シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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桜旅7日目:福岡県大木から佐賀・長崎を経て再び佐賀県唐津へ

 

福岡県大木町の道の駅おおきを出発して、この日は佐賀県に入り鹿島市の旭ヶ岡公園が最初の目的地です。開花状況と、佐賀市などの大きな街以外で選んだのですが、佐賀県三大桜の一つともいわれているんだそうで、確かに見事な桜でした。

この日は朝からずっと有明海を左手に走っていることが地図ではわかっていたのですが目視は出来ず、途中赤信号で止まった交差点がたまたま有明干拓入口というところでしたから、有明海を見に行くことにしました。海岸線はそこから3kmも先で、途中にはむつごろうCCというユニークな名前のゴルフ場もありました。干拓後にできたのでしょうが、どこにあるのか一発でわかる名前ですね。有明海は波一つなく穏やかでしたが、漁港には人の姿もありませんでした。

 

 

鹿島市はここからはもうすぐで、旭ケ丘公園は佐賀藩の支藩であった鹿島藩の城跡に作られた公園です。城郭は残っていませんが中々立派な城構えで、東大の赤門のような本丸御殿正門は佐賀県立鹿島高校の校門です。こんな校門を毎日くぐって登下校していたら意識も高くなるでしょうね。

 

 

佐賀県であと1~2か所は行きたかったのですが、他は佐賀市周辺が多かったですからそこは敬遠して、まずは長崎県の佐世保まで走ることにしました。長崎県でも長崎市周辺はパスです。

目的地は西海橋公園で、地図で見ると西彼杵(にしそのぎ)半島の先端部です。私はこれまで佐世保から西海橋を渡った先は島だとばかり思っていて、この読み方も初めて知りました。そういえばバイクやクルマで何回か来た時も西海橋を渡ってしばらく景観を楽しんだ後は引き返していましたので知らないままだったんですね。

 

 

西海橋公園を散策していると、海を隔てた向かいの丘の上に存在感抜群の巨大な3本の塔が見えていました。昼ご飯用に佐世保バーガーとコーヒーを買った時にキッチンカーのお姉さんに聞いてみたところ、「針尾送信所」という元海軍の通信塔で、真珠湾攻撃の極秘暗号文として名高い「ニイタカヤマノボレ」もここから発信されたのだそうです。おかげで「お客さん長崎の人じゃないですね」と一発で見破られましたが、見学もできるそうなので帰りに寄ってみることにしました。
車中で昼食とすべく戻ってみると、隣には全く同じ型・色のハイエースが。何と横浜ナンバーで、年式は私のより新しかったですがグレードも同じでした。

 


針尾送信所は、大正時代に当時最新のコンクリート技術を駆使して海軍が建てた、高さ136mで一辺300mの正三角形を描く3本の電波塔です。戦後進駐軍の手で破壊されなかったのが不思議なくらい保存状態も良かったです。

 



ここからは福岡方面に進む予定でしたが、間にはまた佐賀県があり、伊万里市の山代町という所にある松浦鉄道の浦ノ崎駅が桜の駅として有名らしいので寄って行くことにしました。途中伊万里と並んで焼き物で有名な有田町を走っていて丘の上にとても特徴的な建物を見かけましたので、寄り道することにしました。
とても立派な公園・建物で、歴史と文化の森公園・炎の博記念堂という名前でした。以前「世界炎の博覧会」というものが開催された時の建物らしいですが、焼き物の街らしく水飲み場も陶器でできていました。

 

そこから30分程で松浦鉄道の浦ノ崎駅に着いてみると、桜まつり真っ最中で観光客も多くとても賑わっていました。確かに桜の駅で、駅名表示板も桜一色です。
ここで本当に久しぶりにタコ焼きを買って食べたのですが、かれこれ20年振り位かも知れません。息子が小さい頃タコ・イカ・エビ・カニ・貝というものが軒並みダメ(逆に私は大好き)でしたので、まず家族としか行かない縁日では、タコ焼きを買うということが無かったのです。縁日以外でタコ焼きを買うという発想も無かったですね。

 

いい時間になってきましたので、ここで今夜の宿泊地を検討して、1時間程で行ける佐賀県唐津市の「道の駅厳木(きゅうらぎ)」に決めました。難読地名ですね。まず読めません。
毎日昼ご飯の頃に大体の見当をつけておいて、もうそろそろという所で決定し、同時に周辺の日帰り温泉を探す、というのがパターンで、この日は近くの「野田の湯やすらぎ荘」というところで入浴を済ませてから道の駅に向かいました。この日は終日ぐずついた天気で夕方にはまた雨が降り出しましたので、夕食もコンビニ食材で済ませ、なるべく雨に濡れないようにトイレ近くの駐車スペースを確保して眠りました。

 

 

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