重箱の隅をつつくような奴と思われそうですが、文章の「てにをは」とかが結構気になるタイプです。
職場でも部下や後輩の報告書、企画書を読んでいて、本筋ではないこのあたりが気になって仕方がないことがよくありました。こういったことに口を出すと小さいやつだなあと思われるのは私も承知していますから、自分ではあまりグチグチ言わないようにはしていた積りなのですが、さて部下、後輩の評価はどうだったんでしょう?
ただちょっと弁解すると、そういった言葉の扱いが雑な奴の報告書、企画書は、中身についても要領を得ない、目的のはっきりしないものが多かったのも事実です。
「神は細部に宿る」という言葉はこういった場合にこそ使いたい言葉で、いかにも日本人好みですが、実は由来ははっきりしないんだそうです。ドイツ出身の建築家でミース・ファン・デル・ローエという人が好んで使った言葉らしいのですが、その前にもアインシュタイン、ル・コルビジェ、ニーチェ等の著名人もこの言葉を引用したことがあり、由来についての結論は出ていないみたいです。
また「てにをは」ではありませんが、よく目にする例としては、
(美味しそうなパン「が」たくさん「売っている」、、)
というものがあり、色々な場面で出くわして、その度に「パンは自分で売らないよね?」みたいに気持ちが引っかかるのです。
この場合の正解は
(美味しそうなパン「を」たくさん「売っている」、、)
または
(美味しそうなパン「が」たくさん「売られている」、、)
でしょう。
こういう感覚は、自動詞とか他動詞とか難しいことはわからなくても、本を読んでいて自然に感じるようになる違和感、ということなんだと思います。
仕事上でも、はっきりとはわからないけれどこの部分には何となく違和感が、、というのを感じたとしたら、それも実は同じ種類のものなのかも知れません。
長年経験してきた一連の手続き中にはなかった何か異物の存在を感じとっている、ということであれば、これは読書経験から得る文章上の違和感を感じ取る能力と似通っていて、まんざら「てにをは」的なものにこだわる、その違和感を感じ取る、ということも捨てたものではないような気がします。
どうでもいいと言われてしまえばその通りなのですが、こういったこだわりが私には確かにあって、服装のこだわり等も含めて、こだわらないほうが楽なのは確かなのですが今更変えられない性分ですね。
といいつつ、過去のブログを読み返してみると「てにをは」の使い方も含めてアラがたくさん見つかり、一人で赤面することになります。そして他にも、何だか気取った言い回しや言葉遣いが自分ながら鼻について嫌になることもあります。
昔、夜中に勢いで書いたラブレターはすぐには絶対出すな、みたいな戒めがありました。冷静になって読み返せば、恥ずかしい程盛り上がっていて、気障な言い回しで溢れていることが多いから、ということなのですが、ブログも何日か寝かせて読み返してから公開すれば、何だか気取った気障な言い回しも減るんでしょうかね。