シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

桜旅北海道編5日目:黒松内から白老を経由して新ひだかまで

 

この日黒松内の道の駅を出発する時には、道北の前に道東を目指すことに決めていて、まずは羊蹄山を遠く左前方に望みながら、洞爺湖・昭和新山へ向けて走り始めました。洞爺湖畔の桜並木を楽しんだりしながら湖をほぼ一回りした後、有珠山・昭和新山を今回はパスして、すぐ支笏湖に向かうこととしました。そして民家など一軒もない白樺林の中を抜けて行く国道453号線を、渓流や滝の写真を撮ったりしながらいい気持で走っていると、支笏湖のかなり手前で、白老・ウポポイへの案内表示が目に入りました。今回桜と共にウポポイ(民族共生象徴空間)も必ず行こうと決めていた場所なのですが、この時までは帰路に立ち寄る積りだったのです。が、この看板で一気に心がウポポイに傾き、ハンドルを右に切ってウポポイのある白老方面に南下することにしました。例によって朝早く出発していますから、この日がGWの最中でいくら混雑するとしても開場前に到着すれば問題ないでしょう。

 


白老の市街が近付き、もうすぐウポポイというところで仙台藩陣屋跡というところの前を通りました。まだウポポイ開場の9時には間がありましたから、ちょっと寄って行くことにしました。ここも資料館は9時開場でしたが、広い敷地に復元された遺構を見て回るだけで十分です。北の備えは松前藩が一手に引き受けていたと思っていたのですが、仙台藩もこんな広大な陣屋を築いていたんですね。

 

 

仙台藩陣屋跡をゆっくり歩いて見て回り、ウポポイに着いたのは8時50分頃でした。入口の前で窓口が開くのを待っていると、9時ちょっと前にラジオ体操(職員の方用?)が流れ始めたのですが、それがすべてアイヌ語で、日本語版を知っていますからこれは1、これは2、と推測はできるものの、全く聞き取ることはできませんでした。ここでは職員の方は日常会話をアイヌ語としていて、後世への伝承という役割も担っているのだそうです。

 

入場して最初にアイヌ人男性職員による歓迎挨拶とウポポイの説明、アイヌ人女性職員によるムックリの演奏がありました。晴れ渡った空の下で聞く、アイヌ語による最上級の歓迎の言葉、ムックリというアイヌ式の口琴の演奏はとても印象的でした。どちらも動画を撮ったのですが、貼り付けが難しいので写真だけ載せておきます。
写真のアイヌ人青年が語る、アイヌ民族としての誇りとその文化継承への決意は、暗さを感じないとても爽やかで清々しいものでした。裏にはもっと厳しい葛藤があるのでしょうが、それを感じさせない立ち居振る舞いは見事でした。

 

その後は、国立アイヌ民族博物館やコタン(集落)、その他施設の見学、イベントへの参加等で、気付けば4時間近く過ごしていました。前身のポロトコタンには7年前に来ているのですが、当時村の入り口に立っていた巨大な村長の像は老朽化のために取り壊されたのだそうです。凄く存在感のある像でしたが、、。
予想以上に長居をしてしまいましたので、帰りに入口近くの商業施設のレストランで昼食を食べたのですが、せっかく白老に居るのだし有名な白老牛でも、とメニューを見てみると、「白老牛の焚火ロースト」6,000円也!昼食にこの値段を払う勇気はありませんから、「ユク(エゾ鹿)の焚火ロースト」というので手を打ちました。普段ジビエ料理を食べることはないのですが、骨付き肉を最後は手づかみでしゃぶりつくしました。香ばしく焼き上がっていてとても旨かったのですが、例によって旨そうなものほど写真を撮り忘れます。

 

 

食事を終えて駐車場を出ると既に14時を回っていましたから、ここからは普段使わない高速を使って日高方面まで急ぎます。翌日からは天気が悪そうだったことと、翌日はリモートで半日拘束されますから、新ひだか町にある「二十間道路桜並木」をこの日のうちに観ておきたかったのです。
到着したのは16時近くで既に夕暮れの気配でしたし、満開を過ぎて散り始めてもいたのですが、7kmにも及ぶ桜並木は評判通り壮観でした。

 

 

そしてこの後は、同じ新ひだか町の三石にある「道の駅みついし」で車中泊することにしました。同じ敷地に日帰り入浴可能な温泉もあってとても便利でした。

 

 

 

 

 

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