前回、夫婦揃っての節制生活開始のキックオフで銀座コリドー街の筋肉食堂に行ったことを書きましたが、食事編に続いては運動編で、筋肉食堂を出て上野に向かう所から再開します。
運動とはいってもジム通いやランニングなどのハードなものを想定している訳ではなく、歳相応に観光を兼ねての街歩きあたりが中心となるでしょうし、この日も上野公園にある「したまちミュージアム」を見学して、その後周辺を歩いて来る積りでした。
筋肉食堂を出て有楽町までは銀座ファイブなどのショッピングモールを通り抜けて行ったのですが、銀座ファイブは客層も高齢者が多く、少し時間が止まっているような感じを受けます。有楽町が近付いて来ると徐々に若者の姿も増えて来ましたが、、、。
有楽町で山手線に乗り、上野の不忍口で降りて「したまちミュージアム」に向かいます。まあ上野ですからかなり人は多かったですが、こちら側は公園口と比べると少ない方で、したまちミュージアムもメジャーとは言えない小規模な施設ですから、訪れる人も多くなくてゆっくり見ることが出来ました。
したまちミュージアムは不忍池の畔ですから、最初は博物館を出たら不忍池の周りを回って上野動物園の方へ向かって歩こうと思っていたのですが、喉も渇いていましたので、不忍池と湯島の間の飲食店街に入って店を探すことにしました。ところが仲町通りというこの通りは昼間は閑散としていて、カフェも見つかりません。不忍池に戻ってもカフェはありそうも無かったですから、湯島天神下まで歩き、そこにあったドトールで一休みです。
ドトールで一息ついた後、ここまで来たら湯島天神にお参りして行こうという事になりましたので、当初の予定は変更して、この日は湯島からお茶の水まで行くコースを歩くことにしました。湯島天神に来たのも久しぶりで、もう10年以上も前に梅を見に来て以来だと思いますが、記憶にあるより社殿よりも新しくなっているような気がしますから、修復が行われたのでしょうか。
お参りを終えて、御茶ノ水駅方面へ向かう通りを清水坂下の交差点まで来たところで、左手に「神田明神」の案内板がありました。千葉県在住の私は、これまで神田明神へは総武線で秋葉原まで来て、そこから歩いていましたので、こんな所に神田明神があるのがとても意外だったのですが、秋葉原よりも御茶ノ水の方がよほど近いところにあったんですね。
せっかくですから神田明神にもお参りしていくことにしました。ちょうど例大祭が行われていて、大きなテントの中には氏子の皆さんが大勢詰めかけていました。さすが商売繁盛の神様だけあって繁盛しています。
またここ神田明神は平将門公をお祀りしている事でも有名で、朝廷の意を受けて将門成敗祈願をした成田山新勝寺とは同時にお参りしてはいけないと言われているのだそうです。それを知らなかった私は、数年前我が家の恒例行事である元日の成田山新勝寺初詣の後、当時関係していた企業の初出に合わせた神田明神初詣にも参加してしまい、あとでそれを知った時は内心冷や汗ものでした。まあその年は格段何の障りも無かったですし、今年も元日には新勝寺に行っているのですが、既に5カ月以上間隔が開いていますから将門公も大目に見て下さるだろうと思います。
神田明神下に出て国道17号線(旧中山道)を渡るとそこには「湯島聖堂」があります。ついでと言っては「日本の学校教育発祥の地」に対して大変失礼ですが、ここにも立ち寄って行く事にしました。
湯島聖堂は五代将軍綱吉によって建てられた「孔子廟」が発展して「聖堂」と呼ばれるようになり、その後十一代家斉の時、更に規模を拡大して「昌平坂学問所」となったことから学校教育発祥の地とされているのだそうです。
大成殿の門の横には、朱子学の本拠地らしく、「宥座之器(ゆうざのき)」という、孔子の説く中庸の大切さを戒める器具が置かれています。「宥座」とは、常に身近に置いて戒めとするという意味らしく、一見、空のブリキバケツがちょっと傾いてぶら下がっているだけなのですが、柄杓で水を汲んでいくと徐々に正立し始めて、さらに水を足していくと一気に傾いてすべてこぼれてしまいます。
そのココロは、「中が空っぽだと傾いてしまう。」が「ほどよく水が入っているとまっすぐになり」、「水を入れすぎるとひっくり返ってしまう。」ということで、わかりやすい例えですね。
その後は、お茶の水ではなく秋葉原まで歩いて総武線に乗り、何だかんだでこの日12,000歩余りの散歩となりました。スタートとしては上々でしたが、肝心なのは今後の継続です。