ラジオを日常的に聞かなくなって久しいです。学生の頃は受験勉強の傍ら深夜放送を聞く、というのがそれこそ受験生のあるべき姿みたいに考えられていた時代(私が思っていただけかも知れませんが)でしたから、私も受験勉強の方は全くおろそかにしながらも、深夜放送だけは熱心に聞いていました。
TVが家族みんなの娯楽だとすれば、ラジオは若者自身の、一人だけの娯楽だったと思います。今のインターネットやSNS等のサイバー空間に相当するものだったのかも知れませんが、当然今のようにインタラクティブなものではありませんから、こちらからの発信はお便りはがき、リクエストはがき、リクエスト電話等完全にアナログなものでした。
私が高校受験していた頃の花形番組は、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、文化放送の「セイヤング」、TBSの「パックインミュージック」というもので、当時は地方局に配信されるということも一般的ではなかったのか、東京からのAM波を四国の片田舎でクリアに受信することは至難の業でした。そこで「ラジオの製作」という雑誌の解説などを参考にしながら、家の軒下に長いニクロム線を張ってアンテナとし、ラジオに繋いでいました。それでも周期的に「ザ~ッザ~ッ」というノイズが入って肝心なところが聞き取れない、というもどかしい思いもしたものです。田舎在住の悲哀ですね。
当時私が一番聞いていたオールナイトニッポンの人気DJの一人、亀渕昭信さんは後にニッポン放送の社長まで上り詰め、ライブドア騒動の際はフジサンケイグループの経営陣の一人として活躍したようです。ゴスペル歌手の亀渕友香さんは実妹。
またライバル番組の「セイヤング」には当時「レモンちゃん」の愛称で人気絶大だった作家の落合恵子さんがいて、みのもんたさんも同期入社のDJでした。
皆さんその後随分活躍された訳ですが、私が大学受験期となった頃にはその深夜放送ブームも一段落し、これらの花形DJ達も後進に道を譲るということが多くなっていました。それもあってか私が深夜放送を聞くことも少なくなりましたが、その影響で受験勉強に身が入らなかったというのは全くの言い訳。
そして上京してから聞き始めたのがFM放送です。地元のFM香川が開局するのは1988年のことですから、この後まだ14年も待たねばなりませんが、FM東京、今のTOKYOーFMは1970年既に放送を開始していましたから、狭いアパートの部屋でよく聞いたものです。
当時聞いていた番組で印象に残っているのは、洋楽の「ポップスベスト10」と邦楽の「歌謡ベスト10」です。この番組で情報を仕入れていないと仲間内での会話についていけない、という時代だった気がします。番組名を忘れてしまっていたのですが、ネットで調べて何とかたどり着きました。今回ChatGPT君は頓珍漢な返答ばかりで役に立たず。情報インプットが下手だったせいかもしれませんが、、、。
あとは深夜の「ジェットストリーム」ですか。イージーリスニング系の音楽が当時の大学生には物足りない感じでしたが、パーソナリティ(この頃にはDJでは無くこう呼ばれるようになっていました。)である城達也さんの良く通る低音ボイスはとても魅力的でしたし、当時はFM東京流しっぱなしということも多かったですから、今でもこの声の方が耳に残っています。今の福山雅治さんの声も魅力的ですね。
そして今現在、自宅内にはラジオを受信する装置すらなく、ラジオはクルマを運転中に聞くFMかAFNにほぼ限られるようになっていました。AFNを聞くのは私が英語通だからではなくFM放送のパーソナリティの喋りが鬱陶しくなった時に切り替えているのですが、以前と違って最近のFM放送は喋りが多くなり、その話題に全く興味のない時やパーソナリティの話し方が好きじゃない時には聞いていても全くリラックス出来ません。そんな時は英語が聞き取れないことで逆に米軍放送の方が精神的に落ち着くのです。
そんな中、私が好きなBABYMETALの3人が今年初めからTOKYOーFMで番組を持つことになり、これは聞かねば、という事になりました。上に書いたようにラジオ受信機はありませんが、今では「Radiko(ラジコ)」という便利なソフトもありますから問題ありません。かくして毎週土曜日19時半からはPCの前で、またはスマホを片手にFM放送を聞く、という昔懐かしい習慣が復活しています。短ければ1クール3カ月で終わってしまうのかも知れませんが、何回か聞いて見ても、とても楽しい番組ですから、できるだけ長く続いて欲しいものです。