シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

国立競技場の「空の杜」をのんびり散歩

 

前回大腸内視鏡検査でポリープ除去を指示されたことを書きましたが、その事前問診のために、いつも定期検査で通っている病院に行って来ました。

 

まだ年末年始休暇の余波で予約が混雑する状況が続いているのだそうで、内視鏡手術の予約が出来たのは半月以上先でしたが、それでもちょうど運良くこの日に空きが出たらしく、当初は2月の末までは無理かもと言われていました。
問診の後、前回の大腸内視鏡検査の時と同じような下剤セットを薬局で貰い、この日の予定が終わったのが11時前、いつもなら国立競技場そばのホープ軒というラーメン屋に寄ってこってりラーメンを食べて帰るのですが、この日は少し自重して病院内にあるカフェのBLTサンドとコーヒーで済ませ、病院を出ました。

 

その後はいつも通り国立競技場まで歩いて、その後外苑前に抜けて行こうと思ったのですが、国立競技場まで来てみると、「空の杜」という案内看板が出ていて、競技場5階の周回路を散策できるようになっているみたいでした。
ちょうど開放日・時間でしたので、階段を登るのは中々大変でしたが、5階の空の杜をゆっくり散歩して来ました。一周すると850mあるのだそうで、私は一周半しましたから1km強歩いたことになります。周囲の景色を眺めながら30分位歩いたのですが、天気も良かったですし、隈研吾さんが設計した国立競技場は木材が多用されていて、周回路脇には多様な植物も植えられていますから、眼下に広がる神宮外苑の緑と合わせて、確かに空の杜という雰囲気を味わうことができました。欲を言えばもう少し植栽の木々が育って、より「杜」を感じやすくなると良いのでしょうが、真冬でもあり木々に勢いがないのは止むを得ないとも思います。

 


国立競技場からは、神宮球場の隣にあった神宮第二球場が完全に取り壊され更地になっているのが見えました。神宮外苑の再開発も推進派の小池都知事が再選されて着々と進んでいるようですね。第2位の得票を得た石丸さんの主義主張は全く知らないので何とも言えませんが、反対派の蓮舫さんが当選していたら、この工事もストップしていたんでしょうか?何だか民主党政権時代の八ッ場ダムを思い出します。

 

競技場の2階まで降りた後は、いつもの神宮球場の前ではなく、日本青年館、国学院中高の裏手を歩いて外苑前を目指したのですが、その途中に青山熊野神社がありました。
せっかくですからお参りしてきたのですが、ここで早速小銭を持たない生活の不具合が発生、お賽銭が無いのです。千円札を入れる程太っ腹ではありませんから、お賽銭なしで拝むだけとなってしまいましたが、果たしてご利益はあるのでしょうか?

 


そこからまた外苑前の交差点と思しき方向へ向けて歩いて、無事銀座線の外苑前駅までたどり着きましたが、どこかで見たような通りだと思ったら青山キラー通りの裏路地で、数年前この道路に面したビルに商談に訪れた時の記憶が残っていたようです。今回ようやくこの界隈の位置関係がわかって来ました。
そこからは地下鉄・JRと乗り継いで帰宅したのですが、日差しが暖かい一日で、計1万歩程の散歩は汗ばむほどでした。

 

 

 

大腸内視鏡検査

 

今回は辛気臭い話で恐縮ですが、今年最初の私の仕事は大腸カメラによる検査を受ける事でした。以前は毎年人間ドック受診の時に受けていたのですが、2年に1回程度で大丈夫と言われて、数年前からは隔年受診しています。

 

ただ2年くらい前に、下腹部の違和感が続くので自宅近くの総合病院で大腸検査をしてもらったことがあるので、今回ここでは4年振りとなります。
前回は病院で下剤を飲んで検査の準備をしたのですが、今回からはそれを自宅で済ませてから病院に行く方法と、従来通り病院でやる方法の二通りから選択できるようになっていました。ただ従来の方式のほうが人気らしく、春まで空きが無いと言われましたので、私は自宅でやる方を選んだのです。
妻はその方式はどうしても嫌みたいで、春になっても良いから病院でやってもらうと言いますので、これまでは二人同じ日に人間ドック・大腸内視鏡検査を受けていたのが初めて別々に受診となりました。まあ同日受診しても空いている順に各検査に呼ばれますし、妻の方は婦人科検診もありますから、始まってから終わるまで1~2回しか顔を合わさないこともざらで、それなら別日で受診しても変わりありません。

 

この日は14時半に検査開始でしたから、自宅出発時間を逆算してその4時間前から下剤の服用を始めるようにと指示されました。それならば9時前に始めれば大丈夫だったのですが、待っていても仕方ありませんから、7時過ぎには下剤を調合して飲み始めました。調合といってもレトルトパック状の容器に水を2リットル入れ、粉状の下剤と混ぜるだけです。
別日程で人間ドックを受ける妻は、ちょうどこの日が受診日でしたから、ウチには私一人しかおらず、自分のペースで服用ができ、昼前には無事お腹の中もきれいになりました。ただ、いくら3~4時間掛けるとはいっても、下剤を2リットルと同量の水を飲むのは中々大変で、終わるころにはうんざりします。

 

尾籠な話ですが、病院では便がかなりきれいになってくると、排便のたびに看護婦さんを呼んで状態をチェックしてもらうのですが、自宅の場合はスマホアプリをダウンロードして、写真でAIにチェックしてもらいます。これができたから自宅での事前準備が可能になったんでしょうね。

 

準備を終えて病院に向かい、予定通り14時半には検査が始まりました。そして私の検査がすべて終わった時、朝から一連の人間ドック検査をしていた妻もちょうど終了時間となっていて、一緒に帰宅することができました。
私の検査の結果は、いくつかのポリープがあり、その内一つは生体検査のために除去されました。事前に同意はしていたので納得ずくですが、その日から3日間はアルコール、コーヒー・紅茶・濃い緑茶等カフェインのきついもの、脂肪分の多い食品は控えることと、海外出張、激しい運動はダメとのことでした。
生体検査の結果は後日通知されますが、更にもう一つ、ちょっと怪しいのがあるとの事で、こちらは本院の腫瘍センターでの除去を指示され、ドキドキしています。
まあこうなったらまな板の上の鯉ですから、早速本院での予約を取り、再び内視鏡でのポリープ除去のために下剤の服用が必要になりました。

 

 

 

 

 

街で見かけた電飾満載のクルマとデコトラのこと

 

先日仕事で宇都宮に行った時に、結構衝撃的な派手車(はでしゃ:私の勝手な造語ですが文字通りの意味です。)を見かけました。
初日の仕事が終わりホテルに向かっている時、何気なくバックミラーを見るとやたらピカピカしたクルマが見えたのですが、走行中で詳細は確認できず。その後私は右折車線で停止、件のクルマは直進車線で止まり、その後青信号で横を通過して行きましたので、ちょっと写真を撮らせてもらいました。最初は風俗関係の宣伝かな?と思ったのですが、どうも一般車のようです。ボディ全面にLEDライトを貼り付けているのだと思うのですが、どうやって洗車するのでしょう?

 

 

このクルマの素性は全くわかりませんが、センスは「デコトラ」と類似しているように思えます。デコトラがはやり始めた頃にはLEDライトなどはありませんでしたから、大型トラック全体を覆うように飾られた豆球の消費電力だけでもかなりのものになったでしょうが、今ではLEDでその心配はなさそうです。
今でも時々「満艦飾」というのがぴったりのデコトラに出会うことはありますが、このデコトラをテーマにした菅原文太主演の映画「トラック野郎」が大ヒットした当時は、道を走っていると至る所で派手なデコトラに出会ったものです。
この映画は1975年から1979年にかけて全10作が公開されたのですが、共演の愛川欽也が、自分が吹き替えを担当していたアメリカのテレビドラマ「ルート66」のようなロードムービーを作りたいという構想を東映に持ち込んだのが始まりだったのだそうです。「ルート66」は、若者2人がシボレー・コルベットでアメリカ大陸を旅するという内容で、日本でもヒットしたようですが、1960年代半ばのことですから私は間に合わなかった世代です。

 

Web Cartopの記事より拝借しました。

 

私はトラック野郎そのものにさほど興味は無かったのですが、高校の頃島田陽子という女優の熱狂的ファンだった友人に連れられて一度観に行ったことがあります。トラック野郎にも「寅さん」シリーズと同じく毎回マドンナ役が登場し、その回のマドンナが島田陽子だったのです。今真田広之の「SHOGUN将軍」が話題ですが、1980年に作られた前作の「将軍 SHÔGUN」(Oの上に長音記号が付いているのですが、これを表示するのに一苦労しました。)でアジア地域出身者としては初となるゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞して「国際女優」とも呼ばれた人です。残念ながらこの人も、菅原文太、愛川欽也ご両人もすべて故人となってしまいました。

 

宇都宮で見かけたクルマは、暗かったので電飾しか判別できませんでしたし、あれだけボディ全面にLEDを貼り付けていたら車体に描き込みはできないでしょうが、デコトラは電飾以外にも派手な車体ペイントや威圧感たっぷりのパーツで飾り立てられています。となればデコトラはカスタムカーの一種であり、いわゆる「痛車」や「族車」の祖先とも言えそうです。
と書いてきて、少し気になったのでAIに調べてもらったところ、「痛車(いたしゃ)とは、アニメやゲームのキャラクター、メーカーのロゴなどを車体に貼り付けたり、塗装したりして装飾した自動車です。オタク文化が発祥で、ファン活動の一環として行われています。」と返答が出ました。
デコトラのペイントは、登り竜や鯉の滝登りなど刺青の題材となるような絵柄が多いですから、全然ジャンルが違いますね。確かにクルマ全体の雰囲気からしても「族車」に近いです。

 

粗大ごみの整理

 

我が家では年末大掃除の習慣はなく、気が向いた時にやるというずぼら人間丸出しのやり方なのですが、それでも以前は大掃除らしきことを年末人並み程度にはやっていました。
それをやらなくなったのは10年前の3月末、春休み時期に室内のリフォームをした時からで、現場を仕切っていた親方から、「世間では年末大掃除が一般的ですが、我々の感覚は何でわざわざそんな寒い時期に?です。むしろ今時のほうが気候も良いので開け放って掃除できるし、年度末は進学や就職、転勤等で家族構成が変わるご家庭も多いですから不用品の整理もしやすく、年末大掃除より年度末大掃除がおすすめです。」と聞いて、なるほどと深く納得してからです。
彼らのリフォーム作業も窓を閉め切ってはできないことが多く、冬場の現場は寒さが堪えるので、上の話はそこから来る実感なのだそうです。

 

そしてその後数年は教わった通り、学校が春休みとなる期間に子供たちにも自室の大掃除をさせながらやっていたのですが、徐々に不定期となり今では春休みに大掃除という習慣も無くなってしまいました。
私の職場は3月末決算ではなく、年度末という感覚が持ち難かった、子供たちが大人になり、親の言いつけで掃除をするという感じではなくなった、等種々言い訳はあるのですが、要は私がずぼらだからという冒頭の話が正解なんでしょう。

 

それでも今年は、家庭内で邪魔になっている不用品位は年内に片付けておきたいと思って、整理を始めました。
まずは食卓用の椅子2脚、回転椅子なのですが数年前から回転部分にガタが出始めていて、昨年末4脚の内程度の悪い2脚を入れ替えたのです。新しい椅子はネット購入し、古いものは使っていない娘の部屋に押し込んでいました。
その他、使わなくなった座椅子2セット、壊れてしまった扇風機、やはりキャスター部分と取っ手部分に不具合が出て来て買い替えた1~2泊用の小型キャリーバッグが自宅にある不用品で、あとはトランクルームに置いてあったアウトドア用のリラックスチェア2脚、そしてバイク用の大型ツーリングバッグとタンクバッグもこの機会に処分することにしました。バイク用のバッグはBMWの純正品で気に入っていたのですが、経年劣化が激しく、使用を諦めました。

 

粗大ごみとして出すものが決まりましたので市のごみ処理施設に持込み予約をしようとしたところ、年明け6日の稼働開始日まではすべて受け付け不可となっていました。その時がまだ12月の20日でしたから、冬休みに入る前なら大丈夫だろうと高を括っていたのですが、とんでもなかったです。やはり世間の皆さんはきちんと年末に大掃除、ごみの処分は実施しているんですね。

 

仕方がありませんから年明け早々で予約を入れ、その間粗大ごみはハイエースの荷室に押し込んでおくことにしました。年末子供たちが帰省して来るので、部屋の不用品だけは何とか整理しておく必要があったのです。
私のハイエースは、ベッドキットを組んでいますから床が50cm程嵩上げされており、その上に寝具や冷蔵庫、その他日用品が乗っているのですが、寝具を畳んでセカンドシートの方に寄せれば、上記程度の荷物は難なく飲み込んでくれました。さすが商用車です。

 

予約可能だった1月6日は大腸検査の日でしたから1月7日に予約を入れたのですが、その後1月7日・8日と急遽宇都宮に行く必要が生じましたので、粗大ごみ持込みは延期して、宇都宮までは不要物を満載したハイエースで往復することにしました。
宇都宮から帰って、ごみ処理センターに持ち込んだところ、総重量48kgで、過去何度も色々なものを持ち込んでいますが、今回が一番重かったかも知れません。処理料金は800円強でしたが、粗大ごみを最寄りのゴミ集積場で回収してもらうと1個につき1,000円かかりますから、かなり安く済みました。

 

 

 

財布、カード入れを新調しました。

 

昨年、財布とカード入れを新調しました。
これまでの財布やカード入れが駄目になった訳ではなく、まだまだ現役で使える状態なのですが、ミニマリスト志向の方のブログで紹介されていた小さな財布に興味を持ち、
前回のブログでも書いた通り現金の出番はかなり減って来ていますから、思い切って入れ替えてみることにしたのです。

 

購入したのは「abrAsus(アブラサス)」というメーカーの、その名も「小さい財布」と「薄いカードケース」という製品ですが、以前使っていた長財布や二つ折り財布と並べると小ささが良くわかると思います。
私が参考にしたブログの筆者は、まず小さい財布を導入し、その後完全キャッシュレス生活にチャレンジするために薄いカードケースだけの生活に移行するのだそうですが、私にはまだそれは出来そうにありませんので、当面はこの二つ使いとなります。


最初に小さい財布を買う時に、表面がツルツルしたスムースレザーとシボ加工したもので迷って結局シボ加工にしたのですが、薄いカードケースの方はスムースレザーにしてしまいましたので2つ持ってみると統一感が無くなってしまいました。どちらかに合わせれば良かったと少し後悔しています。

 

そしてキャッシュレス化へ向けた次のステップは、小銭を持ち歩かない生活です。紙幣とカードだけを持って出て、持ち帰った小銭はウチで貯金箱等に溜めておいて、まとめてATMで入金しようと考えているのですが、その際にぴったりとなる、その名も「キャッシュレス財布」というものが、やはりABRASUS社から出ていて、紙幣10枚とカード5枚、そしてキーを2個収納できるというものです。紙幣が10枚も入るのにキャッシュレス財布というのも「?」ですが、小銭入れが無い分薄くなり、その空きスペースに鍵を収納できるのが売りです。
AMAZONの商品紹介ページにはありませんでしたので楽天のを載せておきますが、お値段が結構強気ですから買うかどうかはしばらく考えます。

 

 

これまで私が使っていたのは二つ折り財布、小銭入れ、名刺入れの3つで、財布には小銭入れも付いているのですが、厚くなりすぎるのが嫌で、小銭入れを別に持ち歩いていました。そして名刺入れもサラリーマンには必須ですから、財布から溢れたカード類もここに入れていました。
比較写真で載せた長財布はその前の前に使っていたものですが、会社の記念品として貰ったものですから記念に取ってあります。そしてその後を受けた先代の二つ折り財布が写真のもので、10年以上も活躍してくれたものなので愛着があって、同メーカーの2代目財布にバトンタッチした後も何となく捨てられずに持っています。
直近で使っていた財布、小銭入れ、名刺入れは、小さい財布に切り替えてからやはり机に仕舞っていたのですが、年末に帰省してきた息子に使うかと聞いたところ欲しいというので、使ってもらうことにしました。まだ1年も使っていませんし、それなりにしっかりしたものですから当分は活躍してくれると思います。

 

電子マネーのこと

 

キャッシュレス化が遅れていると言われる日本でもかなり電子マネー等が存在感を増してきて、私なども現金を使う機会はかなり減ってきました。

 

今私が持っているのは、「楽天Edy」「Suica」「PayPay」「楽天Pay」「WAON」「nanaco」ですが、WAON、nanacoは持っているだけで使ったことはありません。
PayPayや楽天Payはモバイル決済だから電子マネーとは呼ばないのかと思っていましたが、これも電子マネーの一種なんだそうです。

 

最初に使い始めたのは「Edy」でした。勤務先が入居していたオフィスビルにSONYの関連部門も入っていたことが関係するのだと思いますが、当時SONYが立ち上げたEdyが館内の商業施設全店で使える電子マネーとなっており、確か入館証ともセットになっていたことから、必然的に使うようになりました。当時まだ電子マネーは黎明期でSONYのEdyとJRのSuicaが覇権争いをしていましたが、Edyが一歩リードという状況だったのではないかと思います。

 

それがSuica定期券を使うようになって一気にSuicaの利便性が高まり、一時は電子マネーを使う時は殆どSuica、という状況になったのですが、やはりその頃世間の勢力図にも変化が見られ、Edyは徐々に押され始めました。後発のPayPayが強力な販促キャンペーンで一気に追い上げてきたことも大きいと思いますが、これは母体のSoftbankお得意の手法ですね。
そしていつの間にかEdyはSONYから楽天に身売りし、楽天Edyとなってしまいました。ユーザーとしては別に不利益は無いのですが、元々大のSONYファンだった私としては、また身近から一つSONY製品・サービスが消えることとなって寂しかったです。

 

そしてその後しばらくはSuicaがメインの電子マネーとなっていたのですが、Suicaに対する不満もあって、また今は楽天Edyをメインに使うようになっています。その不満というのはSuicaの家計簿ソフトとの連携の悪さで、私が使っているのはマネーフォワードという家計簿ソフトなのですが、下に使用例を載せてみます。
秋に福井周辺を旅した時の出納履歴で、余計なものは省いていますが、Edyがローソン○○店とか自販機とか表示されているのに対して、Suicaが一律「物販」としか表示されていないのがわかると思います。このマネーフォワードというソフトは、連携先(SuicaとかEdyとか各銀行とか)から引っ張ってきたデータの内容欄(ローソン○○店とかいう部分)と過去の私の利用実績から、右側の「食品」とか「飲料水」とかいう科目を分類してくれるのですが、「物販」では分類のしようもありません。それに自動仕訳は間違っていることの方が多いですから、手作業でそれを修正することになりますが、数日たってから見直しても「物販」では私自身何だったか思い出せないことも多いです。

 

 

という理由で、SuicaはEdyが使えなかった場合の緊急避難としてしか使わないようになっているのですが、残念ながらそういうケースが最近増えていて、楽天にはもうひと踏ん張りして欲しいものです。
そしてSuicaもEdyも使えない、といったケースでも使えることが多いのがPayPayなのですが、タッチ決済の積りでレジまで行って、使えないことがわかって慌ててPayPayを立ち上げるというのが嫌で、そういった時はもう現金で、となってしまうことが多いです。財布から現金を取り出すのも手間は変わらないのでしょうが、何だか焦ってしまうのです。
このひと手間が加盟店の設備投資額を少なくして加入数を増やしている理由だろうとは思うのですが、やはり使い勝手はEdy、Suicaのタッチ決済が勝ると思います。

 

マネーフォワードという家計簿ソフトを使う以上は、連携データとして取り込める電子マネー、クレジットカードの方が現金より数倍便利なのは確かですから、もう現金決済主体に戻ることはないと思いますが、完全キャッシュレスにならない限りは、常にいくらかの現金は持ち歩かないと不安ですから、カードが増えた分、財布は厚くなったとも言えます。まあ大半の電子マネーはスマホに納まるようにはなりましたが、、、。

 

 

 

手賀の丘公園

 

前回のブログは谷津干潟での昨年最後の散歩について書きましたが、今回は今年初めての散歩の話です。
改めて散歩に出たのは初めてですが、元日には初日の出遥拝と初詣で1万歩程歩いていますから、実質的には2回目となります。

 

この日は千葉県柏市にある「手賀の丘公園」を散歩場所としました。手賀沼の南岸にあって、文字通り手賀沼を見下ろす丘の上にある、木立に覆われた森林公園です。今は合併して柏市となっていますが、2005年までは東葛飾郡(ひがしかつしかぐん)沼南町(しょうなんまち)に属していました。沼南町は東葛飾郡最後の町村でしたから、同時に東葛飾郡も消滅となり、その後この東葛飾郡に属した市を総称して東葛飾(ひがしかつしか)地域と呼ぶようになったのですが、それよりも略称の東葛(とうかつ)地域という呼び方の方が定着しているようですね。
また、一般の方は「しょうなんちく」と言われれば鎌倉・江の島などの「湘南」地区を思い浮かべるでしょうが、この辺りでは「しょうなん」は「沼南」、手賀沼の南側にあった沼南町のエリアを指すことも多いです。

 

この公園は昔家族で良く来た所で、当時からバーベキュー場やアスレチック、水遊び場が子供たちに人気でした。我が家の子供たちもやはりここは大好きで、バーベキュー担当の父親が準備をしている間、アスレチックで遊んだり、夏場は「じゃぶじゃぶ池」という水遊び場で遊んだりしていました。
今では「RECAMPしょうなん」というキャンプ場も出来ていて、都心から近いこともあって人気は更に増しているようです。

 

まだ年末年始休暇の最中でしたが、さすがに真冬にバーベキュー、キャンプを楽しむ人は多くないようで、混雑はありませんでした。キャンプ場が出来たことで新しい施設も増えており、入り口に昔からあった管理棟にはリユースのアウトドアグッズショップも出来ていました。ちょっと覗いてみたのですが、なかなか充実した品揃えで、以前なら一つ二つ買って帰ったかも知れません。今ではアウトドアグッズ熱も一段落していますから買いませんでしたが、、、。

 

アスレチックコースともなっている林間の道をのんびり歩いて、まずは公園の名前ともなっている、高台から手賀沼を望む展望台に行って見ました。お天気も良かったですから遠く手賀沼がきれいに見えました。
正直手賀沼は遠目美人というのがぴったりで、近付いてみると水質の悪さにがっかりします。何せ永らく不動の全国水質ワーストでしたし、それを脱した今も決して劇的に改善した訳ではありませんから。


近くには大きな恐竜のオブジェもあり、これは滑り台になっているのですが、老朽化で使用禁止になっていました。冒頭でも書いた通りこの公園は子供に人気ですし、この手の遊具は小さな子供には嬉しいと思いますから、柏市には頑張ってメンテナンスして欲しいものです。

 

 

散歩を終えて夕飯は近くの回転寿司に行くことにしました。回転寿司とは言っても今では回転レーンは使っておらず、タブレットで注文したら4~5人居る職人さんがその都度握ってくれますので、通常の寿司屋さんと何ら変わりありません。コロナ禍で、不特定多数のお客さんの前を回って来る寿司を手にすることを嫌がるお客さんが増えたためだと思うのですが、回転寿司の頃からネタの新鮮さが気に入っていた寿司屋ですから、この変更は大歓迎です。回って来た寿司を取ってみたら、時間が経過して乾き始めていたというのはガッカリですので。

 

 

 

 

谷津干潟公園

 

大晦日を翌日に控えた昨年12月30日、千葉県習志野市にある「谷津干潟(やつひがた)公園」まで散歩に行きました。人間ドックで医師からも定期的な運動を指示されましたので日課としなければいけない状況なのですが、どうなることやら。私位の年齢ともなれば激しい運動は必要なく、散歩程度の軽い有酸素運動がちょうど良いそうですから、妻を誘ってせいぜい頑張ってみます。

 

今年はカレンダーの並びが良く、9連休も珍しくない長い年末年始休暇に入っていましたから、息子も数日前から帰省して来ていて、3人でのんびり野鳥観察などしながら干潟の周囲を歩きました。干潟とはいっても周囲をコンクリートで囲まれた長方形の貯水池状のもので、我々が干潟と聞いて連想する姿とはかけ離れています。
元々は東京湾に面した文字通りの干潟だったものが、高度成長期にどんどん埋め立てられて工場や住宅となり、ここも埋め立てられる一歩手前まできていたのですが、東京湾に飛来する渡り鳥の希少な生息地になっていることが指摘され、保護活動家による重要性の宣伝活動や清掃活動が認知されたこともあって、1988年に国指定谷津鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され、1993年にはラムサール条約登録地に登録されたのだそうです。

 

もう10年以上前のことですが、妻が市の地域環境調査の一環として、市内における野鳥等の観察を行い定期的に報告する、という活動をしていたことがあります。その時に野鳥判別の練習のためここに来て以来ですから、かなり久しぶりの訪問となります。
公園の駐車場にPOLOを停め、干潟周囲の遊歩道を歩き始めましたが、一周3km強ですから1時間程度の散歩には丁度良い距離です。

 

 

様々な野鳥が居て、双眼鏡や超望遠レンズのカメラを抱えた愛好家の方が多かったですが、実は私は鳥にさほど興味が無いことが、改めて良くわかりました。最初こそあれは何?これは何?と調べていたのですが、すぐに飽きてしまい、日向ぼっこしていた猫の方に余程関心がありました。

 

遊歩道を歩いていると、干潟に隣接してある谷津バラ園の所に、谷津遊園跡という看板を見つけました。その昔ここには京成電鉄が運営する「谷津遊園」という遊園地があって、東京湾が埋め立てられる前までは、近くの「船橋ヘルスセンター」とともに潮干狩り・海水浴のできる海辺の遊園地として人気だったようです。
そして京成電鉄の東京ディズニーランド(1983年開園)への経営参画計画により、1982年をもって閉園。当時谷津遊園自体は黒字経営を維持していたので実質的には発展的解消と言え、閉園時の従業員の多くは東京ディズニーランドに移籍したのだそうです。 
更にここは「読売巨人軍発祥の地」ともされていて、1934年に来日したアメリカ選抜チームと対抗するために結成された、東京六大学出身者を中心とした全日本チームがここで練習し、そのチームがのちの東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)になったからなのだそうです。

 


のんびり歩いて約1時間の散歩を終え、隣の船橋市で新装開店の蕎麦屋さんに寄って昼食を食べたのですが、年の瀬を迎えた船橋駅周辺は普段よりも更に激しい渋滞で、駅に近付くにも遠ざかるにも、いつもの倍くらい時間が掛かりました

 

 

 

人間ドック

 

昨年の12月28日、病院の年内最終の診察日に人間ドックを受診して来ました。そして1月6日、今年最初の診察日には当日できなかった大腸検査を受診します。
人間ドックで暮れて人間ドックで明ける年末年始となる訳ですが、この病院では胃カメラと大腸検査は同時にやってくれませんから、どうしても人間ドックは二日に分けて受診することになります。
別の病院では同時にやってくれるところもあって、私は麻酔状態での検査を選んでいましたから、眠っている間に両方終わっていてとても便利だったのですが、一緒ではダメな理由が何かあるんでしょうか?

 

12月28日は土曜日でしたが、都内に向かう電車は行楽客と帰省客と大きなスーツケースを持った来日客で普段の通勤電車並みの混雑でした。外国人だけではなく帰省する日本人も大きな荷物を持っていますから、車内の快適さは通勤電車より劣っていたと思います。

 

先日ポケモン工芸展を見に来た神谷町から麻布台ヒルズにかけての一帯は、クリスマスの飾りつけの撤去作業が行われていて人通りも少なかったです。もっとも人間ドックが終わって帰る頃には麻布台ヒルズには多くの人が訪れて来ていましたが。

 

 

12月28日の検査は、胃カメラの後麻酔が醒め切るまでの安静時間を終えた14時ですべて終了となり、それからやっと昼食です。三國シェフ監修というお洒落なワンプレートのランチを食べ、東京タワーなどを眺めた後、医師からの結果説明を聞いて15時半には帰路に就きました。
ここのところ胃もたれが続いていたので心配だったのですが胃に異常はなく、それ以外では血糖値の上昇を厳しく指導されました。境界型糖尿病から糖尿病とされる値まで数値が悪化しているのだそうで、このままなら糖尿病患者としての治療を始める必要があると脅されました。食事に気をつけろと言われても、コレステロール、中性脂肪も高いですから食べるものが無いですとこぼしたら、食べ物だけでコントロールするのではダメ!運動しなさい!と。わかっちゃいるんですがね。

 

 

そしてこの後1月6日の大腸検査は、自宅で事前に下剤を服用して腸をきれいにしてから病院に向かうやり方となります。これまでは病院で下剤を渡されて、そこから時間をかけて腸内をきれいにしていくやり方でしたから、この方式は初めてです。妻はこのやり方が嫌だとの事で、今年は私とは別日での受診となりました。妻は私が12月28日に受けた検査を1月6日に受診し、大腸検査は病院で下剤を服用するコースを4月まで待って受診することになりました。妻と同じように、自宅で事前準備してから病院に向かうやり方は嫌だと考える人が多いようで、昨年までのように病院で完結するコースは何か月も先まで予約が埋まっていたのです。

 

 

 

 

 

2025年初日の出、初詣

 

2025年の元旦、4時前に起き出して九十九里浜に初日の出を拝みに行きました。
過去のアルバムを見返してみると、2004年からこの習慣が始まったようですから、今年で22回目となります。
毎年、年初の記事では紹介していますが、初日の出を待つのは、千葉県山武市にある蓮沼海浜公園という県立公園に隣接してあった南浜海水浴場で、その後成田山新勝寺での初詣を済ませて義父母宅に年始の挨拶に寄る、というのが我が家の元日のスケジュールです。
東日本大震災で千葉県外房地区も津波の襲来を受けたのですが、その後ここ南浜海水浴場でも防潮堤の建設が進み、それまでは砂浜までクルマで乗り入れられていたのが出来なくなりました。昨年2024年の夏には海水浴場不開設のため遊泳禁止、という案内が出ていて、これが昨年限りの一過性のものなのか恒常的なものなのかはわかりませんが、ひとまず「あった」という表現としました。
我が家の子供たちが小さい頃は海の家も複数店舗を構えていて来場者も多く、浜辺の海の家のすぐ隣にクルマを横付けできるのでとても便利な海水浴場でした。

 

22回目とは言っても、雨のために海岸に行くのを最初から断念した年もあり、コロナ禍の最中だった2021年には、ソーシャルディスタンスが確保できる海岸での初日の出遥拝には行ったものの、関東でも屈指の参拝客数を誇る成田山新勝寺への初詣は取りやめたりもしましたから、22回皆勤という訳ではありません。

 

例年通り5時半には最寄りの無料駐車場に到着したのですが、既に満車状態で停めるところがありません。年々ここで初日の出を迎える人の数が増えていて、昨年も最後の2~3区画というところで滑り込んだのですが、ことしは全く無理でした。仕方ありませんので少し離れたところにあるグラウンドの駐車スペースに停めさせてもらい歩いて浜辺へ向かいました。来年以降もこれを続けるなら更に早く到着しておく必要がありますね。

 



完全に日が昇ったのを見届けてから、芝山はにわ道という九十九里浜と成田を直結する道路で成田山新勝寺に向かいます。九十九里浜への人出が増えているからか、この道の混雑も年々ひどくなっていて、以前には渋滞らしい渋滞も無かったのが、1~2km毎に信号待ちの渋滞が発生するようになりました。
昨年はこの渋滞を甘く見ていて成田山初詣の第二波に巻き込まれましたから今年は道の駅でのトイレ休憩もそこそこに、妻手作りの元旦朝食セットは車中で各々食べることとして、何とか9時前には新勝寺の山門前に到着。九十九里浜から1時間40~50分かかったことになります。往路もこの道を走ったのですが、その時は40分程度しか掛かりませんでしたから、やはり混んでましたね。
JR成田駅から参道にかけて既にかなり多くの人が居ましたが、昨年ほどのことはなく順調に本堂でのお参りを済ませることができました。

 

 

一昨年まではこのまま義父母宅に寄っていたのですが、高齢となった義母の家事負担を考慮して、昨年からはお節などは我が家から持参し、お雑煮も妻・娘が義母を手伝って作る、というパターンとなっています。ですから新勝寺からは一旦自宅に戻り、夕方まで仮眠した後、お節などを持って出直しです。
義父母は孫たちの訪問を殊の外喜んでくれて、特に義父は酒の御相伴ができない婿の代わりをしてくれる孫たちがとても可愛いみたいです(笑)。彼らも祖父ちゃん祖母ちゃんが大好きですから、傍でそれを見ている私や妻も嬉しくなります。

 

今年も無事新年を迎えることができました。楽しい一年になるように、そしてそれをこのブログで伝えて行けるように、健康には留意して頑張ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

2025年、明けましておめでとうございます。

 

明けましておめでとうございます。
2025年の年始は、家を出ている息子と娘が年内に帰省して来て、これまでどおり家族4人で迎えました。
元日は未明から起き出して初日の出遥拝に九十九里浜に向かい、その足で成田山新勝寺に参拝した後、義父母宅でお雑煮・お節を頂くというのが我が家の恒例行事なのですが、今回も無事に家族全員で年を終えることができ、ありがたいことです。

 

初日の出遥拝に出掛ける前の時点でこれを書いていますので、実際の記事はまた後日掲載します。今日はこの後ブログを書く時間と元気がなさそうですから。

 

昨年までは娘がまだ家に居ましたが、9月に家を出てやはり千葉県内で暮らすことになりましたので、彼女にとっては初めての帰省ということになります。とはいっても同じ千葉県内の1時間もかからないところですから、帰省気分は薄いと思います。そして息子に至っては30分もかからない距離です。

 

四国から東京に出てきていた私にとっては帰省というのは一大イベントで、一日がかりでやっと帰れるものでした。私が大学に入学する数年前に山陽新幹線が岡山まで開通していましたから、岡山までは新幹線、そこから宇野線という在来線に乗り換えて、宇野から高松は宇高連絡船、そして高松から最寄り駅まで帰る訳です。
当時の最速新幹線ひかりが新大阪まで3時間程、更に岡山まで1時間ですから岡山までは4時間程で帰れます。しかし岡山からの宇野線が1時間程、宇野から高松へ渡る宇高連絡船がやはり1時間かかりましたから、これだけでもう6時間。住んでいたところから東京駅までの所要時間、高松駅から四国内在来線の所用時間、最寄駅から自宅までの所要時間、更に各地での乗り換え時間等含めると優に12時間以上はかかっていた記憶があります。そして当時は指定券を買うのももったいないと思う経済状態ですから、朝早くから東京駅ホームで並ぶことも珍しくなく、そうなると朝早く東京のアパートを出て夜遅く実家に着く、というのが実態だったでしょうか。

 

そして、どうせ朝早くから並ぶのならと、当時航空各社が22歳までの学生対象に用意していた「スカイメイト」という制度を利用する仲間が出始めました。これは、航空運賃が半額となる代わりに事前予約はできず、当日空港で空席が出た場合のみ搭乗できるというもので、朝から並んでも空振りとなることもままありました。特に北海道や九州、四国便などは鉄道と比べて所用時間が格段に短いですからビジネス需要も多く、空席が出る比率も少なかったのです。まあ暇な大学生ですから1日や2日棒に振ってもそう苦では無かったですし、何より当時飛行機で帰るというのは一種の優越感も感じられ、更に運賃も国鉄の学割料金よりも更に安くなりました(と思いますが、ほぼ同等ということだったかも知れません。)。それを教えられてから私もスカイメイトに加入し、何度か利用したのですが、当時はYS11という国産プロペラ機で、ジェット機に比べて飛行高度が低いからか気流の影響を受けてやたらと揺れました。元来高所恐怖症の私でしたが飛行機の揺れを凄く怖がるようになったのはこの時の経験からかも知れません。

 

年初からまたも昔話となりましたが、このブログはこんな調子で今後も続いていくと思いますので、今年もよろしくお願いします。

我が家は例年近くのスーパーで小さな鏡餅セットを買って形ばかりのお飾りをしているのですが、改めて見てみると紙でできた橙の絵は、何だか「〇年生の学習」とかの切り抜き付録のようです。それを妻に話したところ、彼女が発奮して折り紙で今年の干支のヘビを作りました。中々の出来だと思います。

 



2024年最後のブログです。

 

隔日での掲載を続けているこのブログは、今月は偶数日掲載となる月ですから、今日12月30日が2024年最後の記事となります。

 

年内最後と言う事ですから、今年のブログを振り返って、私の10大ニュースを考えてみることにしました。ところが順に10個を並べてみたところ下位ともなるとあまり変わりばえしないものが並ぶことがわかりましたから、ジャンル毎に集約したりして、上位5つに絞って紹介することにします。
また10大ニュースと言えば、私は子供の頃それもかなり大きくなるまで、「10大」ではなく「重大」ニュースだと思っていました。意味的にそう間違ってはいないですが、「第10位!」とか言っている時点で気付けよという話です。

 

第1位は、娘が独立して家を出たことです。
付き合っていた彼と同棲を始めるためですから、順調にいけば近いうちに結婚ということになるのでしょう。長男が誕生して以来31年振りに妻との二人暮らしに戻ったというのはやはり一番大きな出来事でしたね。夫婦円満、心せねばなりません。

 

www.boon-senior.com

 

第2位は、念願だった桜前線を追う旅を始めたことです。
私の若い頃からの夢であり、妻にも友人たちにも引退したらキャンピングカーを買って九州から北海道まで桜を追う旅をすると公言していました。
キャンピングカーは、中古のハイエースに最低限の車中泊仕様を施したもの、という程度にグレードダウンしてしまいましたが、まんざらやせ我慢ばかりではなく、今の私のスタイルには合っていたと思いますので、まずは満足しています。
一番の誤算は、桜が九州から順を追って北海道まで咲いていってくれないことで、一年で旅を完結させることはできませんでした。残りは来年の課題です

 

www.boon-senior.com

www.boon-senior.com

 

第3位は、私自身が70歳、古稀となったことです。
気分的にはこれが第1位といっても良い位自分自身へのインパクトは大きかったです。既に65歳で高齢者となったことは自覚していましたが、70歳と言う言葉の重さはかなりのものでした。

 

www.boon-senior.com

 

第4位は、妻との各地への旅行です。
泊りがけでは奥入瀬や、福井、阿蘇・高千穂、屋久島、そして日帰りでも色々行きました。それぞれを順位付けして別のイベントと考えることもできますが、優劣つけがたいので一つにまとめました。福井、阿蘇・高千穂が個人旅行で、奥入瀬、屋久島はクラブツーリズムのツアーです。国内外問わずこれまで殆どツアーに参加することは無かったのですが、シニア向けのツアーはあくせくしないゆったり旅ですし、ガイドも付いてくれますから、今の私たち夫婦にはぴったりかも知れません。

 

www.boon-senior.com

www.boon-senior.com

www.boon-senior.com

www.boon-senior.com

 

そして第5位は、歌舞伎・文楽・音楽ライブ等の芸術鑑賞です。
歌舞伎は1月に浅草公会堂で行われた「新春浅草歌舞伎」と、9月に歌舞伎座で行われた「秀山祭九月大歌舞伎」に行きましたが、特に9月の歌舞伎座は初めての経験でしたから印象深いです。
文楽は2月に日本青年館で行われた公演に行きました。本拠地である国立劇場の建替えがすったもんだで一向に進んでおらず、当分各劇場を借りてのジプシー興行が続くようです。
音楽ライブは3月に横浜でBABYMETALの2DAYライブ、5月には埼玉スーパーアリーナで行われた彼女たち主催のフェス、9月にはお台場でのLOVEBITESのライブ初参戦などでした。
芸術鑑賞ということでは博物館や美術館にも妻と共に色々行きました。現役の時と比べて格段にこういう機会は増えていますね。

 

www.boon-senior.com

www.boon-senior.com

 www.boon-senior.com

www.boon-senior.com

 

ともあれ2024年も無事に暮れようとしています。一日早いですが、皆さんも良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

 

白井市の郊外を散歩


何も予定が無かった日曜日、散歩にでも行くかということになり、妻と10時過ぎにクルマで出掛けました。
散歩ならクルマで出掛けなくても良さそうなものですが、我が家の周辺は昔ながらの住宅街で、狭い生活道路には歩道すらないところが多く、散歩するのにもクルマに気を使わなければならないので高齢者や子供には危険です。それに殺風景な住宅街を歩いても楽しくもありませんから、先日ブログにも書いた松戸市の「21世紀の森と広場」のようなところまでクルマで行ってそこを歩くことが多くなります。そしてせっかく出掛けるのなら行き帰りで外食でもして帰ろうかとなるのがいつものパターンです。子供たちが家を出て夫婦2人だけになり、彼らのために朝食や夕食を用意してやる必要が無くなりましたから、昼食以外でも外食する機会は増えましたね。

 

この日は白井市の公園を起点に周辺を歩いて見ることにしました。白井市も住宅街ですが、千葉ニュータウンとして比較的最近になって開発された街並みですから、都市計画もしっかりしていて、公園やその周囲を散歩するだけでも我が家周辺と比べてかなり快適なのです。

 

白井市役所に隣接した文化センターの駐車場にPOLOを停めて散歩開始です。この一帯には市役所を中心としてプラネタリウムや図書館がある文化センター、ホール設備のある文化会館、保健センターなど白井市の行政機関が集中していて、各施設新しくて充実しています。
白井市は「しらい」ではなく「しろい」で、千葉に越して来てしばらくは間違えたまま読んでいました。人口6万人強の小ぶりな市ですが、北総線が成田空港まで順次延伸して行くのに合わせて千葉ニュータウンの開発が加速し、白井市も急に大きくなりました。駅前にはマンションや戸建てが一気に増え商業施設も多くできましたから、財政は豊かなんだと思います。

 

そしてこの市役所エリアには白井総合公園という公園があります。松戸市の21世紀の森と広場などと比べれば小振りですから、公園内で散歩が完結するという訳にはいきませんが、休日には小さな子供たちを遊ばせる若夫婦や、犬の散歩をする人などが多いですから、ここを散歩の起点終点として、周辺のまだ農村の風景が残る一帯を歩いてくる、というのがいつものパターンです。
白井市は急に大きくなったと書きましたが、開発が進んだ駅前エリアを一歩離れれば、昔の北総地区の農村はこんなんだったんだろうなあという風景が今も残っています。簡易舗装こそされていますが昔ながらの道で、歩道が無いのは我が家周辺と同じなのですが、そもそもクルマの往来が殆どありませんし、スピードを出せるような道でも無いですから、歩いていて危険を感じるようなこともありません。

 

散歩の途中にある「佛法寺」というお寺では境内・門前の松が見事に雪吊りされていました。ちゃんと写真を撮っていないのですが、まず積雪することの無いこの地区でこんなにきれいな雪吊りはあまり見かけないと思います。
またこのお寺の門の脇には「元三大師」の像が安置されているのですが、私はこのお寺で元三大師のことを初めて知りました。それまでもこの像を見ることはありましたが、正直気味悪い像で、悪魔か何かだとばかり思っていました。ただ、悪魔の像を護符にしたりはしないだろうというのが不思議だったのですが、実は自ら鬼の姿となって疫病・厄災を払った、良源という比叡山・延暦寺の偉いお坊さんの像だったのです。
元三大師と呼ばれるようになったのは、元旦三日に亡くなったからだそうで、鬼の姿ですから角があり「角大師」とも呼ばれます。

 

 

 

一廻りして市役所エリアに戻り、保健センターの一階にある「Cafe&Dining FUKUROU 」というカフェで、明太子のパスタ、キノコのピザ等を食べてから帰りました。この店も妻がチェックしていた店なのですが、素朴で温かな接客にホッコリしました。

 

 

 

東京ドームホテルで会食

 

古くからの知人の喜寿のお祝いが東京ドームホテルであり、当時その知人と共に関係していたスポーツチームの元メンバー30人程が集って、賑やかな会食となりました。

 

東京ドームホテルは10年程前結婚披露宴に招かれて以来ですが、改めて近くで見ると超高層の立派なホテルですね。普段は東京ドーム本体の存在感に圧倒されて目立ちませんが、中々のものです。

 


この日の夕方東京ドームでは、「SUPER EIGHT」元の「関ジャニ∞」がライブを行うことになっていたらしく、まだ昼過ぎなのに最寄りの水道橋駅から若い子たちが続々とドームに向かっていました。この日から3日間連続でのライブだったようで、今でも(?)大した人気なんですね。
我が家の娘も小さい頃から関ジャニファンだった(今も?)のですが、ジャニーズの騒動でSUPER EIGHTに改名した時には、この名前がお気に召さなかったらしく「ダサくない?」と愚痴を言っていました。どちらもエイトが共通していますが、今メンバーは5人らしいですから、元々8人で活動していたということなんでしょうか?

 

会食は午後の時間帯でしたから、ランチでもディナーでもなく、オードブル的に提供される料理を肴に呑みながら、楽しく語らうという趣旨で進んで行きました。私は元々殆ど吞めませんし、この日集まったのは皆それをよくわかってくれている顔ぶればかりでしたから、ウーロン茶などで出される料理を楽しむことに専念しました。元アスリートばかりですから吞む奴はとことん吞むのですが、いくら体格の良いアスリートでも当然下戸は居ます。私の場合は無理強いされることはありませんが、選手同士ともなれば昭和・平成時代の体育会系気質が再燃してきて、呑めないでは済まされないような場面もあちこちで見受けられました。勿論皆いい大人になっていますから限界は心得ているようでしたが、、、。

 

あっという間に時間が過ぎ、喜寿の知人には、これ以降も傘寿、米寿、卒寿、白寿、百寿とイベントが目白押しなのでそれまで元気でいてくれるように、2番目の長老となる私が挨拶して、会はお開きとなりました。
帰り際に改めて周囲の景色を見渡してみたのですが、42階の高層からは流石の東京ドームもはるか下で亀の甲羅のように見えます。電車で通過する時にはドームの存在感が際立って見えると思っていたのですが、やはり高さというのは大したものですね。
偉い人、自分は偉いと思い込みたい人が高層建築物を作りたがる気持ちが何となくわかりますが、高所恐怖症の私にはその願望はありません。

 

 

42階の会場からロビー階まで降りて水道橋駅に向かおうとしたところ、SUPER EIGHTのライブ開場時間が近くなっていたからか、来た時と比べてもドームへ向かう人波は格段に多くなっていました。その人波に逆らうように水道橋駅に向かったのですが、この頃から都内では冷たい風が吹き荒れ出していて、いよいよ師走も押し詰まって来たことを実感しました。

 

 

 

千葉市内観光

 

千葉県民となって30年以上が経過しているのですが、千葉県の県庁所在地である千葉市にはめったに足を踏み入れることがありません。
昔なら県庁でないとできない手続きなどもあった(例えばパスポート発行・受領等)と思うのですが、今現在では県内各地に県庁の出先機関はありますし、県の業務自体もかなり市町村に移管されているのか、県民が県庁に行く機会は殆ど無いと思います。
私は23歳で大学を卒業するまで住民票は出生地である香川県に置いてあったのですが、昔は県庁に行かなければできない手続きも今よりは多かったようで、物心ついてからの十数年間でも高松にある香川県庁に何度かは足を運んだ記憶があります。県庁見学に小学校か中学校で行ったことも含まれますが、県庁でないと受け付けてもらえないものも昔は多かったのでしょう。パスポート関連などはすべて県庁だったと思います。

 

更に千葉市に殆ど縁が無いのは、私が千葉県の北西部、東京都と接する東葛地区というところに住んでいるということも大きいです。私もそうでしたが、この地区に住むサラリーマンの多くは都内に通勤していて、千葉都民と揶揄されることも多いですから、反対側に位置する千葉市には行く機会も無いのです。

 

それでも、千葉市郊外の千葉市動物公園は直立するレッサーパンダ風太などで有名でしたから、私も家族を連れて何度か行きましたが、仕事以外では千葉市の記憶が殆どありません。
ただ今回改めて千葉市に行って見ようかということになって妻と話してみると、HIPHOPダンスを習っていた娘の発表会が何度かJR千葉駅近くで開催されることがあって、その時は私がクルマでそこまで迎えに行ったんだそうです。すっかり記憶から抜け落ちていますが、、、。
また妻はそれ以降も趣味の美術館や博物館巡りで千葉駅周辺には結構出掛けているようです。

 

今回は千葉モノレールに乗ってみようというのが第一目的で、ついでにJR千葉駅近くの千葉公園を散歩する積りで出掛けました。千葉モノレールは営業距離が15.2kmで、懸垂式モノレールとしては世界最長、2001年にギネス世界記録に認定されているんだそうです。開業は1988年ですから、もう36年も営業しているんですね。
乗ることが目的ですから、まずは千葉駅から最長路線の2号線で終点の千城台駅まで行ってみることにしました。モノレールは幹線道路の真上を走ることが多く、懸垂型ですから道路を走るクルマの数メートル上をすべるように走る感覚となり、大型のドローンに乗ったらこんな感じなんだろうなと思いました。路上を走っていないのだから当然なのですが、車内の感覚は路面電車なのにすぐ下の信号が赤でもお構いなしに突っ切って行くのは何だか爽快でしたね。

 

 


終点の千城台駅で降りて、隣接するショッピングモールで一息ついた後はもうそのまま引き返すことにしました。
帰りは千葉駅の一駅前、千葉公園駅で降りて園内を散歩しました。元陸軍施設があった場所らしく広大な敷地なのですが、平日昼間とあって人もまばらで、のんびり歩くことができました。
妻はこの日もう一か所、「珈琲専科ヨーロピアン」という千葉駅近くにある昔ながらの喫茶店に行きたいと言っていて、千葉公園から千葉駅の反対側まで歩いて行って見たのですが、この日は営業していませんでした。なかなか年季の入った外観で、失礼ながら知らなければとっくに廃業した喫茶店だと思ったかも知れません。

 

 

 

プライバシーポリシー お問い合わせ