シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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「お金をばらまくおじさん」とは


先日ネット記事で、「お金をばらまくおじさん」「それを批判する何もしないおじさん」という言葉が使われていて、興味を持って読んでみたのですが、それに関連してちょっと書いてみます。

 

「お金をばらまくおじさん」とは、誰もが連想する前〇友〇氏と、彼が代表するいわゆる超富裕層にあって、惜しみなくお金をつぎ込んだ贅沢な生活をしている人たちの事ですし、「それを批判する何もしないおじさん」も、誰と特定はできなくても、その前〇氏たちの言動に批判的なマスコミ人やネット民が容易に想像できます。

 

この記事は「何もしない」という言葉のニュアンスでわかるように、前〇氏サイドに共感するというか、その言動を擁護する記事でしたが、私も基本的にはこの考えに賛成です。

 

www.boon-senior.com

 

上のブログでも書いた通り、私は日本の教育界中心にお金を稼ぐことは卑しいことという価値観が存在していることへの違和感を感じていますし、ちゃんと教えないから尚更お金への向き合い方が不自然になっていると思っています。


またお金を持っている人が自分のお金をどう使おうがそれは自由ですし、どう使ったかを公表することも当然自由です。なのにそれが批判的に捉えられるのは、結局富裕層に対する僻み、妬み、生理的な嫌悪感だとしか思えません。

 

ノブレス・オブリージュという言葉があります。元々は貴族や上流階級に生まれたものには高潔な振る舞いと、社会の恵まれない人に対する慈愛の心が求められる(=高貴なるものは義務を負う)という意味で使われてきましたが、Wikiには、最近では富裕層、有名人、権力者、高学歴者は「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる、と書かれています。
そうであれば、知識のある人はその知識で社会を啓蒙する、権力のある人はその権力で社会を改革する、お金のある人はそのお金で社会を潤す、これで良いと思います。お金を寄付とか慈善事業とかに使わない限り認めないのはあまりに偏狭な考えですし、元々使われていた、高潔とか慈愛の心といった言葉で受ける印象に引っ張られすぎのような気がします。
確かにそれ自体は自分の欲望を満たすための行動に過ぎないのかも知れませんが、ある大富豪が、大型旅客機を買ったり宇宙旅行に行ったりすることで、その事業の中心から周辺に至る広範囲な産業で生計を立てている人何人に恩恵が及ぶかと考えれば、全然OKなんじゃないかと私は思います。

 

とはいえ私自身はそこまでお金に執着している訳でもありません。もちろんお金は欲しいですし、上に書いたようにお金を蔑視している訳でもありませんので、いいクルマにも乗りたいし、バイクも買い換えたい、豪華客船で世界一周したい、等々物欲は人並み以上にあると思います。ただしそれを得る為に何かを犠牲にしてまでとは考えないから、今以上の稼ぎは得られなかったんだと思います。権力を得る為に、高収入を得る為に何かを(家庭というケースが結構多かった、、)犠牲にしている人を多く見ていましたから。

 

ですから今はやり(?)のFIREについても共感できるところは多いです。
ただし、勤め人としての早期退職が、必ずしも自由とイコールであるとは限りませんし、4%の運用益(一般的に4%の運用益で暮らせるだけの金融資産が必要と言われているそうです)を得る為に日々神経をすり減らし、市場の動向に戦々恐々とするのでは本末転倒のような気もします。サラリーマンって結構守られている存在でもありますから、、。
でも私は既にサラリーマン生活というマラソンを走り終わっていますので、こんな完走者の余裕みたいなことを言っているのですが、もう一度走れと言われたら勘弁してとなるのもこれまた事実です。

 

 

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