シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

桜旅16日目:最終日は新潟県上越から自宅まで

この旅の最終宿泊地、道の駅あらいでは、一晩降り続いた雨の音で熟睡できず、6時前には目覚めてしまいました。
道の駅あらいには、富山県氷見市のきときと寿司が支店を出しています。前日ここまで急いだのも、この日のリモート業務をここでこなして、昼ご飯をきときと寿司で食べたいと思ったからだったのですが、あまりに早く目覚めましたので、リモート開始の10時までここで待つことは止めて、車中作業ができる他のサービスエリアまで進んでおくことにしました。きときと寿司も11時までは開きませんから、また次の機会です。

 

6時になる前に出発したのですが、妙高山付近の上信越道は大濃霧で怖いくらいでした。殆ど走っているクルマもいませんでしたのでハイビームにすると、霧に反射してかえって見にくいです。こんな状況は久々で、そういえば昔はこんな状況用のフォグランプを付けたクルマも多かったのですが、最近ではあまり見ないですね。私も子供たちが小さい頃乗っていた初代ステップワゴンにはオプションで付けていましたし、標準仕様でフォグランプが装備されたクルマも何台かありました。最近はヘッドライト自体の性能が向上して視認性が高まったことで装着率は下がっているようですが、当時はシビエやマーシャルというラリー車が付けているようなフォグランプを競って付けていましたね。

 

長野市あたりで霧は薄れてきて走りやすくなりましたし、出勤を急ぐクルマが増えてきたこともあって平均速度は格段に上がりました。横川SAに着いたのはまだ8時過ぎでしたから先に進むこともできたのですが、燃料が残り少なくなりあと数十キロしか走れない状態になっていましたので、ガソリンスタンドがあるここ横川SAで停留することとしました。

 

想定より早く、昼過ぎには業務終了しましたので、ここで名物峠の釜めしを食べていくことにしました。恐らく最後の休憩となるでしょうから家族へのお土産もここで買い、出発前には忘れずこの旅最後の給油です。お値段は何と軽油で169円也!これまでの最高価格更新でした。POLOならハイオクですから200円超えですね。

 

 

夕方自宅近くまで帰ってくると、この日は関東地方も雨風が強かったですから、満開の桜はかなり散り始めていましたが、まだまだ多く咲き残っていてくれました。これで今年の桜旅西日本編はひとまず終了です。

 

今年は開花宣言が出た頃から暖かい日が続き、一気に開花が進みました。西日本編を終えて東日本編、東北・北海道へ出かけるまで2週間程の間隔を空けておいたのが裏目に出たようです。2週間余りの不在期間に溜まった諸々の所用をすべてこの期間に入れ込んでいましたのですぐに出かける訳にも行かず、そうこうしている内に東北では既に北端の弘前でも盛りを過ぎ、行くとしても北海道だけという状況になってしまいました。それも道南には間に合いそうもなく、どうしたものか考えどころです。
出発はゴールデンウィーク前としていたのですが、東北をパスして北海道だけを対象とするのならもう大洗からフェリーで苫小牧までワープしてしまいたいですが、この時期既にフェリーは予約が取れず、、。どうするかもう一度悩んでみます。

 





 



 

 

桜旅15日目:福井県高浜から石川・富山を経て新潟県上越へ

 

桜旅も3週目に突入ですが、翌日中には家に帰り着いておく必要がありましたし、リモート業務の予定もありましたから、実質この日が桜旅としては最終日となりそうです。
まずは高浜町のお隣、小浜市の小浜公園です。オバマ大統領誕生時には話題になった街ですね。早朝なので人影も殆ど無い静かな公園でしたが、桜は7~8分咲きといった所でしょうか。

 

 

次に向かったのは敦賀市にある金崎宮です。
途中若狭有田というローカル感満載のJRの駅や、有名な気比の松原などに寄り道しながら、小樽行の長距離フェリーを見下ろす金崎宮という神社に到着しました。その昔は金ケ崎城というお城のあったところで、色々な悲劇の現場となった場所です。

 

ライダー憧れの小樽行新日本海フェリーの沖に停泊しているオレンジ色の船は、RORO船(貨物の積み=Roll on、下ろし=Roll offのためのゲートを有する貨物用の船舶)と呼ばれる船で、フェリーと同様な車両乗降設備を備えていますが旅客は載せず、トレーラーで積み下ろしをしてコンテナだけを運びます。近海郵船というこれも小樽航路の船のようです。

 


次は越前市の花筐(かきょう)公園です。能楽の世阿弥の謡曲に、継体天皇と照日の前との恋物語「花筐(はながたみ)」というのがあり、そのゆかりの地として名づけられたのだそうです。

 


ここからは石川県に入り、加賀市大聖寺の熊坂川土手の桜並木を見物しました。そんなメジャーなスポットではないようで訪れる人も居ませんでしたが、隣接する保育園では入園式が行われていて、幸せそうな若い家族が桜の下で笑顔満開でした。そしてこの公園ではトイレまでも見事な陶器で飾られていましたが、この辺りは古九谷の里と呼ばれるところなんですね。

 

 

残り時間が限られてきましたので、ここからは先を急いで富山県に入り、南砺市の小矢部川公園を最後の立ち寄り地としました。
その前に、道中目に付いた食堂でカレイの南蛮漬け定食の昼食としましたが、適当に選んだにも関わらず満足できる食事でした。

 

小矢部川公園では、立山連峰をバックにして、水量豊かな小矢部川の両岸に桜並木と菜の花と水仙が続いています。この桜旅の締めくくりにふさわしいところで、しばらく桜の下の遊歩道を散策して、この光景を目に焼き付けて来ました。

 


ここからは翌日の帰路を少しでも短縮すべく新潟方面へ急ぎますが、その前に新潟県境に近い朝日町で、名物のたら汁を食べることにしました。このあたりは、たら汁街道とも呼ばれているのだそうで、前日名古屋在住のバイク仲間がここのたら汁を目的としたツーリングに来ていたことを知らされ、俄然食べる気が湧いていたのです。
ただし、彼のお目当てだった有名店「栄食堂」はこの日定休でしたから、その近くにあった「きんかい」というドライブインに入ることにしました。長距離ドライバーや馴染み客で賑わっていて、栄食堂の味はわからずじまいでしたが、結果ここで十分満足でした。

 


夕食を食べた後は、北陸自動車道の朝日ICから高速に乗り、一気に上越市の新井SAに向かいます。途中段々雨が強くなり、サービスエリアに着いた時には本降りの雨でした。ここは道の駅が併設されているのですが、主要な商業施設は殆ど道の駅側にあります。雨さえ大したことなければ、高速を降りずにこのままサービスエリア側で車中泊したかったのですが、半端ない降り方でしたから、やむなく一旦高速を出て、商業施設が近くにある道の駅の駐車場に移動し、こちら側のローソンで翌日車内での業務中に食べる食料などを買い込み、この日は風呂もパスして車中泊態勢に入りました。終夜ハイエースの屋根を打つ雨の音がうるさかったです。

 

 

 

 

 

桜旅14日目:兵庫県香美から京都を経て福井県高浜へ

 

この桜旅もいよいよ最終盤、3日を残すだけとなりましたが、最終日はリモートワークの日ですから、実質残りは2日と少しです。
この日はここ兵庫県から京都府の丹後、福井県の若狭という、これまで殆ど訪れたことがない地域を巡ります。SSTRという石川県の千里浜なぎさドライブウェイをゴールとするイベントに参加する度に、行こうと思いながら果たせていないところでもあり、今回はバイクではありませんが楽しみです。

 

前日の記事で書き忘れたのですが、九州を出て中国地方に入った頃からハイエースのアドブルー残量警告燈が点灯し、どこかで補充しないとと思いながら走っていました。前日いよいよ残り700kmまで来ましたので、鳥取市内を抜けている時にオートバックスに立ち寄り、5リットルパックを購入して補充しました。ガソリン車なら必要ない作業で面倒ですが、高校生の頃乗っていた2サイクルのバイクはエンジンオイル混合方式で、定期的にオイルの補充が必須でしたからそれと似たようなものですね。

 

 

沿道の桜やきれいな海岸線の風景を楽しみながらハイエースを東へ走らせます。今回の旅では日本海がとても穏やかで、波一つない日が続いていました。若狭はリアス式海岸で、波から守られているということも大きいのでしょうが、その手前からもずっと穏やかな海でした。
竹野海岸や小天橋(しょうてんきょう)というあたりはとてもきれいでしたが、小天橋とは文字通り小規模な天橋立という意味なのだそうで、確かに地図で見ても良く似ています。ただ残念ながら、天橋立のように高い所から俯瞰できる場所が近くに見当たらず、それを実感できないまま通り過ぎてしまいました。後から調べたところ、少し南に行けばかぶと山展望台というのがあったみたいです。

 

小天橋まで来ればもう京都府で、京丹後と言われる地域です。ここからは丹後半島を日本海沿いに回り込んで、舟屋で有名な伊根を目指しましたが、左手に日本海を見ながら丹後半島の海岸線を進む国道178号線は、昨年の夏に行った青森県津軽半島西岸の竜泊ラインや下北半島西岸の海峡ラインと似た絶景道です。

 

 

伊根には外国人含め多くの観光客が訪れていました。駐車場も混み合っていて交通整理の係の人が殺気立っていましたが、私は運良くすぐ近くのスペースが空いたので苦労なく停めることができましたし、料金も公営という事で100円と格安。その後街を見下ろす山の上の道の駅に行って、そこで昼ご飯にしようと思ったのですが、レストランも混んでいましたので、そのまま次の目的地の天橋立に向かいました。

 

 

天橋立では、股のぞきで有名な展望スポットではなく、更に高い位置にある成相寺(なりあいじ)の展望台に行って見ました。最初からここを目指したわけではなく、案内看板に導かれるままに行って見たらここだったというだけなのですが、結果オーライでした。途中の急こう配・急カーブ・荒れた舗装はハイエースにはかなりしんどかったですが、、。
成相寺に登る道路の入り口付近には丹後国分寺跡という史跡があり、3月で放映終了となってしまったブラタモリで観た記憶がありましたので私も立ち寄ってみました。番組でも紹介されていた通り、内海を見下ろす絶好のロケーションです。

 

 

ここまで昼食を食べ損ねていましたので、天橋立見物を終えて走り始めたところで見つけたローソンで何か買って簡単に昼食とすることにしました。
駐車場に停めた車内で食べていると、何やら望遠を装着したカメラを持った人が何人かローソンの駐車場にクルマを停め、向かいを流れる川の方に歩いていきます。それはそれでけしからん行為でローソンにとっては迷惑駐車以外の何物でも無いのですが、興味がありましたので私もカメラを持って見に行くことにしました。まあ私は買い物もしましたし、数分の話なら咎められることも無いでしょう。
行って見るとその川の下流には長い鉄橋がかかっていて望遠でのぞくと「由良川橋りょう」と書かれていました。撮り鉄番組などで私も何度か見たことのある有名な鉄橋ですね。

 

 

次に向かったのは舞鶴の赤レンガパークですが、その前に海上自衛隊舞鶴地方総監部というところにある海軍記念館を見学して行くことにしました。
私自身は全くミリタリーオタクではないと思っているのですが、軍用機や艦船に武器であるからこその究極の機能美があることは感じますし、組織の在り方などにも興味はありますので、こういった施設にはつい立ち寄りたくなります。
ここの構内の桜も見事に開花していて、海軍(海自ですが、、)と桜というのは予科練の制服が「七つボタンは桜に錨」と歌われたことからの連想かも知れませんが、とても似合う感じがします。

 

 

舞鶴は京都府の東端ですから、そこから少し走って福井県に入り、高浜町にある道の駅「 シーサイド高浜」というところでこの日は泊まることにしました。ここには湯っぷるという温浴施設もありますので、夕食もここのレストランで食べ、全てここで完結することにしました。青戸入江という奥まった湾に面して建つ大きな道の駅です。

 




 

 






















 

桜旅13日目:島根県安来から鳥取を経て兵庫県香美へ

 

前夜は島根県安来の道の駅で車中泊したのですが、安来市は島根県の東端なので、1kmも行かない内に鳥取県米子市となります。
この日は米子城址公園からのスタートでしたが、例によって早朝ですから園内は人影もまばらで静かでした。 

 

公園に面した中海では可愛い女子高生がボート競技の朝練をしていて、岸には大きなアクションと大声で熱血指導中の中年男性。それ以上いくとパワハラと言われるよと余計な心配をしてしまいましたが、考えてみれば距離のある岸からの指導ですから大きな身振り・大声は当たり前ですし、沖でそれを聞く女の子たちも、爽やかな笑顔で「は~い!」と明るく返事。全く心配いらなそうです。

 

 

そこからは「ベタ踏み坂」として有名な江島大橋に行って見ることにしました。米子市の北にある境港市から島根県の松江市に架かる橋ですが、境港は「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な「水木しげる」の出身地ですのでちょっと寄り道です。我々の世代には懐かしい鬼太郎、目玉おやじ、ネズミ小僧などのキャラクターも、知らない人が多くなってるんでしょうね。
ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターたちが並ぶ水木しげるロードというのがあるのですが、そこにある鳥取銀行のATMの前には、写真のようなシャレの効いた注意喚起の看板が立てられていました。

 

 

ベタ踏み坂、江島大橋は確かにかなりの急こう配でしたが、プロの写真家のような迫力は中々出せません。
江島大橋を渡ってすぐ先、中海のまん中を走る県道338線は、中海堤防道路、美保関八束(みほのせきやつか)松江線と呼ばれ、これも有名な道路なのですが、江島大橋のすぐ先がそうだとは知らず、橋を渡ってすぐ引き返してしまいました。行って見れば良かったと後悔しきりです。

 

 

この日走った国道9号線はJR山陰本線と並行して走っていて、下の写真の御来屋駅のような趣のある駅舎もありますので、そういった所で写真を撮ったりしながら、次は出雲神話の因幡の白うさぎを祀った白兎神社に立ち寄りました。
そして白兎神社の少し手前で信号待ちをしていた時に、ハワイ海水浴場というバス停を発見。ここは昔大阪勤務していた時、ある同僚が「また週末ハワイで泳いできましたよ」と何度もつまらない冗談を言っていた場所です。このハワイなら大阪を土曜日の夜クルマで出発して海岸で朝を迎え、のんびり日光浴しながら泳いで、十分日曜の内に帰ってくることができます。漢字では羽合海水浴場ですね。

 


白兎神社は「神話の里・白うさぎ」という道の駅に隣接していますので駐車もしやすく、多くの人が訪れていました。
私もお参りした後は道の駅で昼食にカレイの煮付け定食を食べ、少し休憩してから東を目指しました。


白兎神社の先は淡々とR9を進んで鳥取県を通過し、兵庫県に入って余部(あまるべ)鉄橋で有名な香美町を目指します。地名や橋梁は余部ですが、JRの駅は餘部、これは同じ兵庫県に余部(よべ)という駅が先にあった為に重複を避けたのだそうです。
余部鉄橋はかつて東洋一を誇る鉄橋で観光客も多かった(私も一度行きたいと思っていました。)のですが、その後の痛ましい事故でも有名になってしまいました。
昭和61年、回送列車が走行中に突風にあおられて約41m下に転落し、水産加工工場と民家を直撃、車掌1名と水産加工工場女性従業員5名が死亡し、6名のけが人が出た、というものです。
その後現在のコンクリート橋に架け替えられ、餘部駅に隣接して空の駅という施設もできています。

 

その後矢田川沿いを内陸部に後戻りして、撮り鉄の間では有名らしい矢田川橋梁あたりで写真を撮ったりしながら日帰り温泉に寄り、同じ香美町の「道の駅あゆの里矢田川」というところで車中泊です。

 

 

 

 

桜旅12日目:広島県福山から岡山・鳥取を経て島根県安来へ

 

桜旅も12日目となり、中国地方でも満開に近いところが多くなって来て、毎日が眼福です。ここからは鳥取に抜けて丹後・若狭というあまり行ったことのない地域から北陸を回って帰ろうと思います。

 

その前に、ここ福山SAからも近い鞆の浦に行きます。小さい頃祖母に連れられて来たようなのですが、記憶が定かではありません。ただ、帰りに乗った福山港から香川県の多度津港までの定期航路(当時は瀬戸内海にはこういった定期航路が沢山ありました。)で、その船の船長だか航海士だかが、たまたま祖母の教え子であり、偶然を喜んで一室しかない特等室を使わせてくれたことだけはよく覚えています。今なら服務規律違反だの何だのでうるさいことになるでしょうが、昭和のおおらかな時代の話です。

 

福山SAから福山東ICまで進んで高速を降りれば、30分程で鞆の浦に着きます。駐車場にクルマを停め損ねて昔の街並みの中に入り込んでしまい、引き返すのも面倒でしたから、先にこの街を見下ろす後山という山に登ってみることにしました。期待以上の景観で満足したのですが、駐車場には「ポニョの駐車場」という表示が。ここでジブリ映画「崖の上のポニョ」のロケが行われたんだそうですが、アニメなのにロケやったんですね。

 

 

鞆の浦といえばやはり港の常夜燈ですが、街並みも良く保存されていて風情がありました。朝早かったので空いていたのですが、古い町家で営業していたカフェでコーヒーを飲み、帰ろうとしている時に観光バスが到着して大勢の外国人観光客が降りて来ました。

 

 

ここから鳥取県に北上する予定でしたが、ここまで来たら父の墓参りにも行かない訳にはいきません。ここ広島県最東部の鞆の浦から岡山県西部の実家や父の墓までは1時間もかからない距離ですので、祖父母の墓には行って俺のとこには来ないのかと怒られそうです。その前に実家近くの丘の上の公園に立ち寄って桜見物をしたのですが、ここはまだみんな若かった頃に何度か来た公園です。

 

 

墓参りと言っても、納骨堂で永代供養してもらっていますので墓守りの必要はなく、線香と花を納骨堂前に備えて拝んでくるだけです。その後母と近くのカフェで昼食を食べ、その足で私は鳥取へ向けて出発しました。

 

岡山県から鳥取県へは中国山地を抜けて行くのですが、途中通った岡山県道33号線は、九州で桜の見事さに感動した国道327号線に匹敵する見事な桜街道で、下の写真以外でも沿道の多くの桜を堪能しました。

 

 

鳥取県に入ってこの日最後に立ち寄ったのは、西伯郡南部町にある、法勝寺川土手桜という所です。ここもこれまで何度か訪問したのと同じ土手の桜並木ですが、段々日が傾いてきて暗さが増した風景と桜の薄い桜色、黒い幹が何とも言えず美しかったです。この時間には訪れる人も少なくなっていて最後は独り占めでした。

 


この日の宿泊は鳥取からまた島根に戻って安来市にある「道の駅あらエッサ」としたのですが、さすが安来節の地元、このネーミングは秀逸ですね。
道の駅に向かう途中、このあたりのシンボルでもある大山が良く見えていたのですが、その内に日が暮れてしまい、急いで日帰り温泉に立ちよった後、道の駅に着いた時にはもう真っ暗でした。

 


中国地方の道の駅は車中泊を歓迎していないようでしたから、この日もサービスエリアでと考えていたのですが、山陰自動車道にはサービスエリアが少なく、ここは勘弁して貰う事にしました。しかし同じ事情の人も多いようで、ここには多くの車中泊組が居ました。

 

 

 

 

桜旅9・10日目:山口県山口から島根県を経由して広島県宮島、翌日は終日滞留し夜は広島市へ

 

山口市の郊外にある「道の駅仁保の郷」を出発して向かったのは津和野です。山口県ではなく島根県なのですが、これまで一度も行ったことが無く、地理的にも近かったのでまずここを訪れることにしました。
起きてすぐ宿泊お断りとの貼り紙を見つけたことで、道の駅でゆっくりする気分ではなくなり早々に出発しましたから、津和野に着いたのも早く、おかげで静かな中を散策できました。気温は6℃とかなり冷え込んでいましたが、、。

 

 

ここからまた山口県に戻り、岩国市の錦帯橋に行くために国道187号線を走っている時に、「日本の棚田百選 大井谷(おおいだに)棚田」という看板を見つけて立ち寄ってみたのですが、途中の渓流もきれいでしたし、棚田も美しく石垣が組まれた見事なものでした。
沿道には他にも絵になる桜が沢山あったのですが、いちいちクルマを停めていたらいつまでたっても先に進めないですし、また停められないところの方が多いです。

 

 

錦帯橋には昼過ぎに到着。メジャーな観光地だけあって錦川の河川敷に設けられた駐車場も一杯で、平日にもかかわらず花見客で混雑していました。岩国という場所柄、Yナンバーの米軍関係者も多かったですね。

 

翌日の夜は広島市在住の旧友と会食の約束をしていましたので、この日は広島市まで行って泊まる積りでした。ただ中国地方の道の駅では車中泊派は歓迎されざる客のようでしたし、広島市の近くには道の駅もありませんでしたから、この日は広島市の少し手前、廿日市市にある山陽自動車道のサービスエリア、宮島SAで車中泊することにしました。宮島の前を通り過ぎて広島市中心部との中間点位にあるのですが、その前に立ち寄った日帰り温泉はまさに宮島の真向いの施設でした。

 

 

その次の日、10日目には広島市近郊の桜見物と平和祈念公園・呉・江田島あたりの観光を予定していたのですが、前夜から大雨が降り始めて終日止むことがなかったですから、観光は中止して宮島SAで終日滞留し、車内でブログ整理したり、ちょっと仕事を片付けたりして過ごし、夕方になって友人との会食の為に広島市内に向かいました。

 

この日は会食を終えてからの車中泊も億劫でしたから市内のホテルを取り、会食前にはコインランドリーで洗濯、早めにチェックインしてシャワーを浴びて準備完了です。
友人がホテル近くの居酒屋を予約してくれていましたのでそこで軽く食べて飲んでしている内に、喫煙可の店内の匂いが両名共に気になり始めましたので場所を変えることにしました。二人とも以前は喫煙者だったのですが、その方がタバコの匂いには敏感になるようですね。
締めの食事は広島名物のお好み焼きにしようということになったのですが、以前もこの友人に連れて行ってもらった「ふみちゃん」という有名店が超満員で、いつ入れるのかもわかりませんでしたから、「徳川」という特に広島焼が売りという訳ではない普通のお好み焼きの店に入店しました。
聞けば、数十年広島で住みながら彼は広島焼がさほど好きではないのだそうです。ふみちゃんに行くのは遠来の客をもてなす時で、その時も彼自身は広島焼でなく焼きそばを頼むのが常で、普段はむしろこの店を贔屓にしているんだとか。
ということで徳川では通常お好み焼きの海鮮ミックス焼きを注文したのですが、普通に美味しく頂きました。
その夜は久々のホテル泊で、やはり周囲が静かなのとトイレがすぐそばなのは楽ですね。かなり安眠できました。

 

 

 

桜旅8日目:佐賀県唐津から福岡を経て山口県山口まで

この日は佐賀県唐津市の「道の駅厳木」を出発して、福岡県の桜見物に向かいました。夜通し降っていた雨も上がり、観光には快適な春の一日となって、まずは久留米市の発心(ほっしん)公園です。途中吉野ケ里遺跡のそばを通過したのですが、朝早すぎてまだ開いていませんでした。昨夏の東北ハイエース旅では青森の三内丸山遺跡に行きそびれており、行けるときに行っておかないとチャンスを逃し続けますね。

 

発心公園は、久留米市東方の山裾にある公園で、歴代藩主の花見の場所でもあったそうです。この日ソメイヨシノはほぼ満開でしたが、早朝ですから殆ど人けはなく、のんびり散策できました。園内には久留米を訪れた時に立ち寄ったという夏目漱石の歌碑もありました。

 


発心公園を出て、ハイエースを北へ走らせ、次は朝倉郡筑前町の草場川の桜並木を目指しました。発心公園で舞った桜の花びらがハイエースのフロントガラスにくっついていましたので、信号待ちの間に一枚。ソメイヨシノの花びら自体は殆ど白色なんですね。
草場川の桜並木は、護岸工事とかされていない昔ながらの土手に植えられた桜並木でとても風情がありましたし、月曜日でしたので訪れている人も少なくゆったりしていました。一心に愛機ハンターカブの写真を撮っている男性が居たのですが、ライダーとしてその気持ち良くわかりました。

 


次は、朝倉市にある秋月城址の杉の馬場通りです。ここはメジャーなスポットらしく有料駐車場も整備され、多くの観光客で賑わっていました。先ほどまで居た草場川の桜並木とは全く違う賑やかさで外国人観光客も多かったですが、人混みがあまり得意ではない私は早々に退散し、九州を出て山口県に向かう事にしました。

 

 

そのまま山口県に向かう積りだったのですが、通り道でもありますので北九州市の門司区にある布刈(めかり)公園に寄って行くことにしました。
門司は祖母の故郷であり、阿蘇出身の祖父と結婚した祖母が家庭を持った土地でもあります。幼い頃の私は里帰りの祖母に連れられて何度も門司に来ていて、その時に泊まる祖母の姉の家からこの布刈公園が良く見えていました。関門海峡を見下ろす山上にあって、園内にあるパゴダというビルマ仏教式の仏舎利塔が特徴的でしたので、この風景は門司の記憶と共に残っているのです。

 

 

これで九州の桜は打ち止め、関門トンネルをくぐって山口県に渡り、中国地方編の開始です。
まずは美祢(みね)市にある、厚狭川(あさがわ)河畔の桜並木通り。午前中行った福岡県筑前町の草場川桜並木と同じような川岸の桜並木ですが、こちらの方は市街地にあって、最寄りの市役所の広場ではライブ演奏等のイベントも行われていましたので見物客は多かったです。

 


 

ここ美祢市には有名な秋吉台もあって、そこの家族旅行村は桜も見事らしいので行って見ることにしました。入り口の駐車場の桜はかなり咲いていましたが、まだ少し早い感じでしたので、カルスト台地の景観を楽しんだ後は、この日の宿泊地と決めた道の駅に向かう事にしました。

 

 

この日の車中泊場所は山口市の郊外にある「道の駅仁保の郷」で、県庁所在地とは思えない程鄙びた場所にある道の駅でした。車中泊組も3組だけと寂しい感じだったのですが、翌朝になってその理由が判明。トイレわきにこんな貼り紙がしてありました。
このポスター自体は他の道の駅のものですが同様のものでした。

 

 

中国地方の道の駅全体での取り決めのようで、我々は全く歓迎されざる客のようですね。小さく仮眠することは構いませんとも書かれているのですが、宿泊と仮眠はどう違うのでしょう?私は道の駅が閉店した後に到着し、翌日開店前には出発するのですが、それでも問題なんでしょうか?
元々車中泊組のマナーの悪さが顰蹙を買って招いた事態なのは間違いありませんが、肩身が狭いですね。その後、道の駅併設のRVパークを利用しようともしたのですが、そこは前日までの予約が必須との事で、当日昼頃にようやく宿泊地を探し始める私の今回の旅のスタイルには合いませんでした。

 

 

 

桜旅7日目:福岡県大木から佐賀・長崎を経て再び佐賀県唐津へ

 

福岡県大木町の道の駅おおきを出発して、この日は佐賀県に入り鹿島市の旭ヶ岡公園が最初の目的地です。開花状況と、佐賀市などの大きな街以外で選んだのですが、佐賀県三大桜の一つともいわれているんだそうで、確かに見事な桜でした。

この日は朝からずっと有明海を左手に走っていることが地図ではわかっていたのですが目視は出来ず、途中赤信号で止まった交差点がたまたま有明干拓入口というところでしたから、有明海を見に行くことにしました。海岸線はそこから3kmも先で、途中にはむつごろうCCというユニークな名前のゴルフ場もありました。干拓後にできたのでしょうが、どこにあるのか一発でわかる名前ですね。有明海は波一つなく穏やかでしたが、漁港には人の姿もありませんでした。

 

 

鹿島市はここからはもうすぐで、旭ケ丘公園は佐賀藩の支藩であった鹿島藩の城跡に作られた公園です。城郭は残っていませんが中々立派な城構えで、東大の赤門のような本丸御殿正門は佐賀県立鹿島高校の校門です。こんな校門を毎日くぐって登下校していたら意識も高くなるでしょうね。

 

 

佐賀県であと1~2か所は行きたかったのですが、他は佐賀市周辺が多かったですからそこは敬遠して、まずは長崎県の佐世保まで走ることにしました。長崎県でも長崎市周辺はパスです。

目的地は西海橋公園で、地図で見ると西彼杵(にしそのぎ)半島の先端部です。私はこれまで佐世保から西海橋を渡った先は島だとばかり思っていて、この読み方も初めて知りました。そういえばバイクやクルマで何回か来た時も西海橋を渡ってしばらく景観を楽しんだ後は引き返していましたので知らないままだったんですね。

 

 

西海橋公園を散策していると、海を隔てた向かいの丘の上に存在感抜群の巨大な3本の塔が見えていました。昼ご飯用に佐世保バーガーとコーヒーを買った時にキッチンカーのお姉さんに聞いてみたところ、「針尾送信所」という元海軍の通信塔で、真珠湾攻撃の極秘暗号文として名高い「ニイタカヤマノボレ」もここから発信されたのだそうです。おかげで「お客さん長崎の人じゃないですね」と一発で見破られましたが、見学もできるそうなので帰りに寄ってみることにしました。
車中で昼食とすべく戻ってみると、隣には全く同じ型・色のハイエースが。何と横浜ナンバーで、年式は私のより新しかったですがグレードも同じでした。

 


針尾送信所は、大正時代に当時最新のコンクリート技術を駆使して海軍が建てた、高さ136mで一辺300mの正三角形を描く3本の電波塔です。戦後進駐軍の手で破壊されなかったのが不思議なくらい保存状態も良かったです。

 



ここからは福岡方面に進む予定でしたが、間にはまた佐賀県があり、伊万里市の山代町という所にある松浦鉄道の浦ノ崎駅が桜の駅として有名らしいので寄って行くことにしました。途中伊万里と並んで焼き物で有名な有田町を走っていて丘の上にとても特徴的な建物を見かけましたので、寄り道することにしました。
とても立派な公園・建物で、歴史と文化の森公園・炎の博記念堂という名前でした。以前「世界炎の博覧会」というものが開催された時の建物らしいですが、焼き物の街らしく水飲み場も陶器でできていました。

 

そこから30分程で松浦鉄道の浦ノ崎駅に着いてみると、桜まつり真っ最中で観光客も多くとても賑わっていました。確かに桜の駅で、駅名表示板も桜一色です。
ここで本当に久しぶりにタコ焼きを買って食べたのですが、かれこれ20年振り位かも知れません。息子が小さい頃タコ・イカ・エビ・カニ・貝というものが軒並みダメ(逆に私は大好き)でしたので、まず家族としか行かない縁日では、タコ焼きを買うということが無かったのです。縁日以外でタコ焼きを買うという発想も無かったですね。

 

いい時間になってきましたので、ここで今夜の宿泊地を検討して、1時間程で行ける佐賀県唐津市の「道の駅厳木(きゅうらぎ)」に決めました。難読地名ですね。まず読めません。
毎日昼ご飯の頃に大体の見当をつけておいて、もうそろそろという所で決定し、同時に周辺の日帰り温泉を探す、というのがパターンで、この日は近くの「野田の湯やすらぎ荘」というところで入浴を済ませてから道の駅に向かいました。この日は終日ぐずついた天気で夕方にはまた雨が降り出しましたので、夕食もコンビニ食材で済ませ、なるべく雨に濡れないようにトイレ近くの駐車スペースを確保して眠りました。

 

 

桜旅6日目:宮崎県都農から福岡県大木まで

 

「道の駅つの」で目覚めてみると、隣には都農神社という大きな神社があり、日向国一の宮だとのことです。これは行って見ねばと出発前にお参りして来ることにしました。千葉でも安房・上総・下総の一の宮には行っていますし、全国の一の宮巡りというのも面白いかも知れません。一体全国にはいくつあるのかと調べてみると、日本の旧国の数が68国なのに対し、一の宮は90社以上あるのだそうです。これは一国に2~5社の一の宮を置く国が複数あるためで、そういえば千葉の安房国にも安房神社と洲崎神社という2つの一の宮があります。
まだ6時過ぎと早い時間でしたので、私以外はハーレーで訪れた男性が一人居るだけで、境内は静まり返っていました。境内の一画には御神象という象の形の木が安置されていて、そこに浮き出たハートマークをなでると夫婦円満、恋愛成就のご利益があるんだそうですが、ハートマークを恋愛のシンボルと認識したのは何時頃からなんでしょう?最近になって商売っ気を出した感じがちょっと興ざめ、といいながらしっかり撫でてきました。

 

 

この日はここから北西方面に進んで、熊本県宇城市の岡岳公園と菊池市の菊池公園に行く予定でした。
延々と山中の道を走り、美郷町というところまで来た時に、「百済の里」という看板を見つけて、寄り道することにしました。私は昔韓国駐在していたこともあって、韓国系の事象には興味を持つ傾向があります。とはいっても韓流ドラマ・映画、K-POPには全く関心がないのですが、、。
行ってみると、ここには1300年程前の奈良時代に百済が滅んだ後、王族たちが日本に亡命して宮崎に流れ着き、王の禎嘉王は美郷町南郷神門に、長男・福智王は木城町比木に移り住んだという伝説があって、地元の人々はこの王族のことを「百済王伝説」として語り継いでいるのだそうです。この伝説を元に、美郷町には「西の正倉院」や「百済の館」が整備されていて、見学もしてきましたが立派なものです。私は韓国に居た時、その百済滅亡の最後の都となった扶餘(ぷよ、ふよ)にも行っていますので感慨深かったです。

 

 

ここはまだ宮崎県で目的地はまだまだ遠かったのですが、ようやく熊本県に入り通潤橋で有名な山都町まで来たところで、急に思い立って阿蘇に寄って祖父母の墓参りをして来ることにしました。元々行程を決めた旅ではありませんからそのあたりは自由です。
せっかく近くまで来ているのに素通りでは叱られそうですし、おかげで阿蘇名物の高菜飯とだご汁の昼ご飯も食べられました。私どちらも大好物なんです。

 

 

という寄り道のおかげで宇城はちょっと経路から外れてしまいましたので、この日は菊池公園のみとして阿蘇を下って菊池市に向かいました。かなり大きな公園で人出も多かったのですが、既に夕方で帰る人の方が多く、係の人のスムーズな誘導もあってすぐ駐車することができました。
この公園は菊池市民の憩いの場らしく、ファミリー層が多かったのですが、この日はコスプレイベントが行われていたらしく、写真のような光景に至るところで出くわしました。かなり遠くから望遠で撮ったのですが、これも盗撮とか言われるんでしょうか?当然ぼかしは入れますが、、。

 


この日桜鑑賞の目的地として決めて行ったのは、結局この菊池公園だけとなりました。
しかし宮崎県から熊本県へ抜けるときに走った国道327号線は見事な桜街道で、有名どころじゃなくても、いちいちクルマから降りなくても十分桜を堪能できました。一方で、その後に走った国道503号線は3桁国道の中でもかなりの酷道で、民家もないので沿道に桜を植える人もいません。ひたすら対向車に気を遣いながら奥深い山地の曲がりくねった細道(国道なのに)を走り抜けるだけです。
たまたまクルマを停めて撮影できるポイントがあったので何枚か写真に残しましたが、こんな場面は本当に何分おきかに出現しますので、走りながら見るともなく見ているだけで桜旅を実感でき十分満足でした。

 

 

菊池公園の後は、翌日からの佐賀・長崎に備えて少しでも近付いておこうと佐賀方面にハイエースを走らせ、結局佐賀県の一歩手前の福岡県三潴郡(みずまぐん)大木町にある「道の駅おおき」で泊ることにしました。この日は溜まった洗濯物をコインランドリーで洗い、日帰り温泉に行き、近くのホームセンターで車内用の備品を購入し、と忙しい夜でした。夕食はコインランドリーの待ち時間にコンビニ食材で簡単に。

 

 

 

 

桜旅5日目:愛媛県八幡浜から宮崎県都農まで

 

4日ぶりに車中泊ではないホテル泊で、いくら古いホテルとはいえ清潔さは確保されていましたから気持ち良く眠れました。
朝の食事をいつもは頼まないのですが、これも車中飯続きで飽きもあったので頼んだところ、由緒正しい日本旅館風の朝食で、お櫃のご飯完食してしまいました。ご飯だけで普段の4~5倍の糖質量はありそうですが、とても美味しかったです。これで770円なら全く文句なし!

 



8時40分の臼杵行きに乗船し、ウチを出てから5日目にしてようやく九州上陸です。
フェリー乗船の際には乗船申込書が必要ですが、ここはオレンジフェリーと宇和島運輸フェリーの2社共同運航で、申込書もそれぞれ別だという事をわかっておらず書き直しさせられました。これまでバイクでもクルマでも乗ったことはあるのですが、初めての経験でした。前はネット予約していたような記憶がありますので、それでこういう事態にならなかったのかも知れません。それにしても共同運航しているのなら申込書も統一して欲しいものです。
船自体はまだ新しくて快適でしたが、これは昨年11月に九州から四国に渡った時と同じ船体のような気がします。

 

 

臼杵に着いたのは11時過ぎ、臼杵も風情のある街ですがまだ桜には早いようです。大分はまだ山桜が目に付く程度でしたので、この日は九州の東岸を走る国道10号線を宮崎目指して南下しました。宮崎に入ると徐々にソメイヨシノも目に付くようになり、走っているだけでウキウキしてきます。
そして宮崎と言えば鶏だろうということで、道中目についた店でチキン南蛮定食の昼ご飯、それはそれでとても美味しかったのですが、その店では船橋から来たというソロツーリング中の若者と遭遇、こんなところでと千葉県民同士驚き合いました。

 


宮崎県では、高鍋町の鶴舞公園、宮崎市の垂水(だるみず)公園、西都市の西都原(さいとばる)古墳群を目的地と決め、まずは舞鶴公園に着きました。この日は翌日からの桜まつりの準備の真っ最中でしたが、今年は絶好のタイミングで祭りが出来ると皆さん喜んでいました。

 

次に向かったのは宮崎市の垂水公園です。県庁所在地のような大きな都市にはあまり近付かないようにしているのですが、ここは宮崎市といってもかなりはずれの方で、まったく渋滞とかの心配はありませんでした。公園の桜もきれいでしたが、公園に至るアプローチの桜並木が桜のトンネルと呼べる程のところもあってとても見ごたえがありました。

 

「だるみず」と読めませんかね?


この日の最後は西都市の西都原古墳群の菜の花と桜です。ここはメジャーなスポットだけあって平日16時過ぎでもまだかなりの人出でしたが、無料駐車場も広く全く問題ありません。古墳の部分ももっと見たかったのですが時間も遅くなってきたので、この日の宿泊地に向かうことにしました。


この日は最初に訪問した高鍋町の方に戻って、都農(つの)町にある「道の駅つの」で車中泊することにしました。翌日は高千穂方面を抜けて熊本に向かう積りでしたので、できるだけ北上しておきたかったのです。
前回と同じく2日分でまとめようと思っていたのですが、桜見物が始まるとどうしても長くなってしまいますので、今回は1日分で完結とします。

 

 

 

桜旅3・4日目:愛知県伊良湖から和歌山県那智勝浦、そして一気に愛媛県八幡浜まで

 

桜旅2日目の夜は行ったり来たりして、結局愛知県田原市の市街地にある「道の駅田原めっくんはうす」で車中泊しました。着いたのが20時半過ぎで、就寝態勢に入ったのは日付が変わる頃でしたから、この日目覚めたのは7時頃でした。夜中トイレに起きたときには左右のスペースも埋まっていたのですが、既に両隣とも出発していて、駐車場はガラガラ、しかし私はそこからまたのんびりシリアルとコーヒーの朝食を車内で食べて、8時頃ようやく出発しました。

 

 

8時10分伊良湖発の第1便には既に間に合いませんでしたが、第2便は9時30分ですから少し余裕がありました。そこで前日行ったり来たりした際に気になっていた菜の花畑に寄ってからフェリー乗り場に行くことにしました。桜旅なのですが最初の見物は菜の花です。海岸のすぐそばだったのですが、この日は風はまだ強いもののとても良い天気になり、太平洋がとてもきれいでした。

 

 

伊良湖から鳥羽までのフェリーは思った程には揺れず快適でした。思った以上の好天気でしたから鳥羽に着いてからはまず伊勢志摩スカイラインに登ってみることにしました。絶景を堪能した後は朝熊山(あさまやま)の山頂で伊勢うどんの昼食、我が郷土の讃岐うどんとは別物ですが、これはこれで旨いです。

 


朝熊山から下ると伊勢神宮の賑わいの中に出ますが、この日は先を急ぎますので素通りです。
午後はひたすら紀伊半島の東岸を走る国道42号線(愛知県からフェリー路線を含めずっとR42です。)を南下して三重を抜け、和歌山の行けるところまで行って宿泊地を決めるつもりでした。淡々と走って、16時頃に那智勝浦あたりまでは行けそうだと目途をつけ、「道の駅なち」で車中泊と決めました。そしてその前に風呂ですが、ちょっと内陸に入ったところに「湯ノ口温泉」という日帰り温泉を見つけ行ってみることにしました。

 

そして、海岸線を離れて山中に入り込むと、山桜がきれいに咲いているのを多く目にするようになってきました。なかでも白い山桜とは違ってピンク色のきれいな桜が目に付いたのでクルマを停めてみると、「くまのさくら」というのぼりが立てられていて、日本固有の新種として新たに発見された桜なのだそうです。

 

 

また、温泉自体はとてもいい湯だったのですが、そこまでの道が対向もできないような細い山道で、それにはかなり苦労しました。結果かなりの時間を要してしまい、道の駅に着いたのは19時を回っていたのですが、既に車中泊態勢に入った本格キャンピングカーや私のようなワンボックス車中泊派が10台以上もいましたので、うるさくしないようにそっと場所決めをして、途中のコンビニで調達してきたおにぎりや総菜で夕食として、そのまま就寝しました。


 

翌日は、一気に四国に渡り、徳島から高知に向かう予定だったのですが、まずは那智の滝を見物してから出発です。以前バイクツーリングで那智大社には来ているのですが、那智の滝は境内から遠目に眺めただけで素通りしてしまったのが心残りだったのです。

 



那智の滝は期待通りの大迫力で満足だったのですが、そのせいで出発が遅くなり、当初予定通り紀伊半島の海岸線をぐるりと回って和歌山港を目指すなら、便数が少ない徳島行きのフェリーは夕方の便になってしまいそうで、その場合はもう徳島泊です。家を出てから既に4日目であり、この調子では九州に着いた時既に桜が終わっていた、という事にもなりかねません。そこでここはナビが指示する最短ルートを取り、新宮まで少し戻って熊野本宮に向かう国道168号で内陸を和歌山市に向かうことにしました。結果として内陸で沿道の山桜を堪能出来て良かったですし、昼一番のフェリーにも余裕を持って間に合い、和歌山ラーメンも食べられました。

 

 

ここまでの行程が遅れ気味でしたので、フェリーの中で以降の作戦を練り、今回四国は通過のみとして、九州上陸を最優先することに決めていたのですが、徳島港に着く前から海が荒れ始め、徳島ではかなりの雨風でした。観光気分にもならないような空模様はむしろ好都合ですので、四国内はすべて高速を使用して一気に九州行きのフェリーが出る八幡浜まで走り切ることにしました。
途中香川県の豊浜SAというところで、せっかく香川にきているのですから讃岐うどんで軽く夕食としました。四国は通過のみで桜も見られませんでしたが、徳島・香川の名物麺を食しましたのでまあ良しとしましょう。

 

 

最初はこの日も最寄りの道の駅で車中泊の積りでしたが、強い雨風の中、ひたすら暗い高速を走り続けたので疲れてしまい、直前で八幡浜のビジホをネット予約して泊まることにしました。当日19時過ぎでの予約でしたから空きが殆ど無く、昭和風情たっぷりの古びたホテルとなりましたが、風呂付でベッドで寝れるだけで十分です。21時過ぎにチェックインし、コンビニ調達してきた食べ物で小腹を満たした後風呂に入り、そのあと1時過ぎに眠りました。車中泊なら夜更かししないのですが、ホテルの部屋だとしょうもないTVをダラダラ見たりしてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜旅2日目:静岡県富士川から愛知県伊良湖まで

 

桜旅2日目は、静岡県の道の駅富士川楽座で目覚めました。前夜は22時には寝て5時頃まで割と熟睡できました。夜通し結構激しい雨が降っていたのですが、立体駐車場の1階に停めましたので雨の音も気になりませんでした。
ハイエースの窓にはサンシェードを貼って目隠しとするのですが、計8枚の窓への脱着は結構面倒で、後方確認の邪魔にならない後部3枚はつけっぱなし、運転席・助手席の前部3枚は貼るのをやめ、写真のような仕切りカーテンを吊るすことにしました。これで車中泊態勢に入るのもずいぶん楽になりました。また今回から車内照明としてLEDテープを使うことにしたのですが、これがなかなか使い勝手が良く満足しています。これまではLEDランタンを使っていたのですが、車内全体を万遍無く照らせるようになりました。

 

 

この日はここで14時頃までリモート業務の予定でしたが、10時の業務開始までにはずいぶん時間があります。
ということでこの旅初めての車内での朝食は、ハンドミルで豆を挽き、コーヒーを入れることにしました。まずは前日コンビニで買った牛乳をウチから持参したごろグラ糖質60%オフというシリアルにかけて食べます。質素な食事ですが最近は家でもこれです。
湯沸かしはアイリスオーヤマのIHコンロ、以前ホームセンターで在庫処分品となっていたものを衝動買いしていたのですが、やっと日の目を見ました。しかしほんの200~300ccのお湯を沸かすのにポータブル電源の10%近くを消費しますから、本格的調理をするなら、車内換気と耐熱に注意しながらガスを使うことになりそうです。一応その準備はしてきたのですが、それは以降使う機会があればまた紹介します。

 

 

14時までの予定が12時過ぎには終わりましたので、急遽スタートすることとして、昼食も道の駅で売っていた富士宮焼きそばで簡単に済ませました。魚粉が効いていて私の好きな焼きそばです。

 

 

13時からの出発で、しかも下道走行ですから、この日愛知県を抜けるのは難しそうでしたし、前日首都圏の渋滞で懲りましたので名古屋市は避け、知多半島の先端伊良湖から伊勢にフェリーで渡ることにして、その少し手前の「道の駅あかばねロコステーション」を目的地としました。国道1号線から42号線に入りひたすら西進しましたが、この日は雨風共に強く、春の嵐といった状況です。特に風が強くて太平洋の波もかなり高かったです。

 

 

道の駅あかばねに着いたのは17時過ぎ、人気のない寂しい駐車場でしたがまあ車中泊に問題はありません。ただ海辺の道の駅でしたから、風が強いこの日は波や風の音はうるさそうでした。
ここで近くの日帰り入浴施設を検索してみたところ、どこも20km以上も離れたところにしかありません。それならばフェリーが出る伊良湖まで行っておいた方が翌日も便利ですから、車中泊も「道の駅伊良湖クリスタルポルト」というフェリー乗り場横の道の駅に変更し、更に20km程進んで、伊良湖を見下ろす高台にある「伊良湖オーシャンリゾート」というホテルを目指すことにしました。

 

 

なかなか良いホテルで太平洋を見下ろす露天風呂も絶景なのですが、何せこの日は強風が吹き荒れていて、寒すぎて露天からは早々に退散しました。
道の駅に着いてみると、風は更に激しさを増し、すぐ隣のフェリー乗り場からは波しぶきが道の駅の駐車場まで飛んできます。駐車したハイエースも地震かと思うくらいに風で揺さぶられ、ゴーゴーという風の音も凄くてこれでは安眠できそうにもありません。その後車中泊らしいクルマが数台来たものの引き返していき、私もしばらく考えた後、ここは諦めて田原市の内陸部にある「道の駅田原めっくんはうす」まで戻って避難することにしました。そこでも強風に車体を煽られることはありましたが、安心感は格段に高くて朝までゆっくり寝られました。その時当地では暴風警報が発令されていたみたいです。

〈修正〉

伊良湖岬は知多半島ではなく渥美半島でした。地元の方からも御指摘いただきました。お恥ずかしい!

 

 

 

 

 

いよいよ桜旅がスタートしました。

和歌山と高知でソメイヨシノの開花宣言が出た日、生憎の雨模様でしたが、いよいよ桜旅に出発しました。まずは九州へ向けて西進しますが、九州から順に開花してくれる訳ではありませんから、途中開花状況によっては寄り道しながらという事も十分考えられます。

 

私はバイクツーリングでも山間部のクネクネした道が好きですので、クルマの場合もともすれば海沿いではなく内陸の道を選びがちです。ということで今回は意識して海沿いを行くことにして、まずは太平洋沿いに東海道を進むことにしました。

 

朝10時頃近くのローソンに寄ってコーヒーと水を買い込み、ハイエースのオドメーター132,580kmからスタートしました。朝のラッシュを避けた積りだったのが、この日は雨の月曜日、しかも25日とあって都心へ向かう道はどこも大渋滞でした。まあ今は現金決済や集金業務も姿を消したでしょうから、25日だからといって混むという事はないのかも知れませんが、昔は締め日となる五十日(ゴトビ)は混む、というのが常識で、中でも25日と月末はその最大の日でした。この日の状況を見ると今でも多少の影響はあるんですかね?

 


海沿いということで首都高湾岸線沿いの国道357号線を進んで木場から平和島に抜けようと思っていたのですが、2時間経ってもまだ千葉県を抜けられません。20kmしか走っていませんから時速10kmです。
ここでしびれを切らせてR357を逸れ、市川市の「さくらそば」という店で昼食としました。浦安の手前でしばらく動かない渋滞にはまり、本当はいけないのでしょうがスマホで検索してとりあえず向かったお店でした。
GoogleMapでの評価が高かったのもさることながら、桜旅の初回の食事に「さくらそば」とは縁起が良いんじゃないかと思ったのですが、ここは本当に当たりでした。店舗は磨き上げられていますし、調度もBGMもセンス良く、何よりコシのある麺と辛めのツユが気に入りました。

 


そして庭には幸先よく桜の花が咲いていましたが、店名が「さくらそば」なので桜だと勝手に思っただけで、もしかしたら梅か桃かも知れません、、。

 

昼食を終えて再び走り始めると渋滞もかなり解消されていて、横浜を抜けて富士川にある「道の駅富士川楽座」までは渋滞らしい渋滞もなく走れました。とはいっても道中はずっと雨で、高速を使わなかったのでかなり時間はかかり、着いたのは19時過ぎでした。9時間程を要したことになります。この日はもう風呂もパスして、20時まで営業していた道の駅(SA)のレストランで食事を済ませ、早々に寝ることにしました。

 

 


本当はシラス丼とかが食べたかったのですがこの日は入荷していないとの事で、もう一方の売り物サクラエビは、この手のものは何でも好きな私が珍しくそんなに好きではありませんので、結局全く地域色の感じられないローストビーフカレーです。

 

とりあえず初日が終わりましたが、翌日はほぼ半日拘束されて車内でリモート業務の予定でしたから、14時頃まではこの道の駅に滞留し、そこから愛知県へ向けて行けるところまで行く積りでした。
このブログは隔日掲載ですからこの調子で毎日一記事にしていくとどんどん先送りになってしまいますし、今後どうまとめていくのかは考えなくてはなりません。何にしても当分は紀行文みたいな記事が続きますし、車内で小さなタブレット型PCに向かってブログを書くのは結構面倒で、皆さん方のブログへの訪問も回数が減るかも知れません。悪しからずご了承ください。

 

 

 

 

 

昭和風情の喫茶店でモーニングセット

これまで何度か通っている、千葉県西部の街松戸市の八柱にある「喫茶たかなし」にモーニングセットを食べに行って来ました。
半年ほど前にその存在を知り、その時は、もっと近くにあったら何度でも通うのにと思ったのですが、近くでもないのにわざわざ通うようになっています。

 

この日は朝からあいにくの雨で、土曜日でもありましたので近辺の生活道路はどこも結構な渋滞でした。そこをおして出掛けるのですから我々夫婦もかなり好き者です。
家を出てすぐに渋滞につかまり諦めモードだったところに後ろから救急車のサイレンが聞こえてきました。片側一車線の狭い道路で、退避しようにもほんの50cmから1m脇に寄れれば御の字という状態ですからどうするのかなと思っていると、サイレンを鳴らしながら反対車線を逆行して行きました。確かにそれしか方法が無いとは言え、救急隊員の方も怖いでしょうね。

 

そしてこの緊急車両の優先通行に出会う度に妻は、普段はイキリまくっているようなヤンキー車やイカツめのクルマがこんな時はおとなしく道を譲っている風景が大好きだと言います。確かに言われればそうですね。
それにしても渋滞が一向に解消しませんので、しびれを切らせて更に裏道に入って渋滞を回避することにしました。かなり狭い道ですが妻の運転は手慣れたもので助手席に乗っていても不安はありません。
途中の桜並木はまだ開花には早かったですが、枝先にほんのりピンク色が感じられるようになってきていて、私の桜旅もいよいよだなと実感してきました。

 

松戸市の八柱駅近くにある「喫茶たかなし」に着いたのは10時過ぎ、9時から営業開始で既に4組のお客さんが入っていました。昭和風情の喫茶店なのですが老人客ばかりでもなく、若い人たちも結構多いです。この日も隣りは私よりもうひと世代上と思われる男性客2人でしたが、反対隣りは20代後半から30代前半と思われる男女3人組で、明るく談笑していました。幅広い世代に支持されているんですね。

 

この日頼んだのは、私がDモーニングのトーストサンド、妻がBモーニングのバタートーストです。昔ながらのモーニングサービスと言えば妻が頼んだバタートーストなのでしょうが、どうしてもトーストサンドに行ってしまいます。私はアメリカンクラブハウスサンドが好物で、トーストしたパンで作るサンドイッチは拒めないのです。
サラダは別に付いているのですが、サンドイッチ単体でも結構なボリュームのレタスが挟まれており、薄いパンとあわせて、糖質制限の身としては有難い限りです。

 

 


この日はここでメニューを見ていて、やはりかつての喫茶店メニューの定番であるナポリタンを食べたいと思い立ち、帰りにスーパーでマッシュルームとウインナーを買い、自宅で男子ご飯を作ることにしました。
ウチにあったピーマンも入れて、マヨネーズで炒め、トマトケチャップとウスターソースで味付けする簡単ナポリタンですが、結構昔風味の美味しいナポリタンが出来上がります。またまた食欲に負けて写真は撮り忘れました。

 

 

 

 

元ブルーハーツ、甲本ヒロトの(?)名言

元ブルーハーツ、現クロマニヨンズの甲本ヒロトの発言としてネットに出回っている言葉があります。真偽は不明らしいのですが、いかにも彼が言いそうな内容なので多くの人に受け入れられているのだと思います。私も甲本ヒロトの発言として違和感なく受け入れられました。

 

以下そのまま引用します

「学校に居場所がないと悩んでいる子に言ってあげられることはありますか?」という質問に対して、


「居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。友達なんていなくて当たり前なんだから。友達じゃねえよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。」

「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねえよ。」


「ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲良しでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。だからいいよ、友達なんかいなくても。」 

 

この言葉を目にしたことがある方もいらっしゃるでしょうが、彼のことやブルーハーツの歌を知っている人ならば何となく納得できる発言だと思いませんか?
実はウチの娘も、小学校高学年の頃クラス内のボス的存在の友人との関りで悩んでいたのですが、昭和30~40年代に小学生だった私と40~50年代に小学生だった妻とではアドバイスも違っていて、簡単に言えばちゃんと先生に相談して何とかしてもらえば?というのが私、嫌なら学校なんか行かなくてもいいよ、というのが妻でした。甲本ヒロトとほぼ同世代の妻の思考は彼に似ているとも言えそうです。
妻はそれに類した言葉を娘に伝え、その結果かどうかはわかりませんが、娘は件の人物との関りも無難にやり過ごして小学校・中学校生活を終えました。

 

私が小学生だった昭和中期、地方の農村地帯で学校における最強・最恐のボスは何といっても先生で、それに逆らえるものは殆ど居ませんでした。今と違って親たちも先生には絶対服従姿勢で、子供が何か訴えても「お前が悪いんだろ!」と殴られるのがオチでしたから、生徒間の揉め事は何事も先生に裁いてもらう、いわゆる「先生に言いつける」というのが普通でした。先生は万能の閻魔大王みたいなものですが、実は生身の人間ですからエコひいきも感情の浮き沈みによるつじつまの合わない判断も当然ありました。今と違って牽制機能も殆ど無い訳ですから、結構ひどいケースもあったのではないかと思います。そんなときうまく立ち回るのが、いわゆる先生お気に入りの生徒で、彼・彼女の言動は大概の場合先生に受け入れられ支持されましたから、そのポジションを手に入れることは安泰な学校生活を約束されたようなものでした。

 

私は身内に教員が多く、そのせいもあったのかどうか、ほぼお気に入り生徒のポジションですごしましたから、娘の場合もついそういう発想になってしまったのだと思います。他の生徒からすればドラえもんのスネ夫みたいな虫の好かない奴だったんでしょうし、そんな立場からアドバイスしても娘に響かなかったのは当然です。

 

 

 

 

 

 

 

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