新型コロナが社会生活を脅かすようになったのが今年の2月位からですから、既に8カ月以上が経過しています。当初は本当に蟄居生活みたいなところまで押し込まれていた社会生活が元に戻りつつある事は実感します。
私自身も徐々に生活の範囲を広げてきていますが、遠方への公共交通機関での移動・旅行、大浴場での入浴、休日の雑踏、酒場での宴会(これは殆ど下戸ですから無くて可)等は今でも敬遠しています。
とはいえ避けられないことも多く、先日ギックリ腰で受診した病院等はその典型です。医療機関ですから当然必要な措置は講じられているはずですが、やはり出来れば近付きたくはなく、私が受診した整形外科が普段より随分空いていたのも、皆さんそう考えるからなのでしょう。
そのときの整形外科はいつになく空いていたのですが、会計や薬の窓口は各科から集まってきますからそれなりに混んでいました。最初はソーシャルディスタンスを意識して皆間隔を空けて座っているのですが、混んでくるとやはり間隔は狭まってきます。また病院帰りに久しぶりに立ち寄ったラーメン屋でも、カウンター席の間隔は昼時でもあり徐々に埋まってきます。以前なら当然だった事なのですが、今では誰かが隣に座ると反射的にピキッとします。明らかに、パーソナルスペース(他人に侵入されると不快に感じる空間)が以前と変わっていますね。
アメリカの文化人類学者、エドワード・T・ホールは、人のパーソナルスペースを相手との関係をふまえて次のような4つのゾーンに分類しています。
Level.1 公衆距離:3.5m以上
一般の人が社会的な要職・地位にある人と正式な会合・イベントで面会するような場合に取られるかしこまった距離。
Level.2 社会距離(これがソーシャルディスタンスですね):1.2~3.5m
あらたまった場や業務上で上司や取引先と接するときにとられる広さ。大きな机越しの商談など。
Level.3 固体距離:45cm~1.2m
二人が共に手を伸ばせば相手に届く広さ。友人や会社の同僚など親しい人であればここまで入っても不快にならない。レストランやカフェでテーブル越しに話す距離。
Level.4 密接距離:0cm~45cm
手を伸ばさなくともボディータッチができる広さ。家族や恋人など、親しい人がこの距離にいることは許されるが、それ以外の人がこの距離に近づくとハッキリと不快に感じる。
これはアメリカ人の研究ですが、日本人のパーソナルスペースは明らかにこれより狭いと言うか、狭さに慣らされていると思います。満員電車でLevel.3の固体距離は到底確保できず、見ず知らずの赤の他人とLevel.4の密接距離を強いられていますし、レストランでも病院の待合室でもLevel.3を確保できる空間は稀だと思います。
それが今回のコロナ禍でソーシャルディスタンスが要求されるようになり、これがLevel.2です。当然パーソナルスペースには個人差があり、これを寂しいと思う人もいるでしょうし、今までになく快適と思う人もいるでしょう。私はどちらかと言えば後者のようで、今の距離感で十分快適です。
とは言え以前であれば、電車等で自分の隣がいつまでも空いたままだと、快適である反面、嫌われてる?避けられてる?と思ったりしましたし、中年になって以降は、加齢臭も気になりました。やはり私自身のパーソナルスペースも以前より随分広がっているという事なんでしょうね。
それでは、クラブ等できれいなお姉さんに横に座られて喜ぶ感覚はどうなんでしょう?お互いの関係性で言えばLevel.2程度なのに、疑似的なLevel.4の関係を味わえる、と言うことでしょうか。そして稀に(?)それを現実のLevel.4と勘違いした男が大金をつぎ込む、という図式ですかね。