の中で、長兄である道隆の娘定子が中宮であった時、道隆は関白として栄華を極めており、一方その末弟である道長は一族の中では日陰者の存在でした。それを自分の長女彰子がまだ12歳で、当時としても子ども扱いされる年齢で強引に入内(じゅだい:内裏に入れる=妃として)させ、その頃から娘を何とか中宮として、自分は関白となる機会を虎視眈々と狙っていました。そして関白だった長兄道隆が亡くなったのを機に道長が猛烈な政治闘争を仕掛け、中宮定子も早世した後は後世に知られる我が世の春を築いたのですから、二人の中宮が当事者とならざるを得なかったのも当然です。

 

そして清少納言と言えば「枕草子」ですのでこの作品中でも登場しますし、終盤はそのことが主題となります。
定子が内大臣からもらった上質な紙に何を書こうかと清少納言に相談し、「一条天皇は史記を書き写しておられるようだけれど」と話したのに対して清少納言が「それなら枕でしょう」と答えたところ、「ではあなたが書きなさい」と、当時とても貴重だった紙を清少納言に下賜される、という場面がその始まりです。

 

これをきっかけに、清少納言は枕草子の執筆を始めるのですが、この「枕」とはどういう意味かについては今でも諸説あって、定まっていないのだそうです。
有力な説は3つあり、

①定子が「史記」と言ったのに対し、「しき」=「敷布団」「しきたへ(枕の枕詞)」と連想し、「ではこちらは枕でいきましょう」と答えたという説。

②史記(しき)=敷布団・しきたへ⇒枕に、「史記」=「四季」をプラスした合わせ技で「一条天皇が史記を書き写されるなら、こちらは四季を枕にした作品を書きましょう」と言ったという説。

③枕草子が書かれた当時、「枕草子」という言葉は普通名詞として使われていたそうで、「備忘録や日記帳などの書物」「歌枕の解説書」など諸説あるのですが、そのまま「ではこちらは枕草子を書きましょう」と言ったという説。

どれもありそうですが、才女清少納言ならば①とか②をとっさに考え付いて、知的な会話を楽しんでいたような気もします。

 

とはいってもこの作品中での清少納言は、ひたすら中宮定子に尽くし、年下の主人を慕い続ける謙虚な女性として描かれ、才を鼻にかけるようなところはありません。
ただ世の中では清少納言は才気煥発で目立ちたがり(?)な女性で、反対の性格の紫式部からは嫌われていた、というのが定説らしいです。「紫式部日記」には清少納言の悪口も書かれているのだそうですが、冲方丁はそのあたりはサラリと流しています。
紫式部も清少納言もお互いの主人である中宮のことをとても尊敬し、慕っていたようですから、ライバルであるお互いの主人の、侍女同志の反感でもあったんじゃないかと両作品を読んで思いました。

 

 

 

プライバシーポリシー お問い合わせ