シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

鍋に続いて季節外れの「河豚(フグ)」

 

今月末に誕生日を迎える息子は、一人暮らしとはいえ30分もかからない所に住んでいますから、割と気軽に帰って来ています。ところが7月には都内に引っ越すことが決まっていて、更にそれを期に同棲することになっていますから、これまでのように頻繁に帰ってくることは無くなるでしょう。
親子3人でのお祝いはこれが最後かも知れませんので、何か食べたいものあるかと聞いたところ、「河豚(フグ)」と言い出しました。

 

フグと言えば冬と相場は決まっているのですが、最近では養殖フグも出回っていて、通年営業のフグ料理チェーンもありますから、食べられないことはありません。
養殖のおかげで値段が下がり、また通年営業できるのでチェーン店も成り立つようになりましたから、今ではフグも随分身近になりましたが、今でも高級食材であることは確かです。
冬の天然物しかなかった時代、フグ料理店は夏場に何を扱っていたのかと調べてみると、代表格は夏の高級魚である鱧(はも)で、その他、鱸(すずき)、穴子(あなご)、鰹(かつお)などが多かったようです。特にハモはフグと同じく骨が多い魚ですが、骨切りの技術を活かせるので、夏場の食材として提供されていたのだそうです。

またこれは私の個人的な感触ですが、関西では冬場にフグでも食うかという事になると「やった!」という感覚があったのに対して、関東では高級食材という認識はあってもさほど万人受けはしなかったような気がします。それが鰻となると印象が逆転して、関西では余り馴染みがなく関東で認められていたように感じていました。冬と夏の違いはありますし、今ではどちらも同じように愛されているとしても、関東でフグ食べに行こうかと誘った時の反応と、関西で鰻食べに行こうかと誘った時のやや薄い反応は似ていた気がします。逆の場合は上に書いたように喰い気味の反応でしたが、、、。

 

ということで息子と待ち合わせて、柏にあるフグ料理のチェーン店に行って来ました。「玄品ふぐ」という店で、過去何度か行ったことがあるのですが、今では店名が「玄品」となり、全国で70店舗弱を運営しているみたいです。
土曜日夜という事もあってか店内は多くのお客さんで賑わっていました。フグは冬という図式も今はもう古いのかも知れませんね。

ふぐ皮の湯引き
てっさ(ふぐ刺し)
唐揚げ
焼きふぐ
てっちり(ふぐ鍋)
雑炊
デザート

といったコースに焼き白子を追加し、息子や妻はヒレ酒などを飲みながら(私はウーロン茶=運転手)、美味しくいただきました。
雑炊は息子が大半を平らげましたので、糖質、コレステロール、脂質に注意すべき我々夫婦にとっても最適な夕食となりましたが、一昔前に北新地当たりのフグ専門店でこれを注文したら結構な出費を覚悟しなければならないところだったでしょう。そういう点は日本の飲食業界の改善努力のおかげだと思います。
例によって写真は中途半端にしか撮れていませんが、以下に載せておきます。最後のてっちりは、女性スタッフが作ってくれたのですが、「映えるビジュアルに出来なくてすみません」とわざわざ言ってくれました。そもそもフグが透明に近いですし、他の具材も色の薄いものばかりですからそうなるのは当然で、全然気にすることないよと笑いながら答えたのですが、最近はそういうことでもクレームになり兼ねないんですかね?困った世の中ですね。

 

 

 

 





5月24日は伊達巻の日、らしい

 

この記事は5月25日に公開する予定なのですが、書いているのは前日の24日です。
私のPCの設定では画面下のツールバー中央に検索窓があって、多分これはMicrosoft Bingなんだと思うのですが、PCを立ち上げてブログを書き始めた時、そこに下の写真のような表示が出ていることに気付きました。
写真では不鮮明でわかりにくいですが、どう見ても「伊達巻」の絵で、カーソルを合わせると「伊達巻の日」という吹き出しも出て来ます。

 

 

最近色んな記念日が増えてるなあとは感じていたのですが、伊達巻の日というのもまた異色な感じがしましたので、急遽ブログテーマを変更し、この伊達巻の日をはじめとした記念日について調べてみることにしました。

 

そもそも伊達巻は、特にお正月には欠かせない料理のひとつで、私はあの甘さがあまり得意ではないのですが、お好きな方も多いと思います。しかし5月24日が何故に伊達巻の日なのかといえば、この日は伊達巻を好み、伊達巻という名前の由来とも伝えられている戦国武将・伊達政宗の命日なのです。


「一般社団法人日本記念日協会」によって認定された伊達巻の日は、大阪府吹田市に本社を置く「株式会社せんにち」の申請によるもので、同社は、玉子焼きや厚焼きなど寿司具材の製造・販売を行っていて、伊達巻の普及にも力を入れている、のだそうです。
業者の販促施策の一環という事なのですが、そもそもこの日本記念日協会が何なのかと調べてみると、
「1991年に設立。企業、団体、個人などが設けた記念日の認定・登録を行い、ホームページで紹介するなど、さまざまなPRを行う一般社団法人。記念日の登録には、登録申請を行い、登録料を支払う必要がある。」(Wikipedia)
となっていて、公的機関ではありませんでした。
更にWikiの記載を見てみると、
「日本国内には記念日を「指定」や「制定」する任意団体が複数存在するが、いずれも公的機関ではない。記念日を制定するのにこれらの団体の認定を受ける必要も義務もない。認定を受けなくとも世間に浸透している記念日も数多く存在する。」
となっており、もう一つの大きな団体としては「一般社団法人日本記念日評議会」というのが存在するようです。

 

世の中には、国または国の機関が定めた記念日も当然存在していて、その代表的なものが国民の祝日ですが、この公的機関が定めた記念日でも知らないものは多く、1月だけを抜き出してみても、

1月1日ー元日
1月10日ー110番の日
1月第2月曜日ー成人の日
1月17日ー防災とボランティアの日
1月18日ー118番の日
1月26日ー文化財防火デー

といった具合です。
110番の日、118番の日はベタですが、そもそも118番が何なのかを知りませんでした。海上での事件や事故の際の緊急通報用電話番号なんですね。

 

ちなみに、5月24日に日本記念日協会によって認定された記念日は6つ、

ブルボン・プチの日
菌活の日
スクーバダイビングの日
コニシ記念日
長湯温泉「源泉のかけ流し」記念の日
伊達巻の日

ですが、「コニシ記念日」は何のことやら?です。
「声優・俳優・ラジオパーソナリティーである小西克幸さんの活躍を記念して、出演番組などを手がけ、東京都板橋区弥生町に本社を置く株式会社フロンティアワークスが制定。 日付は「コ(5)ニ(2)シ(4)」と読む語呂合わせから。」ということで、ファンの方には申し訳ないですが、何でもありなんですね。
また日本記念日協会によって最も多く記念日が認定されているのは「10月10日」で、何と59件もあるんだそうです。
以前Googleの検索窓に、「キューリー夫人の誕生日」とか表示されていたことがあったと記憶しているのですが、この記念日表示もネタは尽きない感じですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男子ごはん流「根菜と豚バラ肉の和風ポトフ」で娘たちをおもてなし

 

テレビ東京で日曜日のお昼前に放映されている「男子ごはん」という料理番組があり、TOKIOの国分太一と料理家の栗原心平による男の料理番組として2008年から続いている長寿番組です。当初はケンタロウという料理研究家(料理研究家故小林カツ代の長男)と国分の番組だったのですが、ケンタロウがオートバイ事故で長期療養を余儀なくされ、やはり料理家栗原はるみの長男である栗原心平にバトンタッチしています。小林家は親子とも料理研究家、栗原家は親子とも料理家と自身の肩書を表しているのは何かお互いに拘りがあるんでしょうね。
最近はTVそのものをあまり観なくなりましたが、以前は毎週楽しみにこの番組も観ていたものです。

 

2人暮らしとなった我が夫婦の最近の主な生息域は私が自室のPCの前、妻がリビングのTVの前で、妻は趣味である映画鑑賞、海外ドラマ鑑賞、美術・歴史関係番組鑑賞、猫番組漁り等にTVをフル活用しています。
そんな妻が、この間男子ごはんで面白い料理を紹介していたよと言って教えてくれたのが、表題の「根菜と豚バラ肉の和風ポトフ」だったのです。妻は自分で作らずにまず私に作らせようとしたわけですが、彼女曰く「男子ごはんだから、、」ということで、まあ私も嫌ではないのでじゃあ作ってみるか、という事になりました。結果とても気に入って、これまで何度も作つたのですが、その都度写真を撮り忘れますので、番組ページからお借りしました。

 

TV東京「男子ごはん」のHPより

材料は極シンプルで、豚バラ肉ブロック、大根、レンコン、分葱(わけぎ)、三つ葉だけです。しかし近所のスーパーでは分葱を見つけることが出来ず、我が家ではいつも細ネギ(小ネギ)で代用しています。関東で分葱は一般的じゃないのでしょうか?
私が子供の頃は「分葱のぬた(酢味噌和え)」が食卓に上ることが多く、ネギ類全般が苦手だったのでそれがとても苦痛だったものですが。

 

柄ではありませんが、少し料理ブログ的にレシピを紹介するなら、まず1cm位の厚さに切った豚バラ肉に軽く塩をしてフライパンで焦げ目がつくくらいまで炒め、たっぷりの鰹節で取っただし汁に、2cm厚に切って4等分した大根(いちょう切りと言うのでしょうか)と一緒に投入して酒を加え、20~30分煮ます。大根に火が通ったら、同じくいちょう切りにした5mm厚のレンコン、みりん、おろし生姜を加えて更に2~3分煮て塩で味を調整します。あとは食べる直前に分葱と三つ葉を加えたらもう完成ですから、少し豚肉と大根を煮込む時間が掛かるだけで、手間のかからない簡単美味しい鍋です。正直ポトフという感じはあまりしないのですが、我が家では妻も私もお気に入りで、この冬は何度も作りましたし、たまたま帰って来た時に食べた息子も気に入っていました。

 

今回は彼と一緒に帰って来た娘に食べさせたのですが、5月となって鍋シーズンは逃してしまいましたので、リビングを冷房しながら汗をかきかき4人で平らげました。本来のレシピなら、生姜は2~3人分で3かけなのですが、生姜大好きな我が家ではいつも規定量の数倍のおろし生姜を投入しています。ところが娘の彼は生姜があまり得意ではないとの事でしたから、この日は規定量よりも更に減らし、他の人間は小皿に盛ったおろし生姜を各自取り皿に取って味変することにしました。
まあリップサービスも多少はあるでしょうが、彼も喜んで食べてくれたので良かったです。

 

そしてこの鍋は、締めのトマトラーメンがこれまた旨いのです。大方の具を食べ終わったら、湯むきしたトマトをカットして鍋に入れて再加熱、中華麺を投入したら塩コショウで味を調え、小ネギを散らして完成です。我が家では湯むきが面倒ですから、缶詰のカットトマトで代用していますが、煮込む手間も省けて便利です。

 

TV東京「男子ごはん」のHPより

今年の鍋の季節は終わりましたが、寄せ鍋、キムチ鍋、水炊きがローテーションされていた我が家に新たに加わった鍋メニューですから、また寒くなる頃には食べたいなあと思い始める事でしょう。

上野から湯島、神田を散策

 

前回、夫婦揃っての節制生活開始のキックオフで銀座コリドー街の筋肉食堂に行ったことを書きましたが、食事編に続いては運動編で、筋肉食堂を出て上野に向かう所から再開します。

 

運動とはいってもジム通いやランニングなどのハードなものを想定している訳ではなく、歳相応に観光を兼ねての街歩きあたりが中心となるでしょうし、この日も上野公園にある「したまちミュージアム」を見学して、その後周辺を歩いて来る積りでした。
筋肉食堂を出て有楽町までは銀座ファイブなどのショッピングモールを通り抜けて行ったのですが、銀座ファイブは客層も高齢者が多く、少し時間が止まっているような感じを受けます。有楽町が近付いて来ると徐々に若者の姿も増えて来ましたが、、、。

 

有楽町で山手線に乗り、上野の不忍口で降りて「したまちミュージアム」に向かいます。まあ上野ですからかなり人は多かったですが、こちら側は公園口と比べると少ない方で、したまちミュージアムもメジャーとは言えない小規模な施設ですから、訪れる人も多くなくてゆっくり見ることが出来ました。

 

 

したまちミュージアムは不忍池の畔ですから、最初は博物館を出たら不忍池の周りを回って上野動物園の方へ向かって歩こうと思っていたのですが、喉も渇いていましたので、不忍池と湯島の間の飲食店街に入って店を探すことにしました。ところが仲町通りというこの通りは昼間は閑散としていて、カフェも見つかりません。不忍池に戻ってもカフェはありそうも無かったですから、湯島天神下まで歩き、そこにあったドトールで一休みです。

 

ドトールで一息ついた後、ここまで来たら湯島天神にお参りして行こうという事になりましたので、当初の予定は変更して、この日は湯島からお茶の水まで行くコースを歩くことにしました。湯島天神に来たのも久しぶりで、もう10年以上も前に梅を見に来て以来だと思いますが、記憶にあるより社殿よりも新しくなっているような気がしますから、修復が行われたのでしょうか。

 

 

お参りを終えて、御茶ノ水駅方面へ向かう通りを清水坂下の交差点まで来たところで、左手に「神田明神」の案内板がありました。千葉県在住の私は、これまで神田明神へは総武線で秋葉原まで来て、そこから歩いていましたので、こんな所に神田明神があるのがとても意外だったのですが、秋葉原よりも御茶ノ水の方がよほど近いところにあったんですね。
せっかくですから神田明神にもお参りしていくことにしました。ちょうど例大祭が行われていて、大きなテントの中には氏子の皆さんが大勢詰めかけていました。さすが商売繁盛の神様だけあって繁盛しています。
またここ神田明神は平将門公をお祀りしている事でも有名で、朝廷の意を受けて将門成敗祈願をした成田山新勝寺とは同時にお参りしてはいけないと言われているのだそうです。それを知らなかった私は、数年前我が家の恒例行事である元日の成田山新勝寺初詣の後、当時関係していた企業の初出に合わせた神田明神初詣にも参加してしまい、あとでそれを知った時は内心冷や汗ものでした。まあその年は格段何の障りも無かったですし、今年も元日には新勝寺に行っているのですが、既に5カ月以上間隔が開いていますから将門公も大目に見て下さるだろうと思います。

 

 

神田明神下に出て国道17号線(旧中山道)を渡るとそこには「湯島聖堂」があります。ついでと言っては「日本の学校教育発祥の地」に対して大変失礼ですが、ここにも立ち寄って行く事にしました。
湯島聖堂は五代将軍綱吉によって建てられた「孔子廟」が発展して「聖堂」と呼ばれるようになり、その後十一代家斉の時、更に規模を拡大して「昌平坂学問所」となったことから学校教育発祥の地とされているのだそうです。

 

大成殿の門の横には、朱子学の本拠地らしく、「宥座之器(ゆうざのき)」という、孔子の説く中庸の大切さを戒める器具が置かれています。「宥座」とは、常に身近に置いて戒めとするという意味らしく、一見、空のブリキバケツがちょっと傾いてぶら下がっているだけなのですが、柄杓で水を汲んでいくと徐々に正立し始めて、さらに水を足していくと一気に傾いてすべてこぼれてしまいます。
そのココロは、「中が空っぽだと傾いてしまう。」が「ほどよく水が入っているとまっすぐになり」、「水を入れすぎるとひっくり返ってしまう。」ということで、わかりやすい例えですね。

 

 

その後は、お茶の水ではなく秋葉原まで歩いて総武線に乗り、何だかんだでこの日12,000歩余りの散歩となりました。スタートとしては上々でしたが、肝心なのは今後の継続です。

 

 

 

都内散策前に「筋肉食堂 銀座コリドー店」で昼食

 

この日は夫婦で都内散策です。
第一目標地点は上野公園の不忍池そばにある「したまちミュージアム」だったのですが、まずは昼食を銀座コリドー街にある筋肉食堂で食べてから行くことにしました。
かなり遠回りとはなるのですが、今回妻が病院で高コレステロール・高血糖を指摘され、コレステロール薬の処方が始まってしまいましたので、今後はまず運動、そして食事は低脂肪・低血糖・高たんぱくを心がけなくちゃねということで、この日はそのキックオフ的な意味合いのお出かけでもあったのです。

 

私は以前から血糖値・コレステロール値・中性脂肪高めを指摘され続けているのですが、彼女は自分もその仲間入りをしてしまった事に少なからずショックを受けていました。老いを実感したみたいです。
彼女は今もフリーでヨガのイントラをやっていますので、運動についてはさほど心配なさそうなのですが、食事には私同様の注意が必要となります。まあ夫婦揃って同じ症状ですからメニューを考えるのは簡単となったとも言えます。

 

銀座コリドー街にある筋肉食堂にはこれまで夜しか来たことが無くて、ランチメニューを見るのは初めてでした。平日の12時過ぎとあって近隣のオフィスから来たらしい若いサラリーマンで賑わっていました。
例によって写真を撮り忘れましたのでお店のHPの写真をお借りしましたが、「限定」という言葉に誘われて、「【限定10食】リブロースステーキプレート150g」というのを頼みました。筋肉食堂は高たんぱく・低脂肪がキャッチフレーズですが、ことさら低血糖をウリにしている訳ではありません。ただランチメニューのセットは「玄米」「白米」「千切りキャベツ」から選ぶことが出来ますので、低血糖も意識すべき我々としては、ここは迷わず千切りキャベツにすべきところです。しかし意志薄弱な二人はステーキを千切りキャベツで食べる程の覚悟がまだできておらず、玄米で妥協することにしました。
実際の料理は玄米、サラダも一緒になったワンプレートで提供され、歯応えのある赤身肉とこれも硬めの玄米はゆっくり味わいながら食べるには最適でした。この日我々はキックオフという事でややお高めのメニューを選びましたが、平日限定のランチメニューにはハンバーグや鶏もも肉等リーズナブルでヘルシーなものが多く、健康志向の若い人たちにはうけているようです。

 

筋肉食堂のHPより

筋肉食堂までは新橋から歩いたのですが、さっきも書いたように、これまで筋肉食堂に来るのは夜ばかりでしたから、昼間のコリドー街を歩くのはかなり久しぶりでした。
昔ここ銀座コリドー通りから二本東側の数寄屋通りに今もある「はしご」の担々麺(ここでは、だんだんめんと呼びます。)を食べに通ったことがあり、その時はしょっちゅう昼間のコリドー街を歩いていた訳ですが、当時はまだコリドー街という名称もなく、ガード下と呼んでいたような記憶があります。今ほど担々麺の専門店が一般的でなかった時代、ここの担々麺は他とは一味違って病みつきになったのですが、今では支店を出しているからなのか、「はしご本店」と呼ぶようです。

 

銀座コリドー街は今や都内有数のナンパスポットとなっているらしく、確かに夜は国籍様々な若い男女でごった返していますが、昼間は閑散とした感じで、筋肉食堂そばの「美登利寿司」にだけは相変わらずの外国人の行列ができていました。
今ネットでコリドー街をちょっと検索してみたところ、「女子必見!銀座コリドー街でナンパされる簡単な5つのポイント」といった記事が溢れていました。ナンパ指南だけでは無くて、ナンパされ指南まで出回るご時世なんですね。

 

 

 

映画「新幹線大爆破」を観ました。

 

前回は我が家の排気ダクト点検清掃の立会いをしながら「ハンターキラー潜航せよ」という潜水艦もの映画を観たことを書きましたが、実はこの一本では時間を持て余しましたので、引き続きかねてから観たいと思っていた「新幹線大爆破」も鑑賞することにしたのです。

 

前回でも少し書きましたが、原作の1975年版は、高倉健、丹波哲郎、宇津井健、千葉真一、田中邦衛という当時の人気・大物俳優が勢揃いした映画で、キアヌ・リーブスの「スピード」の原典となったことでも知られています。
こちらもNETFLIXで観ることが出来ますので、これを書きながらちょこちょこと観直してみたのですが、大まかなストーリーは憶えていたものの細部については殆ど忘れていました。もうネタバレともならないでしょうから少し書くと、犯人役の健さんが身代金の受け渡しに、ゴールドのCB750Fourを使っていて、健さんのライダー姿もカッコ良かったです。多分スタントマンではないと思うのですが、、。
ちなみに今回の作品の主演は草彅剛くんですが、前作とはストーリーが少し違いますので、健さんとは違う役回りです。

 

eiga.com

 

前作では国鉄の製作協力が得られずに苦労したのだそうですが、今回はJR東日本の全面協力で作られていますので、臨場感もありリアルな演出が随所に見られます。
そして前作の舞台は、東海道山陽新幹線の東京発博多行きのひかり号(当時の最速新幹線)でしたが、今回は協力がJR東日本ですから、東北新幹線新青森発東京行のはやぶさとなっています。今回もJR東海と作っていれば舞台設定も同じになったのかも知れません。

 

しかし、新幹線の現場やJR東日本の運行指令室はとてもリアルに感じたものの、政府から派遣されてくる役人の描写はどうにもショボ過ぎます。仮にも政府を代表して派遣されてくる高級官僚があんな訳ないだろうというレベルで、ヒール役に仕立て上げたいのはわかりますが、この直前に見た「ハンターキラー潜航せよ」のロシア軍がとても陳腐な描かれ方だったのと類似していると感じました。
まあヒール役ではなく道化役の設定だと考えればわからなくもないですが、本当に国交省もしくは政府官房から派遣されてくる若手高級官僚がこんなに傲慢で独善的で短絡的なら、日本もお先真っ暗だと言わざるを得ません。

 

ということで今回はこれで終わりとしますが、ここまででようやく1,000文字になるところです。私は通常1記事当たり1,500文字を目途に書いているのですが、今日は完全に時間切れです。
このブログは隔日17時に公開設定していて、今日17時にはこの記事が公開されているはずだったのですが、18時過ぎに何気なくはてなブログを開いてみると、まだ記事が公開されていませんでした。慌てて確認してみると、この記事の題名と最初の数行まで書いたところで下書き保存し、それですっかり出来上がったものと勘違いして放置していたのです。危うく5年以上続けて来た隔日公開記録が途絶えるところでした。

 

映画「ハンターキラー潜航せよ」を観ました。

 

我が家でJ:COMと契約することになった経緯を前回書きました。その結果NETFLIXを観られることとなり、最初に観始めたのは、アニメ「チ。ー地球の運動についてー」なのですが、中々重い内容で、現在やっとエピソード5の途中まで観たところです。

 

先日我が家の排気ダクト点検清掃というものがあり、3~4時間掛かる結構大がかりなものだったのですが、その日妻は義父の病院への付き添いが必要で、私が留守番を仰せつかりました。まあこういった工事・点検の際女性一人で迎えるのは不安もありますので、私が対応することが多いですから、今回に限って特に問題も不満もある訳ではないのですが。

 

台所・洗面所・トイレ・風呂場の換気扇とそこから外部まで続く排気ダクトの点検清掃でしたから、リビングの声の届く範囲で居ようとすればTVでも眺めているのが一番ですし、こんな時こそNETFLIXで観たかった「新幹線大爆破」を観ようと思い立ちました。ところが番組を探している内に、標題の「ハンターキラー潜航せよ」という潜水艦ものに目が留まりました。
私はトム・クランシーの「レッド・オクトーバーを追え」など軍事スリラーもの、中でも海軍ものが結構好きで小説を読み漁り・映画を観漁りしたことがあったのです。トム・クランシーはハリソン・フォードのジャック・ライアンシリーズで有名ですが、他にもクライブ・カッスラーやスティーブン・クーンツ(空軍ものが多い)などこの方面は多くの作者・作品があります。

 

NETFLIXで一番見たかったはずの「新幹線大爆破」ですが、私はこの映画の1975年版は、本編を観たかどうか定かではないのですが、少なくとも高倉健が犯人役、宇津井健が運転指令、千葉真一が運転手だったということは承知していますし、大方の筋も憶えていますから、少なくとも再放送のTV映画劇場などでは観ています。ですから、海外でも高評価という事を聞いて見てみたいとは思っているものの、そう急いでという程では無いのです。

 

ということで観始めた「ハンターキラー潜航せよ」ですが、ある意味オーソドックスなロシアと米国の一触即発の開戦危機と、それに巻き込まれて行く原潜乗りの姿が描かれていて、ストーリー展開もほぼ定石通りなのですが、海中戦の描写などは迫力があって飽きさせません。ぶっちゃけてしまえば、水戸黄門や大岡越前とほぼ同じであり、敵方のぼんくらさも同じと言えるのですが、さすがハリウッドのスケールの大きさと、俳優陣の好演で2時間があっという間でした。
この分野は好き嫌いがはっきりするものですし、ストーリー展開もそう捻ったものではありませんから、退屈な人には退屈な映画だと思いますが、私は十分楽しみました。 

 

eiga.com

 

 

 

J:COMと契約を結ぶことになりました。

 

先日エレベーターリニューアルの記事でも書きましたが、我がマンションも築30年を超え、色々なところにガタが来ています。昨年まで理事長をやっていましたから、そういった情報も逐一入って来て、これからの設備維持修繕にはかなり手間と費用がかかりそうだと感じていたのですが、その中の一つにTVの受信設備がありました。

 

竣工以来、衛星放送の設備は一度更新しているのですが、地上波の方はそのままになっており、受信設備を大がかりに刷新するか、他の方法を模索するかを選ぶ必要がある、というのがその時の状況で、その後1年経過して新理事会が出した結論が、「J:COM」というケーブルテレビ局との契約だったのです。
ここは全国各地のテーブルテレビ局を吸収して、現在では最大手となっている住友商事・KDDIが出資している企業ですが、ここの傘下となった「コアラテレビ」という東葛エリアを地盤とするケーブルテレビに一時加入していたことがあり、そこのカトゥーンチャンネルで我が家の子供たちは「トムとジェリー」に嵌りました。

 

マンションとしては、これまで独自アンテナで受信していた地上波を無償でJ:COMの設備から受けられることになり、以降の維持・メンテから解放されるというメリットがあり、その代わりに、各戸への電話回線やネット回線等の乗り換えを勧める営業活動を認める、というものです。もちろん各戸は個別に受けても断っても良いのですが、それすらも鬱陶しいという人が多い場合はこの案はご破算となります。結果独自設備を今後も維持するためのコストとの見合いでJ:COM導入案が採択され、この春から切り替えられることになりました。

 

我が家ではKDDIで固定回線もネットも携帯もまとめていましたので、当初はJ:COMはTVだけで良いと考えていたのですが、聞いて見るとJ:COMはKDDIが出資していることもあって、こちらに固定電話やネット回線を乗り換えても携帯のまとめサービスは継続でき、また解約の際の違約金はJ:COMからのキャッシュバックで払ってお釣りがくるとの事でしたから、こちらも乗り換えることにしました。

 

不都合なことは一つだけ、私は仕事でのやり取りメールにはau-oneメールから提供されたアドレスを使っていたのですが、J:COMではアドレス提供はされないそうで、今後はGmailを使うことになります。固い会社ではフリーメールを許可していないところもありましたので、au-oneメールにしていたのですが、今ではGmailも社会的に認知されているようですからまあ大丈夫でしょう。
プライベートではずっと昔からhotmail(今のoutlook)を使っていて、hotmail.comのアドレスには愛着もあるのですが、これは今でもはじかれることが多いですから、仕事には使っていませんでした。

 

固定電話もTVもネットも切り替えが終わり、しばらくは問題なかったのですが、ある日突然TVも電話もネットもつながらなくなりました。カスタマーセンターに連絡したところマンション全体で不具合が発生しているようで、すぐ修理に向かわせますとの事でした。結果外部線からマンションに回線を引き込む部分に雨漏りが発生し(この日はかなりの大雨でした。)、不具合が起こってしまっていたようです。4~5時間で復旧しましたからそう不便もありませんでしたが、TVもネットも固定電話もつながらないとなると、スマホを眺めているくらいしかやることが無くなりますね。そんな時こそ本を読めよという事なんですが、最近全く読書しなくなっています。

 

NETFLIXが見られることもJ:COM加入のメリットです。妻は以前から「地面師たち」を観たかったようで、早速観始めましたし、私は「新幹線大爆破」に興味があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「道とん堀」で、もんじゃ焼き作り初チャレンジ

 

「道とん堀」というお好み焼きチェーンがあって、我が家も子供が同居している時は良く行く店の一つでした。

 

「道とん堀」という店名から、てっきり大阪の会社だと思っていたのですが、同社の公式ホームページによれば、東京都福生市に本社があり、全国で230店余りをフランチャイズ方式で展開する企業で、母親がやっていたお好み焼き屋を発展させて1990年に起業した会社のようです。

 

同様な例としては(株)トリドールが運営する「丸亀製麺」があり、ここも兵庫県加古川市が発祥の地で香川県とは無関係です。ただ創業者のお父さんが香川県出身で、全国に讃岐うどんの美味しさを届けたいという思いから「丸亀」という名前を付けたのだそうで、これまで香川県出身者として丸亀製麺には釈然としない思いもあったのですが、今回これを知ってかなり腹落ちがしました。
妻は兵庫県出身なのですが、私と同様に道とん堀は大阪発祥の店だと疑っておらず、今回上記の事を伝えると、やはり私が丸亀製麺に感じたような思いを持ったようです。

 

というような店名に関わるあれこれはさておき、道とん堀には子供たちが小さい頃からですからもう二十数年通っているのですが、子供たちが家を出てしまうと、夫婦二人の外食時にこの店が選ばれる確率は低く、かなり足が遠のいていました。
そんなある日妻がTVでもんじゃ焼きを取り上げた番組を観て、久しぶりに食べたいねと言い出したのが今回訪問となったきっかけです。

 

最初通っていたのは我が家から最も近い店で、娘が中学生まではこの店だったのですが、道とん堀は食べ放題コースやドリンクバーなど安くお腹一杯になれる店ですから、部活生たちでも賑わっていて、地元中学でやはり体育会系の部活をしていた娘は、しょっちゅう他部の先輩たちに会うのが気詰まりだと言い出して、それからは少し離れたところにある今の店に通うようになりました。この日も当時と同じようにこの店でも地元校バレーボール部と思しき女子中学生たち4~5人が楽しそうにお好み焼き・もんじゃ焼きを楽しんでいました。


今回はもんじゃ焼きが目的だった訳ですが、近畿・四国出身の我が夫婦は、関東に出て来るまでもんじゃを食べたことが無く、正直食べたいとも思っていなかったので、この道とん堀に来るようになってもしばらくはお好み焼き・焼きそばしか注文していませんでした。それが、千葉で育った子供たちが友達付き合いの中でもんじゃを食べるようになり、この道とん堀でももんじゃを注文するようになったのですが、作るのは専ら娘の役割で、私たちは見ているだけでした。お好み焼きは私たち、もんじゃは娘、という分担でしたから、この日がもんじゃ初挑戦だった訳です。

 

とはいえまずはお好み焼きからだろうと「ミックスお好み焼き」を注文し、そのあと「ミックスもんじゃ」を頼みました。お好み焼きは問題なく作れましたが、もんじゃのほうはどこまで具を細かく刻むのか、とかどの辺まで出汁のとろみがつけばいいのか、とか迷うことばかりでした。まあ食べられるものになりましたから良しとしますが、ビジュアルはやはりお好み焼きに軍配を上げたいです。

 



そういえば道とん堀では入店時に店員さんが「いらっしゃいませ!ぽんぽこぽん!!」という元気な掛け声で迎えてくれていたと思うのですが、今回気付けばそれは無くなっていました。まだ早い時刻の入店でスタッフが少なかったからかもしれませんが、正直嬉しいというより気恥ずかしいという気持ちの方が強く、言う側の若いスタッフの抵抗感はもっと強かったでしょうから、廃止となったのかも知れません。

 

 

 

五月晴れ

 

一昨日は五月晴れという言葉がぴったり来るような素晴らしい天気でした。
かつては梅雨の合間(今の6月、旧暦では5月)に見られる晴れ間を指していたらしいのですが、現在では5月の爽やかな晴天を表すことが一般的ですね。春の終わりと夏の始まりを感じる独特の風情がありますが、春と夏で言えばどちらに属するのでしょうか?
気象学的(気象庁の定義)には、3月〜5月が春、6月〜8月が夏とされているので春。暦(旧暦)では、立夏(今年は5月5日)を境に夏が始まるため、5月初めは春、それ以降は夏。天文学的な区分では、春分(今年は3月20日)から夏至(今年は6月21日)までが春とされるため、5月は春です。
つまり、一般的には5月は春とされますが、旧暦の考え方では5月の中旬以降は夏とみなされることもあります。
・・・とAIが教えてくれました。

一昨日のような五月晴れの日には、真っ青な空と澄んだ空気が心を軽くしてくれます。新緑が鮮やかなこの季節には、若葉の香りも心を解放してくれるように感じるのですが、実は我が妻はこれが大の苦手なのです。昔から若葉の匂いを表現するのに使われる「むせかえるような」「濃密な青臭さ」を受け付けないようで、この時期の自然散策にはかなり消極的です。私は、彼女は恐らく栗の花の匂いに反応しているのであって、若葉の匂いではないと思うのですが、まあ若葉の匂いも濃密なのは確かです。

 

俳句や短歌の世界においても五月晴れは多くの作品に登場しますが、上に書いたように本来は旧暦の5月の梅雨の合間の晴れを指していましたので、俳句の季語としては「夏」に分類されます。
5月にはこどもの日(端午の節句)があり、鯉のぼりが風に舞う様子は、五月晴れの青空に映えて日本人の原風景のひとつとも言えますが、端午の節句も本来は旧暦の5月5日ですから鯉のぼりも夏の季語であり、俳句や短歌の世界では季節がちゃんと一致しているんですね。

 

また五月晴れという言葉から5月は晴天が多いような印象を持ちますが、実は晴天率では12ヶ月中でも下位なのだそうで、1月、12月、2月という順で冬の月がトップ3でした。私は以前何かの記事で11月の晴天率が高いという事を読んだ気がするのですが、このランキングでは4位に位置付けられていました。低いのは予想通り6月と7月ですがこれは梅雨の影響で納得です。


また5月には「5月病」という言葉もあり、これは新年度の環境変化やゴールデンウィーク後の生活リズムの乱れによって生じる心身の不調のことですが、五月晴れの明るい空の下に積極的に出かけて、心の迷いや体の不調を振り払っていきたいものです。
私自身は大きな環境変化もありませんし、ゴールデンウィーク中は風邪気味という事もあって自宅でおとなしくしていましたから5月病とは全く無縁です。処方された薬に入っていた眠気を誘う作用のせいなのか、連日9時間以上寝ていましたのでむしろ従来より体調は良い位です。
そして絵にかいたような五月晴れに誘われ、昼前からハイエースを引っ張り出して手賀沼の周辺をゆっくり流し、お昼には白井市にある「やまもと」という蕎麦屋で、看板の「鴨南蛮そば」を食べて来ました。5日ぶりに外に出たもので日差しが眩しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

ゴールデンウィークのこと

 

今年のゴールデンウィークも6日で終わりましたが、私は4月の終わりから風邪症状ですっきりしませんでしたから、3日からの4連休はおとなしく自宅で過ごしました。平日でも出掛けられる隠居の身ですから、わざわざ混み合うゴールデンウィークに遊びに行かなくてもいいのです。

 

4月28日の月曜日、喉の痛みが耐えられなくなって鎮痛剤をもらってきて、2日ほど小康状態だったのですが、5月1日あたりからくしゃみ・鼻水・咳・鼻づまりと順に症状が現れて来て、咳のしすぎで腹筋が痛い位でした。最初の診断でコロナ・インフル共に陰性でしたから時間が経てば治るだろうと思ってはいたのですが、3日からの4連休には病院も休みですから、念のため薬を貰っておこうと再度病院に行きました。
結果全ての症状が嘘のように治まり、快適な日々を送れたのですが、その為に飲んだ薬の量は半端なく多くて、初日の夜は通常服用している薬も含めて何と13錠です。まるでふりかけですね。
ただこれは私も納得した上で処方してもらったものですから、それ自体に文句がある訳ではありません。医師「喉の痛みは処方されてますね?」私「はい」、医師「咳は辛いですか?」私「はい。とても」、医師「鼻詰まりは?」・・・といった感じでそれぞれの症状に薬が処方された結果なのです。一つの症状に毎食後3錠ずつといった薬が多かったためにこうなりました。

 

 

私の現役時代もゴールデンウィークはあって世間は浮かれていましたが、私は祝日に出勤することも多かったので、家族で出掛けるのも土日に近場へ少しだけ、という感じでした。
そもそもゴールデンウィークがいつできたのかといえば、昭和23年の祝日法により、昭和の日(4/29)、 憲法記念日(5/3)、みどりの日(5/4)、こどもの日(5/5)が順次制定され、これらの祝日に週末が組み合わされて長期休暇が生まれることになったのです。
4/29は制定当時(昭和)天皇誕生日で、平成となってみどりの日となり、更に昭和の日となったものです。その際にみどりの日が5/4に移動したのですが、当時既に5/4は祝日に挟まれる日として国民の休日でしたから、休みが増える事とはなりませんでした。どうせなら5/6にしてくれればと多くの人が思ったんじゃないでしょうか。

 

そしてゴールデンウィークの間にある5月1日はメーデーで、昔は多くの労働組合が組合員に動員をかけて日比谷公園での集会等に参加していました。ただメーデーは祝日ではないため、企業によって対応が異なり、一部の企業や労働組合では休業日として設定している場合もありますが、メーデーを休む企業は少数派だと思います。
メーデーは労働者の権利を訴える日として世界的に認識されているのですが、日本では勤労感謝の日(11/23)があるため、メーデーを祝日とする必要性が低いと考えられているようです。ただ、ゴールデンウィークの一部として有給休暇を取得する人も多く、企業によっては有給奨励日として扱っているケースもあるのだとか。

 

またゴールデンウィークという名称は、1950年代に映画業界が「黄金週間」として宣伝したことが由来で、私なんかはそのまま黄金週間の方が趣きがあって好きですが、何でも横文字の風潮は当時からあったという事なんでしょうね。

 

ゴールデンウィークには、この時期多くの収益を上げるため、観光業や交通業界では様々なキャンペーンを行いますが、観光客の集中により渋滞や混雑も多発します。それもあって近頃では、旅行に行かずに自宅でのんびり過ごす人も増えており、それを「ステイケーション(自宅休暇)」と呼ぶのだそうです。
私たち夫婦は、冒頭書いたようにこの期間はおとなしくしていましたので、正にステイケーションだった訳ですが、今は5月の終わりに予定している国内ツアーを楽しみに待っているところです。

 

 

 

マイナ免許証に切り替えました。

先日所轄の警察署に行ってマイナ免許証への切り替え手続きをして来ました。
健康保険証は既に一本化していますから、これで3枚のカードが1枚になった訳です。
その他のメリットとして、住所変更は市区町村での手続きだけで完了し、警察署での手続きが不要になる、優良運転者や一般運転者は免許更新時講習をオンラインで受講できるようになる、更新手数料が安くなる場合がある、引越し先の他県でも即日更新ができる、などの利点があげられていましたが、私にとっては財布を薄くしたいというのが一番でした。
しかしマイナ免許証に懐疑的な妻からは、そんなことより使っていない沢山のカードを整理する方が先じゃない?と言われてしまい、これには返す言葉がありませんでした。

 

政府はマイナ免許証のメリットしか言いませんが、デメリットがあるのも当然です。
紛失の際はマイナンバーカードの再発行手続きも必要となるので最大1ヶ月間運転できなくなる可能性がある、一部のレンタカー会社やカーシェアリングサービスではまだ対応できておらず利用できないケースがある、紛失や盗難時に個人情報が一度に流出するリスクが高まる、導入初期にはシステムの不具合や運用の混乱が発生する可能性がある、などがあげられていますが、私個人としては再発行の長期化、レンタカーを利用できない場合がある、あたりが懸念点ですかね。

 

従来の運転免許証との比較では、マイナ免許証はICチップを搭載したマイナンバーカードと統合されていますから、顔認証や電子証明書によってセキュリティが強化されており、なりすまし等の不正利用防止や、本人確認の迅速化が期待されています。警察官による免許確認時には、専用の端末を使用してデータを読み取る仕組みになっているのだそうです。最近職務質問されたことは無いので過去の記憶ですが、パトカーの無線で本部に私の免許証番号を読み上げて照会し本人確認を取っていたので、やたら時間が掛かったのを憶えています。
 

最初に千葉県警のHPを見てみると、切り替え手続きの方法が示されていて、所轄の警察署か運転免許センターでの手続きが可能だが、事前予約が必要となっていました。ところがその事前予約のサイトがどうしても見つからず、電話してみるしかないかと警察署にかけてみたところ、あっさり予約は要らないので直接来てくださいと言われました。千葉県警、このあたりも混乱してるんじゃないですかね?

 

運転免許証とマイナンバーカードさえ持参すれば良いそうでしたから、早速出掛けて交通課で手続きしてもらいました。専用のノートPCとマイナンバーカードの情報読み取り用リーダーを係の警察官が操作して、手続きそのものはホンの5分もあれば終わるものでしたが、最後の電子証明書用暗証番号を入力する場面で、私の記憶が間違っていたらしく何度かはじかれてしまい、係の警察官から、今日は諦めてもう一度暗証番号を確認して来て下さいと言われてしまいました。一定回数間違えるとロックがかかってしまい、市役所に本人が出向いて解除してもらわなければならなくなり、大変手間なのだそうです。この時点で従来の運転免許証は回収されていたのですが、既にデータはマイナンバーカードに移行を終えているので免許不携帯とはならず、住所変更やオンライン講習の為のデータ連携というのが最後暗証番号が認証されるまで残っている状態なのだそうです。

 

一旦帰宅して確認してみると、全く違う番号で記憶していたことがわかりました。何でこの番号に記憶変換されたのかが謎なのですが、ともあれ後日出直して無事データ連携も終わりました。最初の時と同じ男女警官の方だったのですが、無事認証された時には「良かった~」と二人そろって笑顔で拍手してくれました。とてもフレンドリーでほっこりしたのですが、一方では、ITに弱い老人と心配していたんだろうなと少々複雑でもありました。

 

 

 

ご近所で藤見物など少し

 

桜旅を終えた後は浅草の流鏑馬を見て、春のイベントは一段落しましたので、朝から初夏のような上天気だったこの日、近くの藤でも見に行こうかという事になりました。
近くなら、手賀沼の畔、親水公園の近くに藤棚があってそこの藤は見応えがありますし、私が良く行くラーメン屋の近くにある観音寺というお寺も花の寺として知られていて、この時期は牡丹が有名ですが、藤も中々のものです。

 

まずは観音寺からですが、牡丹は既に終わり近くて、藤も盛りは過ぎた感じでした。それでも何輪かの牡丹は大柄な美しい花を残していましたし、藤棚の藤も良い香りを放って咲いていました。

 

 

この日は4月29日だったのですが、ゴールデンウィーク最初の土日ならばどちらももっと盛りだったでしょうし、更にひと月前なら桜が大変きれいだったろうと思います。
その他にはツツジがきれいに咲いていたのですが、これはアザレア(西洋ツツジ)なんだそうで、従来のツツジより葉が小さいんですね。私は昔から躑躅(ツツジ)と髑髏(ドクロ)を良く間違えていたのですが、こうやって漢字を並べてみると、類似点は単に画数が多いことだけみたいです。

 

 

祝日でしたが、牡丹も藤もピークを過ぎた柏市郊外のこの寺に訪れる人は多くなく、駐車場も空いていましたし、境内を散策する人ものんびり静かに歩いていました。
昼食は近くのラーメン屋「ちよだ」の積りだったのですが、11時半の開店直後にも関わらず駐車場に入れない状態でしたから、諦めて少し離れたところの蕎麦屋に行くことにしました。ちよだはいつも混んではいるのですが、この日が祝日だという事をすっかり忘れていました。隠居老人あるあるです。
その日行った蕎麦屋で食べた辛味大根蕎麦は、それはそれで美味しかったのですが、例によって写真を撮り忘れましたので、翌日別の用件で出掛けた時にリベンジで食べた、ちよだの中華そばを載せておきます。

 

 

昼食の後は我孫子まで行って、手賀沼の北側にある藤棚の藤見物をして、沼畔を少し歩いてきました。
藤は午前中の観音寺よりも更に時期は過ぎている感じでしたが、まだ多くの花が残っていて、かなりの人が見物に訪れていましたし、沼畔の道をサイクリングしたりウォーキングしたりする人も多かったです。そして藤棚の隣の畑には雉(キジ)が居て、エサをついばんでいるのか、何やら歩き回っていました。こんな所に雉が居るんですね。

 

 

遊歩道・サイクリングロードには観音寺のアザレアではない従来種のツツジが咲いており、これも目を楽しませてくれました。
少し歩いた後は、手賀大橋を渡って手賀沼の南岸にある道の駅近くの「手賀カフェ」にコーヒーを飲みに行きました。以前から存在は知っていて、一度行って見たいと思っていたところなのです。
少し高台になっていて、手賀沼を見下ろす感じで建っている中々お洒落なカフェです。

 

 

 

 

浅草流鏑馬を観て来ました。

 

桜旅Ⅱから帰った翌日の土曜日、妻と台東区で開催された「浅草流鏑馬(やぶさめ)」に行って来ました。この予定が先に決まっていたので桜旅を前日で切り上げて帰って来た訳です。

 

この行事の事は今年の初め頃にネットの情報で知り、妻と相談して申し込んだのですが、それまで浅草という繁華街で流鏑馬が定期開催されている事自体全く知りませんでした。
浅草寺の東側、隅田川沿いにある隅田公園を会場として開催されていて、今年で41回目となります。江戸時代には浅草神社の正月行事として1月5日に開催されていたのですが、現在各地に残されている流鏑馬の形式とは異なる様式の神事だったものを、観光行事として他の流鏑馬と同様な形で復活させたものなのだそうです。

 

流鏑馬開始は13時でしたが、会場は10時半に開くとの事で全て自由席でしたから、昼食を食べて12時には入る積りで出掛けました。
雷門周辺は相変わらずの大混雑でしたから、少し歩いて公園通りというところにあった「元祖釜めし春」という店で、妻は五目釜めし、私はカニ釜めしです。
この辺りまで来れば雷門あたりの喧騒に比べてかなり静かですが、それでも11時開店直後の店内はかなり混雑していました。

 

 

店を出て再び雷門方面に戻り、松屋浅草店の横を通り過ぎて隅田川に出ればそこが流鏑馬会場で、隅田川沿いにあって細長く真直ぐな公園の敷地をうまく利用して流鏑馬の馬場を作っていました。
細長い馬場に沿ってパイプ椅子が並べられていて、手の届くような近さを騎馬が駆け抜けていくのは迫力満点でしたが、馬にも気性の違いはあるようで、開始前からかなり入れ込んでいる風の馬は全速で駆け抜けて行きましたし、大型でおっとりしている雰囲気の馬は走り方もゆったりしていました。

 

 

最初に騎乗した射手が順に馬場を往復し、そのあと儀式が始まって行列が会場を行進しました。その間この流鏑馬の執行管理をしている小笠原宗家の方による流鏑馬の由来やそれぞれの儀礼・衣装・武具などの意味の説明があります。英語通訳付きだったのですが通訳はかなり高齢の方らしく、英語に疎い私が聞いても「あ、かなり端折ったな」と感じるところが多かったです。私の隣は西洋人の男性と日本人女性のカップルだったのですが男性はかなり日本語が堪能で、通訳が翻訳を簡単に飛ばしてしまう度に、「それは違うだろ」と日本語で突っ込みを入れていました。

 

その後いよいよ流鏑馬の始まりですが、一の的から三の的まで駆け抜けながら弓を射て行くのは素人目に見てもかなり難易度が高く、確か各自3つの的×三回での全的的中者はいなかったと思います。
老若男女、外国人の騎手もいてかなり多様化は進んでいますが、子供(小学校中学年?)の騎手が白い絹布を土に着かないようになびかせて走るという儀式?種目?には、大型でおっとりしている馬が選ばれて、ゆっくりゆっくり走っていきました。そのおかげで絹布は土に触れてしまっていましたが、、、。

 

 

現代では神社等で流鏑馬を開催することが多いですから、ここのように背景にビルが迫っている光景は珍しいと思います。マンションが多く、流鏑馬が始まるとベランダに出て上から見物する住民の方もいましたが、ここは隅田川沿いに桜並木が続いていますから、少し前までは満開の桜が楽しめたでしょうし、その後ろの隅田川の流れは年中眺めることが出来る訳で、素敵な住環境ですね。

 

流鏑馬が終わった後は少し周辺を歩くことにして、「今戸神社」まで行って見ました。白猫が自由に暮らしていることが岩合光昭さんの番組で紹介されて有名になった神社なのですが、残念ながらこの日はいませんでした。神出鬼没で、出会えれば幸運を手にすることが出来る招福猫なんだそうですが、境内に沢山ある招き猫や猫グッズにはあまり興味がありませんでした。
また、途中にある「待乳山聖天宮(まつちやましょうでんぐう)」にも立ち寄ってみました。難読地名ですし、更に「しょうてんぐう」ではなく「しょうでんぐう」らしいです。
歩いていて、スカイツリーがほぼ根元まで見えるスポットを見つけて写真を一枚。お天気も良かったですし、楽しい一日となりました。

 


 

 

 

桜旅Ⅱ・五・六日目:秋田~岩手~帰宅

 

この日は秋田県にかほ市の道の駅からの出発です。
この時点で、秋田県のここ以北のソメイヨシノはまだつぼみから咲き始めの状態で、見頃を迎えるのはまだ数日後という感じでした。青森県はさらに先となりそうでしたが、今回の旅は二日後には妻との約束があって帰宅しなければならないのと、翌日はリモートでの業務が2件入っていましたからそう自由に動くことはできません。
ということで今年の桜旅はひとまずこの日で終了として、秋田・青森・岩手は次年度以降の課題として残すことに決めました。九州では鹿児島・沖縄を残していますから、南端・北端という一番行き難いところを残してしまった事になります。後は旅の途中まだ桜が咲いていない状態で通過するだけとなってしまったところが、和歌山・三重・愛知・岐阜・長野・山梨・静岡・新潟ですから、13県を積み残したという事になります。来年1年では難しいかも知れませんね。

 

とはいってもこの日丸々一日と、翌日もリモート以外の時間は使えますので、東北の残り3県の内一番開花が進んでいる岩手に回ってみることにしました。
岩手といえば「北上展勝地」の桜が有名で、2年前に大人の休日倶楽部のツアーで訪問したことがあるのですが、その年は開花が異常に早くてツアー当日ソメイヨシノは殆ど散ってしまっていたのです。

 

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前日時点で北上展勝地は7分咲きとの事でしたから、これから向かっても大混雑は避けられないでしょうが、ダメ元で行って見て、一関市の「釣山公園」、平泉町の「西行桜の森」という所にも立ち寄る事にして出発しました。
本来ルートは由利本荘から東に進んで北上に抜けるものらしいのですが、ナビには通行止め区間があると表示され、酒田市までずっと南下して最上町を経由し、栗駒高原で宮城県に抜ける道を指示して来ました。前日の月山道路で東北の山岳道路を舐めると危ないと感じていましたから無理はせず、おとなしく南下ルートを進むことにしましたが、それでも路肩には多くの残雪がありました。

 


当初は北方→平泉→一関という順を想定していたのですが、逆に南から北上することになりましたので、まずは一関市の釣山公園です。
ここは元の一関城で、平安時代には坂上田村麻呂が東夷東征で陣を張ったと言われており、戦略上重要な所だったようです。下の写真で遠くに見えるのは鳥海山でしょうか。

 


次の目的地平泉町は一関市の隣ですからクルマで30分もかかりません。既にお昼を回っていましたから、まず昼食場所を探して、中尊寺の近くで「はっと汁」という郷土料理が食べられる「夢乃風」に決めました。
はっと汁はいわゆる「すいとん」で主に東北地方で食べられており、小麦粉料理を好む農民が増えて米の生産を怠ることを懸念した殿様がご法度を発令したためとか、あまりに美味しいので、食べた殿様が平民が食べるのはご法度と言ったとか伝えられているのだそうです。

 

 

この後目的地である「西行桜の森」に向かったのですが、山の中腹にある桜の森はまだ満開には遠く、この時点では上の写真の通り「夢乃風」の前を走る奥州街道の桜並木の方が見応えがありました。

 

 

そして西行桜の森を下りて北上展勝地に向かったのですが、駐車場の2kmも前から渋滞が始まり、駐車場に入るのがいつになるかもわからない位でしたから、渋滞中の車窓から見える範囲の桜を撮影することで北上展勝地は終わりとしました。
新幹線の北上駅からはシャトルバスが出ていましたので、駅前駐車場にハイエースを停めてこれで展勝地に行くということも出来たのですが、この時すでに15時過ぎで、翌日移動しながらリモートすることを考えると、少しでも千葉に向けて引き返しておいた方が良さそうで、ここも来年以降の訪問地として残すこととしました。東北三大桜とうたわれるほどの名所ですから、早朝訪問の一手でしょうね。

 

 

桜旅はこれで終了、あとは帰るだけですが、先日宮城から引き返した時は常磐道を使いましたので、今回は東北道で帰ることに決め、その前に奥州市の温泉施設で早めの入浴だけ済ませて高速に乗り、長者原SAのレストランで夕食を済ませて就寝しました。
翌日は仙台市内へ向かう混雑を警戒して早めに出発、順調に仙台市内をパスして東北道を南下していたのですが、首都圏では東北道が渋滞しそうな雰囲気でしたから急遽予定を変えて、郡山JCTから磐越自動車道に入り、いわきJCTで常磐道に合流して帰宅しました。途中2か所のSA/PAでリモートをこなし、長距離走行でかなり汚れたハイエースを洗ってやって自宅に着いたのは17時でした。

 

桜旅Ⅱは計6日で終わりとなり、桜の名所にも数える程しか行けませんでしたが、たとえ有名どころではなくても、日本中どこの桜も十分満足できるほど美しく、日々楽しませてもらいました。
広い東北を行ったり来たりしましたから走行距離も延び、2,200kmとなりましたから、桜旅Ⅰの3,300kmと合わせて今年の桜旅総計で5,500kmとなりました。
これから来年以降に向けて、ハイエース維持のための財務省折衝が始まります。

 

 

 

 

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