シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

何だか最近忙しいです。

 

ちょっと落ち着いてきましたが、ここのところ忙しい日が続いていて、「悠々自適の楽隠居」という私の理想像からはかなりかけ離れてきています。

 

何でこうなったのかは明白で、悠々自適な楽隠居には時間と金の両方が必要ですが、現役時代に十分な資産を積み上げてから引退という事を実現できなかった私は、もうしばらくの間は年金以外でも収入を稼がなければ「悠々自適な楽」が付いていない、単なる「隠居」になってしまいます。イソップ物語のアリとキリギリスで言えばアリの部類ではあったと思う(仕事もせず遊び惚けた訳では無い)のですが、各種誘惑に負けてキリギリスのような浪費も重ねていましたので、、。

 

不労所得の基を確保していない以上、時間を得ようとすれば報酬が減り、報酬を得ようとすれば時間が減るのは当然ですが、定年後の報酬は現役時代の30%もあれば十分だと考えていました。ですから65歳から年金を受給して現役時代の30%を確保できるなら問題は無かったのですが、それにはかなり足りませんでしたので働くことが必要になりました。
また100の生活を30に圧縮するというのは結構大変で、放漫財政を圧縮することの難しさも痛感しています。子供たちが大学を卒業し経済的にも自立しましたから、100である必要はないのですが、せめて50~60は確保したいなあと言うのが定年後の実感で、それもあって当初の目論見よりも多く働かざるを得なくなっているのです。

 

とはいうもののここまで業務に追われることは想定外で、その理由は私が労働者として規定され守られる立場では無くなったから、と言う事に尽きます。少し前に書いたブログの内容がそのままそれを表しているので引用すると、

「仕事が忙しいとは言っても現役の皆さんからしたら遊びみたいなものですが、当時と大きく違うのは労働者という範疇で守られていないことです。ですからいくら忙しくてもそれは自己責任ということになり自分でコントロールするしかないのですが、請負仕事みたいなものですから断ると後に響くという心配があるのも確かで、そこは難しいところです。また均(なら)せばたいした業務量ではなくても業務の繁閑はやはりあって、今はその「繁」に当っているので、ちょっと業務量と報酬が釣り合っていないなというのが本音です。」

となるのですが、そういう事情でフルタイム以上の時間を費やすことになってはいても、実際には口で言う程のストレスが無いのは、やはり強制されてやっていないのが理由でしょう。

 

また業務というのも、目に見える部分は契約企業との打ち合わせ、会議出席、研修実施などですが、その殆どがリモートでも可能となって自宅でできるようになりましたし、実は業務の大部分はそれ以前の準備の部分ですから、外部の人から見ると引きこもり老人にしか見えていないと思います。

 

私は現役時代から比較的自宅への業務持ち帰りが苦にならないタイプだったのですが、我々のような古い世代の人間には、仕事は職場でするもので家庭には持ち込まない、という意識は結構強くありました。
労働時間は『労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間』と定義されていて、持ち帰り業務は結局サービス残業となってしまう事も多かったので、労働者としては自衛の意味からもそうすべきだったのです。しかし過去の判例では使用者の指揮命令は明示・黙示を問わないとされており、厚労省のガイドラインにもそれは明示されていますので、業務過多で持ち帰らざるを得ないことを上司が承知していればそれは労働時間とみなされて当然だったのですが、一般的にはそうではありませんでした。
しかし昨今のテレワークの広がりもあり、自宅など職場外での業務が指揮命令下ではないと言い張ることは今は難しいです。

 

コロナ禍の現状では、業務の持ち帰り以前に殆どがテレワークで完結という人も多くなっていますが、娘の在宅勤務状況を見ていると、退勤時間を決断する事に苦労しているようです。周囲が徐々にPCを閉じて「お疲れ様」と帰り始めてから、自分の仕事にも区切りをつけるという日本的な判断が出来なくなって、まだまだ新米の彼女はPCの閉じ時を悩んでいます。
ウィズコロナと言われ始めて出勤する人も多くなっては来ましたが、在宅勤務も一定数存在する世の中になって、出勤の姿でその家庭のお父さんお母さんの職業を想像するという事も難しくなっていますね。まあそんな想像自体全く余計なお世話ではあるのですが、、。
 

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