先日今話題の映画「国宝」を観てかなり感動しましたので、続いて原作である吉田修一「国宝」を文庫版で読んでみました。
映画は歌舞伎好きな私たち夫婦には十分満足できるものでしたが、ほぼ3時間にも及ぶ長い映画ですから、歌舞伎に興味のない人は飽きてしまうかも知れません。小説の方も文庫版は上下巻それぞれ400ページ超えという長編ですから、読み始めるにはかなり気合が必要でした。
読み進めていくと、それぞれの場面で映画のシーンが思い浮かび、とても充実感のある読後感となりました。歌舞伎の世界で芸に生きる男たちの人生を描いた、感動的な作品であることは映画も小説も共通でしたが、主人公の喜久雄が、血筋・家柄、才能、そして友情・恩義などと向き合いながら歌舞伎の道を極めていく姿からは、映画で喜久雄を演じた吉沢亮が鮮やかに浮かび上がって来ました。この作品に関しては映画⇒小説という順番で正解だったと思います。
作中には実在の歌舞伎演目が随所に挿入されるのですが、歌舞伎に関する知識・素養が無いと場面を想像することは難しく、その点でも映画が先で良かったです。
また映画では「喜久雄(吉沢亮)VS俊介(横浜流星)」の対立構造に絞られ、喜久雄にとっての弁慶役とも言える「徳次」の出番は大幅にカットされ、喜久雄を取り巻く女性陣の描き方もかなり淡泊です。3時間の大作映画とはいえ元々800ページ超の原作ですからかなり圧縮せざるを得なかったのだとは思いますが、その点では小説の方がかなり重厚な構成となっていて読みごたえがあります。
徳次は喜久雄の幼馴染で2歳年上、武家であれば小姓とか乳兄弟といった存在なのですが、喜久雄の家は任侠一家ですから、半グレのような荒々しさ・粗暴さも持っていて、まさに弁慶のような用心棒的存在でもあります。
映画では少年期以降全く登場しないのですが、原作では喜久雄の娘が危機に陥った際には単身で救い出しに行き、任侠的な筋の通し方を見せます。しかしそれだけではなく、その後の娘の人生にも影響を与えたり、窮地に陥った喜久雄を陰日向なく支えたり、単なる用心棒ではない深みのある人物として描かれていて、原作では最も出番が多い最重要人物だと思います。また喜久雄の彼女や妻や娘、俊介の妻などの女性陣の描き方も丁寧で、人物像はより鮮明に浮かび上がって来ました。
そして、老人が昔語りをしているかのような「・・・なのでございます。」といった文体も、任侠という一昔前の特殊な社会や、歌舞伎というこれまた一般社会とは異なった社会を感じさせるのにはとても適していたと思います。最初は長編でもあり躊躇していたのですが、いざ読み始めてみると進むのは意外と早くて、上下巻4日程で読了しました。
吉田修一という作家の事はこれまで名前も知らなかったのですが、この作品がとても面白かったですから、もう少し彼の作品を読んでみようかという気になりました。
彼は2002年上半期の芥川賞を「パーク・ライフ」という作品で受賞している芥川賞作家でもあるんですね。