大晦日を翌日に控えた昨年12月30日、千葉県習志野市にある「谷津干潟(やつひがた)公園」まで散歩に行きました。人間ドックで医師からも定期的な運動を指示されましたので日課としなければいけない状況なのですが、どうなることやら。私位の年齢ともなれば激しい運動は必要なく、散歩程度の軽い有酸素運動がちょうど良いそうですから、妻を誘ってせいぜい頑張ってみます。
今年はカレンダーの並びが良く、9連休も珍しくない長い年末年始休暇に入っていましたから、息子も数日前から帰省して来ていて、3人でのんびり野鳥観察などしながら干潟の周囲を歩きました。干潟とはいっても周囲をコンクリートで囲まれた長方形の貯水池状のもので、我々が干潟と聞いて連想する姿とはかけ離れています。
元々は東京湾に面した文字通りの干潟だったものが、高度成長期にどんどん埋め立てられて工場や住宅となり、ここも埋め立てられる一歩手前まできていたのですが、東京湾に飛来する渡り鳥の希少な生息地になっていることが指摘され、保護活動家による重要性の宣伝活動や清掃活動が認知されたこともあって、1988年に国指定谷津鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され、1993年にはラムサール条約登録地に登録されたのだそうです。
もう10年以上前のことですが、妻が市の地域環境調査の一環として、市内における野鳥等の観察を行い定期的に報告する、という活動をしていたことがあります。その時に野鳥判別の練習のためここに来て以来ですから、かなり久しぶりの訪問となります。
公園の駐車場にPOLOを停め、干潟周囲の遊歩道を歩き始めましたが、一周3km強ですから1時間程度の散歩には丁度良い距離です。
様々な野鳥が居て、双眼鏡や超望遠レンズのカメラを抱えた愛好家の方が多かったですが、実は私は鳥にさほど興味が無いことが、改めて良くわかりました。最初こそあれは何?これは何?と調べていたのですが、すぐに飽きてしまい、日向ぼっこしていた猫の方に余程関心がありました。
遊歩道を歩いていると、干潟に隣接してある谷津バラ園の所に、谷津遊園跡という看板を見つけました。その昔ここには京成電鉄が運営する「谷津遊園」という遊園地があって、東京湾が埋め立てられる前までは、近くの「船橋ヘルスセンター」とともに潮干狩り・海水浴のできる海辺の遊園地として人気だったようです。
そして京成電鉄の東京ディズニーランド(1983年開園)への経営参画計画により、1982年をもって閉園。当時谷津遊園自体は黒字経営を維持していたので実質的には発展的解消と言え、閉園時の従業員の多くは東京ディズニーランドに移籍したのだそうです。
更にここは「読売巨人軍発祥の地」ともされていて、1934年に来日したアメリカ選抜チームと対抗するために結成された、東京六大学出身者を中心とした全日本チームがここで練習し、そのチームがのちの東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)になったからなのだそうです。
のんびり歩いて約1時間の散歩を終え、隣の船橋市で新装開店の蕎麦屋さんに寄って昼食を食べたのですが、年の瀬を迎えた船橋駅周辺は普段よりも更に激しい渋滞で、駅に近付くにも遠ざかるにも、いつもの倍くらい時間が掛かりました