今年の桜旅パート2東北編は、業務の合間を縫っての実施となることが最初から決まっていたのですが、初っ端から予定を一日繰り上げて千葉の自宅に帰ることとなりました。桜の咲く順番と業務の折り合いをつけるのは想定以上に難しそうで、移動距離が長くなる東北では尚更です。
一旦仕切り直すこととして帰宅した翌々日は再び宇都宮で仕事でしたが、午後早い時間には任務完了となりましたので、そのまま山形方面に向かう事にしました。
三日目のスタートですが、この日は山形市まで移動するだけで夜となりましたので、実質的には四日目からが桜旅です。
午後3時頃、宇都宮市内から宇都宮ICで東北道に乗り、福島JCTから東北中央自動車道で山形PAに着いたのが午後7時過ぎ、冷たい雨が降り続いていて、辺りは既に真っ暗でした。途中休憩で立ち寄ったSA(たしか那須高原だったと思うのですが記憶が曖昧です。)で買ってきた弁当で夕食を済ませ、風呂もパスして早々に就寝しました。翌日は霞城公園(山形城)に行く積りで、過去の経験から朝一で訪問しないと名勝地は大変混雑することを学びましたので、なるべく近くのSA/PA・道の駅まで進んでおきたかったのです。食事もそこそこに早寝したのもそれが理由なのですが、この日はアイドリング音(冷凍・冷蔵機のコンプレッサー音?)が相当うるさい大型が一台いて、更に雨の音もかなり激しかったですから安眠はできませんでした。ここは小さなPAで、乗用車エリアで朝まで停まっていたのは多分私のハイエースだけでした。
翌朝は上記の理由で安眠出来なかったことで少し寝坊してしまい、7時過ぎの出発となってしまいました。既に出勤ラッシュが始まっていましたが、山形市内の混雑もさほどではなく、20分弱で霞城公園に到着、遅くなったおかげで天候が回復して来ていたのはラッキーでした。
まだ7時半でしたから観光客は少なく、城址公園の構内を抜けて通勤・通学を急ぐ地元の人たちの方が多かったです。
霞城公園を出て、次は鶴岡市に向かったのですが、途中の月山道路はまだまだ冬のたたずまいで、道路凍結こそありませんでしたが、地元車の速いペースに付いていくのに緊張しました。今年は北海道にはいかないのでノーマルタイヤに戻そうかなとも思っていたのですが、スタッドレスのままにしておいて良かったです。
鶴岡市に着いた時にはまた天候が悪化していて、強い風と雨、時折霰(あられ)まで降って来ます。一度はクルマを駐車場に停め、傘をさして歩きだしたのですが、ビニール傘が壊れてしまいそうな吹き降りでしたので早々に諦めて退散することにしました。良く見えませんが最初の写真は霰が車体に強く打ち当たっている時のものです。
鶴岡市といえば時代小説作家藤沢周平の故郷で、彼の小説に登場する海阪藩は庄内藩・鶴岡をモデルにしていると言われています。藤沢周平のファンだった私はここを楽しみにもしていたのですが、市内散策はまた次の機会とします。
天気も思わしくありませんでしたから、山形はここまでとして秋田に向かうことにしたのですが、秋田ではまだソメイヨシノは本番を迎えておらず、南部の由利本荘付近のみが7分咲き程度という情報でした。
由利本荘の更に南手のにかほ市には勢至公園という桜の名所があるみたいで、鶴岡から下道でも2時間あれば行けそうでしたので、この日の内にそこまで行くことにしました。
その前に腹ごしらえです。鶴岡市内で検索して「麺処鵬匠」という蕎麦屋を選んだのですが、大上段に構えた店名とは裏腹に、気さくなおばさんたちが接客してくれる気取らないお店でした。蕎麦も大変コシがあって美味しかったです。
酒田からは日本海沿岸を進むのですが、天候は徐々に回復してきたものの風が強かったですから、日本海は冬を思わせるようなかなり荒々しい波を立てていました。
途中の遊佐町鳥崎というところには写真の「アマハゲ」という看板があり、
「青森のナマハゲと似ていますが、アマハゲは包丁を持っておらず、裏声で「ホーホー」と叫ぶのが特徴。 気になる名前の由来ですが、いろりに当たって皮膚にできた赤いまだら模様を方言で「アマミ」と呼び、そのアマミを剥ぐことを「アマハゲ」と呼ぶのにちなんでいるそうです。」
と紹介されていました。
勢至公園は観音潟という大きな池の周りに整備された公園で、周囲の桜並木はなかなか見事でした。ここは秋田県で最初に咲くソメイヨシノらしく、地元ナンバーのクルマが次々と立ち寄っていました。もう少し雲が晴れれば遠景に雪を頂いた鳥海山が見えるらしいのですが。
ここで3時過ぎとなりましたので、この日はここまでとして近くの「道の駅象潟(きさかた)ねむの丘」に行くことにしました。温泉もある道の駅ですから近くのローソンで食糧調達して、早めに車中泊態勢に入りました。
象潟とは、かつて八十八潟、九十九島の景勝地として知られていた海が、江戸時代の大地震で隆起し陸地となった場所で、今もかつての島の隆起が水田に浮かんだ島のように見えるのだそうです。