シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

日本青年館ホールで文楽公演を観て来ました。

 

新宿区霞ヶ丘にある日本青年館ホールで、文楽の公演を観て来ました。文楽の本拠地は、千代田区隼町にあった国立劇場なのですが、その国立劇場が昨年秋に老朽化で建て替えとなり、2029年の新施設完成までは各地のホールを借りて公演を続けるのだそうです。

 

この日の公演場所となった日本青年館も、昔は100m程北側にある新国立競技場の敷地内にあって、当時は会社説明会や研修場所として借りたこともあったのですが、今は神宮球場の隣に移り、高層ビルとして生まれ変わっています。
JRの信濃町・千駄ヶ谷駅、地下鉄の外苑前、どこからでも行けるのですが、この日は新橋から銀座線で外苑前に向かいました。12時開演なので新橋駅地下のカフェで朝昼兼用のモーニングセットを食べて日本青年館に着いたのが11時20分頃、開場は11時半頃を予定しているとの事でしたから、隣にある日本オリンピックミュージアムの付近を少し散歩して時間をつぶしてから入場しました。

 



文楽は、 三味線を伴奏とする義太夫節にあわせて人形操作を行うわが国の伝統的な人形劇である人形浄瑠璃で、元はそれを興行する一座だった文楽座に由来し、今では人形浄瑠璃の代名詞となっています。
元々は人形浄瑠璃といわれていたのですが、大正中期以降、その上演場所であった文楽座が唯一の専門劇場となったことから、文楽が人形浄瑠璃の芸能そのものをさすようになったのだそうです。

 

文楽は、浄瑠璃語り(=義太夫節の大夫)、三味線弾き、人形遣いの三者で成り立っていて、また人形も一体を三人で操ります。主遣い(おもづかい)が首(かしら)と右手、左遣いが左手、足遣いが脚を操作し、「頭(ず)」と呼ばれる主遣いの合図によって呼吸を合わせるのだそうで、人形遣いは基本黒衣姿ですが、主遣いは顔を出し、紋付姿が多いようです。私が観たのは全てこのパターンでした。
一体の人形に3人の人形遣いが付いていますから、4人が登場する場面では12人もの人形遣いが登場することになり、ごちゃごちゃした感じになるのはその通りなのですが、歌舞伎や文楽での黒子は見えていないという約束事ですからその積りで人形に集中していると、不思議と気にならなくなってきます。でもそれなら主遣いが黒子でないのは何故なんでしょうね?一座の顔だからでしょうか?

 

また黒子といえば、芝居の開始時に黒子が「とざい、とーざい、続きましては○○の段、」などと声をかけるのが決まりですが、この掛け声の事を、文字通り東西声(とうざいごえ)というのだそうです。劇場は通常南に向かって建てられていたため、「東西」は客席の端から端までの客に対する呼びかけであり、口上につきものの「隅から隅まで」とほぼ同じ意味なんですね。

 

文楽を観終わった帰りには国立競技場側に向かい、神宮球場裏からいちょう並木を抜けて青山一丁目まで歩きました。そんなに寒くもなく散歩には絶好だったのですが、平日の午後、人通りも少ないいちょう並木は完全な冬枯れの景色でした。
青山一丁目ではホンダのショールームをちょっと覗いて、駅地下の銀座ライオンで小腹満たしをしたのですが、その際、あの阿佐ヶ谷姉妹に遭遇しました。マスクをしていて、しかもピンクじゃない私服姿では全く判らなかったのですが、妻が目ざとく気付き、マスクを取って食事中のところをちらりと見ると、確かに本物でした。失礼ながら、とても小柄な近所のおばさん、という雰囲気でしたね。

 

 

 

 

人間ドックの結果が来ました。

 

年明け早々に受けて来た人間ドックの結果が届きました。
当日、検診の最後に医師からの速報的な説明はあるのですが、まだ結果が出ていない検査もあり、それらも含めた総合所見を受け取るには通常でも数週間かかります。

 

結果はまあ検査当日医師から聞かされたことから大きく外れたところはなく、重篤な問題はなさそうですが、いわゆる生活習慣病については多く当てはまる項目があり、困ったものです。
生活習慣病は、以前は成人病と呼ばれていて、加齢とともに発症・進行するものとされていました。 しかし、実際は運動不足や飲酒・喫煙・不規則な生活など、子どものころからの生活習慣が原因となって発症することが分かり、最近では生活習慣病と呼ばれるようになったのだそうです。そういえば、成人病医学センターとか成人病健診センターとかいう施設名としては残っていますが、最近では成人病という呼び名は使われなくなりましたね。

 

まず軒並み数値が悪いのは糖代謝の項目で、ついに糖尿病予備軍と記載されてしまいました。身内には糖尿病を患った人も多いですから、血筋的にもやはり最も注意すべき項目ですし、炭水化物や甘いものは控えなければいけません。
脂質代謝ではコレステロールと中性脂肪が基準越えでしたが、尿酸値は基準内でした。
コレステロールと尿酸は既に投薬治療中なのですが、それにもかかわらずコレステロールは基準を越えてしまいました。中性脂肪も基準超えですから、年末年始で肉などの料理を盛大に食べてしまった影響が大きいとは思うのですが、、。

 

生活習慣病改善となれば食事制限と運動の習慣化は必ず指示される事ですが、運動はともかく食事については、糖質と脂質、コレステロール、そして尿酸値にも気を配るとすれば一体何を食べればいいの?という事になってしまいます。
高糖質な食品としてあげられているのは、穀類、イモ類、果実類、菓子類など、高コレステロール食品は、卵 、鶏・豚・牛レバー、あん肝 、さきいか、うなぎの蒲焼 、海老など、高脂質な食品は、油脂類、バター、 牛肉・豚肉などで、最後に痛風の元凶とされるプリン体を多く含む食品は、煮干し、かつお節、あん肝・白子、干し椎茸、干物、レバー、海老など、とされていました。

 

となると、ご飯や麺類、イモ類の主食系も、牛肉や豚肉、レバー、干物類、卵も、甲殻類や魚卵、スルメなどの珍味系も、デザートや果物類の甘味系も控えなければならず、極端な話、積極的に食べていいのは魚と根菜以外の野菜だけですから、ご飯をほんの少しと魚と葉っぱだけ食べてろと言われているようなものです。
しかし、これを律儀に守っていると人生の楽しみが殆ど失われてしまいますし、そんな極端な食事制限が必要なほど悪化している訳でもありませんので、まずは血筋に多く発症者のいる糖尿病を最優先に考えて、まずは軽度の食事療法に努めようと思っています。
ただこれまでも、分かっていながらつい欲望に負けて、という事が繰り返されているのが実態ですから、肝心なのは継続です。

 

 

 

 

ローソンの「からあげクン」

 

コンビニ大手のローソンには「からあげクン」というロングセラー商品があって、私もちょっと小腹が空いたときなどには重宝しています。糖質制限が必要な身には低糖質のからあげクンは頼りになる存在なのです。

 

今回、映画を見た帰りに立ち寄ったローソンで「七味唐からし」味という新商品を見つけ、試してみることにしました。よく蕎麦屋のテーブルなどに置かれている八幡屋礒五郎というメーカーの七味唐辛子を使っていて、「辛いものが苦手な方はご注意ください」との注意書きが付いています。パッケージにも描かれていますが、こんな缶です。

 

 

自宅に帰って早速食べてみると、確かに七味唐辛子の風味が残っていて美味しいです。しかし、注意喚起しなければならない程辛いとは感じられず、これなら定番のレッドの方が辛いんじゃないかと思いました。
2月5日時点のローソンホームページを見ると、からあげクンは12風味がラインアップされていて、以前はレギュラーとレッドくらいしかなかったのが、最近では新しい味がどんどん増えています。それを試してみるのも楽しみですが、入れ替わりも激しいですからこの風味もいつまで残るのかはわかりません。
からあげクンは1986年発売だそうですから、もう38年間も売られ続けている超ロングセラーです。商品の改廃が早いコンビニにおいては異例の長寿商品と言えますね。

 

当時ローソンにあって今は無いファストフードを思い出してみると、まず当時一番存在感があった(場所を取っていた)のが、ディップアイスです。サーティワンのようにディップで店員さんがすくってくれるアイスが、バニラやラムレーズンなど10フレーバーくらいカウンターに設置されたアイスケースに並んでいました。ローソンに限らずどこのコンビニでもこのアイスは扱っていたのですが、ローソンでは、今や参議院議員様である、当時おニャン子クラブの生稲晃子をCMに起用していました。現在は色々批判もされていますが、当時の彼女はとても可愛かったんです。

 

次にローソンで思い出すのが、ソーダファウンテンです。恐らくコカ・コーラとタイアップしていたと思われるソーダ・サーバーがカウンターに設置されていて、コーラやメロンソーダ、スプライトなど4~5種類の炭酸飲料を注文に応じてカップに注いでくれます。ソーダファウンテン自体イメージできない人の方が多いと思いますが、マックやケンタでバックカウンターのサーバーからカップに注いでくれるのと同じ方式です。
こちらは浅倉亜季というアイドルがCMをやっていて、彼女は当時漫画とテレビアニメで大人気だった「タッチ」のヒロイン浅倉南のイメージガールを選ぶコンテストで優勝した人でしたが、彼女の消息はその後聞かないですね。
確か全てのフレーバーを混ぜてくれみたいな注文にも応じてくれ、コーラが入るとすべてどす黒くなって決して旨いものではないんですが、子供たちは面白がって色々注文していましたね。既に大人だった私はやりませんでしたが、、。

 

その他にも消えていった商品は数限りなくあるでしょうが、そう考えるとコンビニ商品の栄枯盛衰の中で40年近くも定番商品の座を守り続けているからあげクンはやはり大したものですね。

 

 

 

銀座コリドー街の「筋肉食堂」に行って来ました。

 

これまでも何度か行っている「筋肉食堂」で若い友人たちとの会食がありました。
筋肉食堂は、「最高に美味しい、高タンパク低カロリー料理を追求した、グリルダイニング&バー」をうたっていて、アスリートの顧客も多く、ラグビー日本代表の稲垣選手もここのホームページに登場していました。
銀座・六本木・渋谷に店舗展開しているのですが、この日行ったのは創業店舗でもある銀座店です。

 

金曜日の夜、この日の関東地方は夕方から急激に冷え込んできて、新橋から筋肉食堂に向かう銀座コリドー街を歩いているととても寒かったです。
今の銀座コリドー街は都内屈指のナンパスポットと言われているのだそうですが、冷たいビル風が吹き抜けるコリドー街は、人通りこそかなり多かったですが、皆足早に目的地へ向けて通り過ぎていくだけで、ナンパらしい風景には出会えませんでした。まあまだ19時前でしたし、時間的に早かったのもあったんでしょうね。

 

 

この日は適当に料理を頼んで、私は薄めのハイボールをチビチビ、連れたちは乾杯のビールの後は赤ワインに移り、それぞれ最終的には1本以上空けていました。この店のキャッチコピーで「罪悪感の無い飲み会」というのもあるみたいですが、それにしては飲みすぎだろうと飲めない私は思います。
写真を撮り忘れましたから、以前コースで頼んだ時の前菜の写真を載せますが、このエノキ、卵白、砂肝の料理はとても美味しいので、この日はそれぞれ別料理で頼みました。特にエノキは「無限エノキ」という名の通りずっと食べられます。

 

 

最後のフィレステーキはほぼレアの赤身肉で、この肉汁で作ってくれる締めのガーリックライスがまた美味しいのです。散々飲んで食べて、22時過ぎに店を出てコリドー街を新橋に向けて歩き始めたのですがそれでもナンパ風景には出会えず、周りは異国語ばかりでした。この時間ともなればナンパスポットは既に店内に移っていたのかも知れませんね。とても寒かったですし、、。

 

筋肉食堂が初めてだった友人たちもとても満足してくれて、また行きましょうという事になり、新橋駅で別れて帰ろうとしていたら、ここでようやくナンパ風景に出会えました。サラリーマン風の若いスーツ姿の男性がしきりに誘っているのですが、帰宅を急ぐ女性は顔を背けて振り切ろうとしています。私も急いでいましたので顛末は見届けていないのですが、どうなったんでしょうか?

 

ところで「ナンパ」は漢字で書くと「軟派」ですが、自分なりのしっかりした意見や主張を持たない人たちを「軟弱な一派」⇒「軟派」(硬派の対義語)と呼ぶようになって、それが身なりに気をつかったり、男女交際を人生の大事と考える人に対しての言葉へと変化したのだそうです。当時の世の中では男らしい硬派が正で、それとは真逆の女好きで軽薄な奴というイメージがありありでした。
それが今ではカタカナで表記され、男性がはじめて会う女性に街で声を掛ける行動を指す様に変わってきましたが、ひと時代前は「ガールハント」で、私たちの時代には身もふたもない言い方で「ひっかけ」と言っていました。大阪道頓堀川の戎橋も別名は「ひっかけ橋」ですが、語感はかなり悪いです。「ナンパされたの」と「ひっかけられたの」ではかなり印象も違い、特に女性受けは良くない言葉でしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

映画:ゴールデンカムイ実写版を観て来ました。

 

今月の初めに「ゴジラー1.0」を観た、流山おおたかの森のTOHOシネマズで、「ゴールデンカムイ」の実写版を観て来ました。昨年日比谷で観た「キングダム」の実写版と同じく、原作のコミックから読み始めてアニメに移り最後は実写版、というパターンです。元々漫画やアニメ原作の実写版はイメージが壊れそうであまり見てこなかったのですが、前回のキングダムが思いの外面白かったので、主演が同じ山﨑賢人という事もあって観てみる事にしました。

 

前回のゴジラでは、IMAXレーザーという映像・音響が売りのスクリーンでしたから、いかにも音響の良さそうなホール中央部の席を選んだところ、私と同じように考えたらしい人と鉢合わせすることになり、ガラガラの館内で大の男が4人肩を並べての映画鑑賞となってしまいました。
今回もIMAXレーザーだったのですが、前回に懲りて中央部のいかにも音響が良さそうな席は止め、ずっと前方の席にしました。結果、前後左右には誰もおらずゆったりはできたのですが、あまりに前過ぎて今度は目が疲れてしまいました。ゴジラと違って音響にはさほど左右されない映画でしたから、もっと後ろで左右の端に寄った席にすれば良かったのですが、このスクリーンは600円の別料金がかかりますので、そもそも通常スクリーンで良かったのかも知れません。

 

ゴジラの時はまだ冬休み中でしたからお祖父ちゃんお祖母ちゃんらしき人と孫たち、という組み合わせが多かったのですが、この日は単なる平日ですから子供たちの姿はなく、大半が若者で、どちらかといえば閑散としていました。まあ平日昼間はこんなものでしょう。

 


主人公役の山﨑賢人はまあ予想通りで、原作をなかなか忠実に再現していたと思います。また玉木宏や舘ひろしもはまり役でしたし、その他の登場人物も納得の役者さんが多かったです。
ただ、もう一方の主人公であるアイヌの少女は、漫画・アニメではとても可愛い色白の少女として描かれていましたので、実写版も楽しみだったのですが、映画の冒頭で画面一杯にアップされた顔は、山田杏奈という女優さんには悪いですが、かなり違和感がありました。それもあって若干引き気味に観始めたのですが、彼女の演技や表情はとても魅力的で、どんどん引き込まれて行きました。結局適材だったんだなあというのが観終えての感想です。

 

原作にもコミカルな場面は多々あるのですが、これらもほぼ原作に忠実に再現されていました。ただとても残虐な場面やおどろおどろしい場面、映倫ではとても許可されないような数々の発言も原作にはあり、それをどうするのかなと思っていたら許容範囲と思われる程度に薄めて表現していました。まあ当たり前ですが、、。
そして一番残念だったのは、ヒグマやオオカミ、リスなどの動物の表現です。オオカミだけは多少マシでしたが、いかにも作り物で迫力も生き物らしさもなく興ざめでした。

 

映画を観た後、次回上映作品のパンフレットを眺めていて、3月1日から「52ヘルツのクジラたち」という作品が公開されることを知りました。原作は2021年の本屋大賞第1位作品で、昨年秋あるブログで紹介されていたことから興味を持って読み始めたのですが、たちまち引き込まれて一気に最後まで読み終えました。その時すでに今春の映画化と主演の杉咲花は発表されていましたが、彼女は演技派ですから、どんな作品になるのか楽しみです。

 

 

 

虫歯の事

 

先日、3ヶ月毎に経過観察で来るように言われていた歯医者さんに行って来ました。若い頃はこの経過観察の指導を守ったことはなく、歯が痛くなり始めて慌てて駆け込むことが殆どでしたが、昨年初めに虫歯治療をして、3か月後に来なさいと言われていたのを放置していたら秋頃別の歯が痛み始め、結局またその歯の治療も必要になってしまいました。

 

それに懲りて今後は真面目に通おうと思うようになったのですが、元々歯には割と自信があり、今でも完全に失われた歯は一本だけですから、それを過信していた面はあります。成人28本(親知らず4本を除く)の歯の内で残っている歯、残存歯(ざんぞんし)は、60代で24本、70代では15本だそうですから、優秀な部類だとは思います。
しかしまだ乳歯から永久歯に生え変わっていない幼い頃にはとても虫歯が多く、よく街の歯医者さんに通っていました。田舎の事ですから我が家からその歯医者さんのある街までは遠く、バスで通うのですが、子供運賃は確か5円だった記憶があります。

 

妻は歯が弱く、常に歯医者さんのお世話になっていますので、私の歯の事はとてもうらやんでいます。女性の場合は出産時にカルシウムが不足することが多いようで、それは申し訳ないと思うのですが、私は小さい時から牛乳を日常的に飲んで育っており、比較的歯が丈夫なのはその影響も大きいと思います。

 

先程書いた通り、乳歯の頃には虫歯だらけだった私の事を心配した祖母が考えてくれたのだと思うのですが、田舎暮らしで牛乳配達の制度などないところでしたので、隣の農家の乳牛から毎日ビール瓶1本の牛乳を分けて貰っていました。毎朝空き瓶を持って行き、前日の瓶に詰めて貰った牛乳を持って帰ると、祖母が鍋でその牛乳を沸かしてくれます。牛乳を沸かすと表面に薄い皮膜ができますが、豆乳から作られる「ゆば」と同じ原理で、最初にできる膜には多くの脂肪が含まれ、たんぱく質も豊富、後になるほど脂肪が少なくたんぱく質の多いものになるのだそうです。口当たりが悪いからと捨ててしまったり、消化が悪いのではと心配して食べない人もいるのだそうですが、私はこれを箸ですくって食べるのが好きでした。まあ殆ど無味無臭だったのですが、豊富に栄養が含まれていますし、外国ではこれから作られるチーズもあるのだそうです。

 

そして妻が言う「出産すると歯を失いやすくなる」という事についてですが、ある歯医者さんがこんな見解を記していましたので引用します。

これは子供にカルシウムを奪われて歯がボロボロになって歯を失ったわけではありません。口の中で出来上がっている歯からカルシウムが溶けて子供の栄養になることは絶対に無いのです。では、何故そうなるのでしょう?

原因として考えられるのは、
①つわりによって歯磨きがおろそかになる
②酸性のものを欲して、食べることにより口の中が酸性になる
③ホルモンの分泌量の増加により特定の細菌が口の中に増えて妊娠性歯肉炎になる(妊婦さんの半数以上がなると言われている)
④妊娠、授乳中に歯科医院にかかるのが難しかったり、歯科治療が出来なかったりと思い込み、治療しなければいけなかったり、治療途中の歯が放置される
⑤出産直後は授乳のために、なかなか寝られなかったりして、歯磨きがいつもの通り出きずおろそかになる
⑥優先順位が子供が1番で、自分の事が後回しになってしまう

決して、子供にカルシウムを取られて歯がボロボロになるわけではありません。 これらの事が色々重なって、歯が悪くなることが多いんですね。 なので、妊娠が分かったら早めにご相談ください。 安定期(妊娠5~8ヶ月)であれば心配することなく治療ができますので。

ということで、他の歯科医の皆さんの見解もほぼ同様でした。まあ早期治療を促す歯科医さんとしての思惑が入ってないとは言えませんが、これが正しい見解なんでしょうね。妻は自分の歯が弱っているのを自覚していますので、朝昼晩私などの数倍熱心に歯磨きをしているのですが、とすればやはり先天的に歯が弱いという事なんでしょうか。何だか申し訳ない気がしてきました。

 

 

 

 

 

新春浅草歌舞伎を観て来ました。

 

浅草公会堂で開催されていた「新春浅草歌舞伎」を観て来ました。
この歌舞伎は若手歌舞伎役者の登竜門と言われていて、今年は9名の出演俳優の内、これまで10年間この公演をリーダーとして率いてきた尾上松也はじめ7人が卒業することになるのだそうです。

 

浅草に着いて雷門の前まで来てみると、雷門前の交差点からはスカイツリーもきれいに見えていました。周辺は平日にも関わらず大変な人出で、その大半が来日観光客のようでしたが、仲見世通りは歩くのにも難儀する程で、まだ正月飾りが残っている仲見世の雰囲気を味わおうと思って歩き始めたものの、浅草寺までたどり着くのは早々に断念し、裏にそれて公会堂を目指すことにしました。

 

 

新春浅草歌舞伎は2部制で、私たちは11時開演の1部を予約していました。公会堂前には既に多くの人が集まっていて、和装のご婦人方も多く新春公演らしい華やかな雰囲気でした。

 

 

私の歌舞伎見物はこれが3回目で、最初は香川県の金毘羅さんにある金丸座という江戸時代の小屋を修復して毎年行われている「四国こんぴら歌舞伎大芝居」でした。8年前の四国・九州ツーリングの途中で妻と落ち合い、江戸時代そのままの狭い升席に座り込んで間近の舞台を楽しみました。
その後なかなか行く機会がなかったのですが、故中村勘三郎(当時は中村勘九郎)らが中心となって立ち上げた「平成中村座」の公演を、浅草寺そばに江戸時代の芝居小屋を模して設営された仮設劇場で観たのが二回目でした。この時は既に座主の18世中村勘三郎は亡くなっており、父の遺志を継いだ長男の6代目中村勘九郎が弟の2代目中村七之助や2代目中村獅童と共に活動していた時期でした。
妻はその間も何度か知人に誘われたり一人で出掛けたりもしていたようですが、そんな妻でも演目によっては役者の語りや口上を聞き取るのはとても難しいそうで、まして3回目に過ぎない私にはそれが日本語とも思えない程です。ということで今回はイヤホンガイドを借りたのですが、おかげで芝居の筋も背景も良く理解できました。
特に武田勝頼と長尾謙信の娘である八重垣姫の恋愛模様を描く「本朝廿四考(ほんちょうにじゅうしこう)」はこれが無いと殆ど聞き取れなかったと思います。

 

歌舞伎通とはとても言えない「にわか」の私は、メディアへの露出が多い尾上松也以外の役者さんは誰も知らなかったのですが、女形で「本朝廿四考」では八重垣姫役、「源氏店」ではお富役を演じた中村米吉の美しさ・可憐さには驚きました。プロフィールではもう30歳なのだそうですが、それが10代の八重垣姫を演じて60代の親爺を驚嘆させるのですから凄いです。江戸時代の娘たちが夢中になったのもわかる気がしますし、宝塚の男役に熱狂するのと真反対のシチュエーションですが、相通じるところはありそうです。

 

ところで、歌舞伎の舞台で役者に「〇〇屋!」という掛け声をかけることがありますが、それをする常連客のことを大向こう(おおむこう)と言うのだそうです。江戸時代から劇場の一番後ろ、つまり舞台から一番遠くの安い大衆席を「大向こう」と呼び、ほぼ毎日劇場に来て、大向こうの席で役者に声を掛ける常連客がいたので、それが語源と言われているのだそうで、私も大向こうとは席の事だと思っていました。
この日もタイミング良く2階席あたりから歯切れの良い掛け声が聞こえていて、いかにも通の人らしかったですが、大向こう公認の会と言うものもあって、基本スカウト制なんだそうです。一般客でも声かけはできるのですが、その中でも良く劇場に足を運んでいい声を掛けている人に、先輩大向こうが声をかけて、1年ほどの試用期間のようなものを経て、認められれば歌舞伎座公認の会に入ることができるのだとか。一般客として最初に声をあげるのは相当な度胸が必要ですね。

 

 

浅草公会堂を出たのが14時半頃、浅草に着いた時に朝昼兼用の軽食を食べただけで小腹が空きましたので、途中のデパートで開催されていた「京都大阪物産展」で、にしんそばを食べて帰る事にしました。にしんそばが売りの京都の蕎麦屋さんが出店を出していることを妻が調べていたのですが、京風のあっさりした出汁に身欠き鰊の甘露煮の味が溶け込んでとても美味しく、お代わりしたい程でした。

 

 

 






 

有楽町駅前の瀬戸内マルシェと日比谷公園散策

 

四国に住む友人から、有楽町駅前で瀬戸内の物産展が開かれるとの情報を貰いましたので、妻と行ってみることにしました。
三豊市(みとよし)は香川県の西部にある地方都市で、私が暮らしていた時には三豊郡でした。今は市内の仁尾町(におちょう)にある「父母が浜(ちちぶがはま)」が「映える」写真のおかげで日本のウユニ湖と呼ばれたり、その近くの山上にある神社の鳥居が「天空の鳥居」として有名になったりしています。昨秋家族を連れて行った志々島(ししじま)という瀬戸内に浮かぶ小島もこの市に属しますし、その隣の粟島(あわしま)にある「漂流郵便局」も少し知られた存在かも知れませんが、基本的には四国の片田舎の鄙びた町です。

 

讃岐うどんの出店でもあるんじゃないかと期待していたのですが、それは見当たりませんでしたので、郷土菓子である「おいり」とこれも郷土食である「しょうゆ豆」を買い、食事は有楽町駅前に昔からある中華料理店「中園亭」に行くことにしました。
「おいり」は名前から形状・味が想像しにくい菓子ですが、Wikiの説明文がわかりやすかったので引用します。

香川県の特に中西部地方から愛媛県の西条市以東で生産されるあられの一種、嫁入り道具として、香川県の結婚式披露宴でも用いられている。直径 1cm ほどの玉状で、色は桃色、緑、白、空色、紫、オレンジなど様々である。外は薄い殻のような食感で、中は空洞で口に入れるとすぐに溶ける。一般的なひなあられの風味に似ており、甘さは控えめである。 原材料は主にもち米。

 

 

マルシェ会場にも隣接している中園亭で私が選んだのは「ザーサイと豚肉のそば」、妻は「五目そば」で、餃子を二人でシェアしました。うどんとは随分違う麺になってしまいましたが、ザーサイの好きな私には大変美味しかったです。


 

ここからは妻のリクエストで、日比谷にある鹿児島の物産館に向かいました。鹿児島出身の義母へのお土産を買いに行くのが目的だったのですが、この日はとてもいい天気で暖かでしたから、ついでに日比谷公園を散歩することにしました。

 

日比谷交差点前の有楽門から日比谷公園に入り、日比谷見付跡、心字池、第一花壇、松本楼と抜けて、大音楽堂(通称:日比谷野音)横にあるタリーズで一服、その後上空から見ると三角形をしていることで有名な日比谷図書文化館を見学して、日比谷公会堂の前を通って、新幸門から外に出ました。
多くの人がのんびりと散策したりベンチに腰掛けて本を読んだりしていて、ここには外の超都心部とはまるで異なった時の流れがあるようでした。世界でも屈指の大都会でありながらも、こういう場所をあちこちに抱えているところが東京の良いところなんでしょうね。

 

 

日比谷公園を出て、日比谷通りの向かいにある帝国ホテル側に渡り、東京宝塚劇場や東宝シネマのそばにある鹿児島物産館でさつま揚げや文旦漬けなどを買い込んで帰宅することにしました。
往路では東京駅から有楽町まで丸の内の地下通路を歩きましたので復路もそうすることにして、国際フォーラムをちょっと見学して帰りました。
船をイメージしたデザインだそうで、確かに巨大な船の骨格を連想します。昔ここには新宿に移転する前の都庁があったのですが、隣接する丸の内を闊歩するエリートサラリーマンの服装と、都庁職員の方のサンダル履き・腕貫き(うでぬき:知らない人も多いでしょうが、事務職の人が袖の汚れを防ぐために着用した布製の筒)姿の対比が印象的でした。決して差別的な意図はないのですが、本当にそんな姿の人が大勢昼休み時の有楽町を歩いていました。昭和40~50年代のお話です。

 

 

 

 

麻布台ヒルズに行きました。

 

都内の検診機関に人間ドックを受けに行った帰り、昨年11月に完成したばかりの麻布台ヒルズの展望台からの絶景を眺めてきました。

 

最寄駅は東京メトロ日比谷線の神谷町駅か東京メトロ南北線の六本木一丁目駅です。昔々まだ南北線もなかった頃、神谷町から東京タワーのそばにあった取引先まで週1~2回通っていたのですが、当時とは神谷町周辺も様変わりで、どこがどこだかさっぱりわかりませんでした。完全なお上りさん状態で城山トラストタワーの方に進んでしまい、人間ドックの開始時間にようやく滑り込みで間に合いました。神谷町駅周辺で当時のまま見覚えがあるのは、霊友会のデカい本部施設と、桜田通りを登った正面にある特徴的な外観のノアビル位でしたね。

 

人間ドックが終わったのは15時前、妻の婦人科検診がありますのでどうしても遅くなります。最初はせっかく近くに来たので久しぶりに東京タワーに行ってみようかと思っていたのですが、胃カメラで麻酔を使ったこともあってか妻も私も何だか疲れてしまい、麻布台ヒルズの展望台から眺めるだけで我慢することにしました。
麻布台ヒルズは64階建てで、2024年1月時点ではあべのハルカスを抜いて日本一の高層ビルですが、上層階は超高級な住居スペースで、最上階のレジデンスは何と300億円レベルだそうです。そしてほぼ中間点の33階にはスカイロビーという無料の展望スペースがありましたので、そこに行って見ることにしたのです。

 

 

東京タワーが正面に見える位置はやはり人気で、多くの人が写真を撮っていました。エレベーターを降りたところから要所要所に係員が居て、スムーズに誘導してくれますので渋滞は無かったのですが、週末にどっと人出があればそうはいかなくなる雰囲気でした。階段状の腰を下ろすスペースがあって、ここに座って上の写真のような景色をしばし眺めるのもいい気分転換になります。

 

 

上の写真は低層階に下りてきてから撮ったアークヒルズ仙石山森タワー、下の写真が麻布台ヒルズですが、六本木ヒルズなどとも共通する、ヒルズ兄弟特有の外観をしていますね。
庭には、奈良美智の「東京の森の子」という野外彫刻が設置されています。「森の子」シリーズの8体目で、シリーズ最大のサイズなのだそうです。
私はこのシリーズを写真等では見た記憶がありましたし、少年ナイフという女性バンドのアルバムジャケットにもなっている特徴的な女の子のキャラクターも知ってはいましたが、これらの作品と作者が一致していませんでした。

 

 

帰りはこの庭を抜けて神谷町まで歩いたのですが、迷わなければ5~6分です。庭の整備も急ピッチで進められていますし、ハイブランドのショップも多数開店準備中でした。駅までは、神谷町側の桜田通りと六本木一丁目側の麻布通りを結ぶ「桜麻通り」を歩くのですが、両側には個性的な曲線を多用した建物が並び、新しい町という事を実感します。

 

 

 

 

 

人間ドックに行って来ました。

 

都内の検診機関で人間ドックを受けてきました。
この人間ドックの事を語る時、ドックに「入る」が正しいのか「受ける」が正しいのか、いつも表現に迷います。
人間ドックは、ドックという言葉で連想される通り、船の「DOCK」から来ていますが、船の場合は迷いなくドックに「入る」です。しかし人間ドックの場合は実質は検診ですから、その場合はドックで(検診を)「受ける」ということになります。ここでは人間ドックを「受ける」という表現にしました。

 

人間ドックという言葉の由来は、戦前、某政治家が東大病院に健康チェック目的で入院した際の記者会見で、病気ではないことを表すために航海から帰港した艦船がドライドックに入る事に例えたことから生まれたのだそうです。「ドック」には病院という意味の俗語もあるようですが、一般的にはこの船を点検・修理するためのドックに由来するといわれています。 船が次の航海で事故を起こさないよう、故障していなくても点検・修理をするために入る場所ですから、上手くたとえたものだと思います。
日本における人間ドックは、1954年7月12日、国立東京第一病院(現在の国立国際医療研究センター)で「短期入院精密身体検査」として始まったとされていて、この日は私が生まれる前日、70年前の事です。 

 

私が最初に人間ドックを受けたのは、40歳の時、横浜の病院でした。会社の健康保険組合の施策として、30歳、35歳のポイント年齢と、40歳以降は毎年、人間ドックの補助が受けられる制度があったのですが、35歳の時にはまだ独身で健康に対する意識も低く、受診の気持ちもありませんでした。(30歳時点ではまだ入社しておらず、、)
38歳で結婚、39歳で長男が生まれ、40歳の頃には家族への責任感、将来に備える意識も徐々に高まっていましたので、以降は年1回の定期健康診断と並行して人間ドックも毎年受けるようになりました。
人間ドックについては否定的な意見も多いようですが、私は人事部所属で、健康診断や人間ドックを主管する立場でしたし、病気を早期発見して重大疾患に至る前につぶす、という考えにも賛同していましたので、率先して受けることに迷いはなかったです。

 

人間ドックと言っても半日コースの簡易なものですから、当初は会社の健康診断に腹部エコーや心電図検査等が加わった程度のものでした。ですから検査云々よりも、半日ゆっくりと検診を受けて、最後に提供される昼食で前日から絶食していた空腹を満たす、というリラックス時間が気に入っていました。

 

以降30年の間に人間ドックも徐々に進化してきて、現在ではレントゲンは胸部CT検査に、胃のバリウム検査は胃カメラに変わっています。以前は通常の病院業務と並行して人間ドックの検査も行ない、結果として他の患者さんと待合室で肩を並べて待つ、という病院が多かったのですが、今では健康管理センターとして別機関で人間ドックを開催する病院も多く、静かでゆったりした空間で受診できるところが多くなってきました。ここ10年私たち夫婦が受診している病院もそうで、今年からは母体である大学病院から完全に離れたところに施設を移し、全く独立した運営となりました。できたばかりでピカピカの施設・設備でしたからとても快適でしたし、昼食も豪華(といっても健康配慮メニューではあります。)で美味しかったです。

 

 

 

お正月はいつまで?

 

これを書いているのは1月15日で、私の生まれ育った四国では、今日までが「松の内」で「正月」です。
ここ千葉県を含む関東では7日までを松の内とするところが殆どのようですから、四国在住の小学校・中学校の同級生たちに確認してみたのですが、やはり四国地方は15日という認識のようです。
丁度いい区切りの日でしたので、気になったついでに、松の内や正月の定義について少し調べてみることにしました。

 

正月は昔の暦では1月全体のことを指したのですが、現在ではお正月を三が日だけに限定する場合もあり、松の内とする場合もありで、中には1月20日(骨正月:正月の祝いに用意した塩鰤などの骨と大根などで粕汁にして20日に食べたところから、主に西日本で正月20日を指す言い方で、二十日正月とも呼ばれます。)までを正月としているところもあるようです。しかし三が日や骨正月は少数派で、短縮された松の内である1月7日、または15日までがお正月、という認識が多いようです。

 

松の内とは、家の門に門松を飾る期間から来た言葉で、江戸時代の初めには全国的に松の内は1月15日、鏡開きは1月20日と決まっていたのですが、三代将軍徳川家光が旧暦で4月20日に亡くなり、20日が忌日となったために鏡開きが1月11日に変わり、それに伴って関東を中心に松の内は1月7日までと変更されました。それが当時の京や大坂まで広まらなかったため、関西では以前と同じように松の内は1月15日のままで残ったのだそうです。


幕府による正月短縮策ですから関東地方を中心に広まった訳ですが、正月は1年で最大のイベントですから簡単に短縮もできず、関西地方には上記の「二十日正月:骨正月」や1月15日の「小正月」までを正月とする風習が残った、というのがこの説です。「小正月」は、正月も働いていた主婦をねぎらう「女(おんな)正月」とも呼び、男性が女性の代わりに料理などの家事を行う地域もあるそうです。

 

幼稚園からの同級生が調べてくれた都道府県別のデータによれば、九州・中国地方は概ね1月7日、四国・近畿が15日、中部・関東・東北・北海道が1月7日となっていて、必ずしも江戸から遠いところに15日の風習が残っている訳では無いのが面白いです。

 

まあ忙しい現代において、年が明けてから2週間以上も正月気分でいられる訳はなく、会社の正月休みが明けたら正月気分は一掃してフル稼働、というのが普通でしょうから、松の内どころか、三が日だけが正月というのが一番現代人の気分には近いのかも知れないですね。

 

また、正月は松の内の期間だと書きましたが、松の内とは、正確には正月事始めから神様がお帰りになるまでの期間を指しますので、正月より前から始まり、完全一致する訳ではありません。
正月事始めは12月13日、文字通り正月を迎える準備を始める日で、煤払いをして、以前はこの日に門松や雑煮を炊くための薪など、正月に必要な木を山へ取りに行ったのだそうです。
門松やしめ飾りなどのお正月飾りは、正月事始め以降なら、基本的にはいつ飾っても問題なく、近年では12月25日のクリスマスが終わった26日以降に飾り始めるのが一般的ですが、「二重苦」につながる29日や、葬儀と同じ「一夜飾り」となってしまう31日の大晦日は避けた方が良いそうです。
門松やしめ飾りは、松の内は飾ったままですが、鏡餅は、鏡開きの日である1月11日まで飾るのが一般的。松の内を過ぎて片付けたお正月飾りは、基本的には神社に奉納して処分してもらいます。神社や地域によっては、1月15日の小正月に「どんどん焼き」や「どんど焼き」と呼ばれる火祭りを行っていますので、そこでお焚き上げをしてもらうのが、お正月飾りの正しい処分方法なのだそうです。

 

松の内や正月、正月事始めなど言葉だけは知っていても意味や内容を知らなかったことが多く興味深かったですが、上に書いたのは諸説ある中の有力な一説ということで、正月事始めについても12月13日ではなく12月8日とする説もあり、日付等についてはあくまでも参考と考えた方が良さそうです。

 

 

 

 

 

40代以上が気をつける事

 

私は、Microsoft365(旧Office365)というソフトを使っていて、その中にあるOneNoteというメモソフトで仕事やプライベートでの忘備録を作っています。
メモですから随時開いて確認しているのですが、先日古いメモを見返していて、表題のタイトルがついたかなり前のメモを見つけました。時期や出典はすっかり忘れてしまったのですが、内容は以下に書き出した通り、年寄りの処世訓的なものです。

 

1.若者の邪魔をしない

2.しょうもない自慢話をしない

3.年下の人に偉そうにしない

4.聞かれてないアドバイスはしない

5.見栄で知ったかぶりをしない

6.長話をダラダラしない

7.頑張ったアピールはしない

8.いつまでも肩書にすがらない

9.自分の機嫌は自分で取る

 

今ネットでタイトルを検索してみても「40代から注意!【ボケないため】の10の生活習慣」みたいな健康ネタばかりが延々と出てきて、たどり着くことができません。何かの記事の一部だったような気がします。

 

まあ中身については、よくある年寄りへの戒めなのですが、9つ挙げられている中で、私が自信を持ってこれはやっていないと言い切れるのは、3.の「年下の人に偉そうにしない」、8.の「いつまでも肩書にすがらない」くらいですかね。
その他については、それぞれ濃淡はありますがやっていそうな自覚があり、だからこそこれをわざわざメモにして残しておいたんだと思います。
特に、4.の「聞かれていないアドバイスはしない」、5.の「見栄で知ったかぶりをしない」については間違いなく心当たりがありますし、自信があるといった3.についても娘からは「お父さんはお店の人に対する言葉遣いが偉そう」と時々指摘されます。これは、明らかに私の方が年上の場合、「です、ます」ではなくて「だよ、だね」という口調を私は使うのですが、娘は何で敬語を使わないの?と感じるのだそうで、これを偉そうと言われるのはちょっと心外ではあります。

 

10年程前、マイクロソフトのOneDriveというクラウドサービスと同時にこのソフトも使い始めたはずですが、このメモはそんな古いものではありません。10年前ならサラリーマン生活最晩年で、それなりに部下を持って苦労していた時ですから、その時この処世訓を生かしていればもっと良い上司となれたかも知れませんが、、。

 

そして、今回改めてこのメモを見直して私に一番響いたのは、9.の自分の機嫌は自分で取る、という項目でした。現役の頃なら1.から8.については考えるところがあったとしても、恐らくこの一文はスルーしてしまったと思います。
良し悪しは別として、サラリーマンで組織の中に居ればそれなりに誰かが構ってくれるもので、自分で自分の機嫌を取る必要性を感じることはそうそうないでしょう。ところが組織を離れてフリーで働くようになってみると、構ってくれる人は極端に減り、これが完全引退ともなれば構ってくれるのは基本家族だけとなります。その過程にある今だからこそ、この9.が気にかかったのだと思います。

 

そして完全引退となった時、奥さんにそれを求めすぎると「濡れ落ち葉」のようにまとわりつく厄介な亭主として疎んじられますし、外で求めようとしてかなえられなければ、以前にブログで書いた「怒る爺さん」になってしまいます。この怒る爺さんは、究極の「構ってちゃん」だとも言えそうです。

 

www.boon-senior.com

 

以上、今回このメモを再発見して今後の戒めとしようと思ったのは、「濡れ落ち葉亭主」「怒る爺さん」にならないために、「自分の機嫌は自分で取る」ということでしたが、怒る爺さんの可能性は低いとしても、濡れ落ち葉亭主の可能性は高いかも、、。

 

 

 

洗濯機用水栓から漏水、迅速な水回り修繕対応は有難いですね。

 

新年早々、洗濯機パンの中と外に水が溜まっているのを妻が発見しました。見に行くと確かに洗濯機パンと洗面室の床の境目、そして洗濯機パンの中に水が溜まっています。その時点で漏れ続けているという状態ではありませんでしたが、その日の昼間洗濯した時に漏れたのではないかという事でした。
洗濯機パンの中だけならばともかく、洗面室の床にまで漏水しているとすれば、階下のお宅に迷惑かけている可能性もあり、放っておく訳にはいきません。

 

階下のお宅とは、新築で入居した時からの旧知の仲ですが、夜間11時頃の出来事でしたから電話は遠慮して、メールで天井に漏水の気配は無いか聞いてみたところ、早速返信が来て、今時点では異常は見られないので、今後何かあれば連絡するとの事でした。

 

ひとまずそれで落ち着いていたのですが、数日して今度は洗濯中の洗面室から「ガタガタガタッ!」と凄い音が聞こえてきました。この音自体は聞き馴染みのあるもので、それは脱水の際に、洗濯機の中の洗濯物が暴れて洗濯機自体が大きく振動する音であり、現在の洗濯機の悩みどころなのです。買った時からその症状が頻発し、水平を取り直したり、洗濯機の上に乗せている乾燥機を突っ張り棒で固定したりと色々やっているのですが、それでも洗濯物の偏りがひどい時にはこの症状が出ます。

 

原因として考えられるのは、今使っているのが洗濯乾燥機ではなく、洗濯専用機とそれに直結したラックの上に乾燥専用機が乗っているという、今となっては懐かしいタイプのもので、乾燥機が上に乗っていることでトップヘビーとなり、振動が大きくなるという可能性です。
それにしても洗濯機も乾燥機も、それを直結するラックもすべて同一メーカーの純正品ですから、この事態は設計上の欠陥じゃないかと思う程です。
この洗濯機の前には縦型洗濯乾燥機を使っていたのですが、乾燥機能に不満だったことと、洗濯と乾燥を同時にこなしたいという妻の希望があって、先祖返りとはなりますが、このタイプを選んでいたのです。

 

 

そしてこの日の振動音ですが、これまでとはレベルの違う激しい音で、自分の部屋で居た私も最初何事が起きたかと思う程でした。妻が飛んで行ってひとまず脱水を止め、私も呼ばれて行ってみると、大きな揺れで右横の壁から出ている洗濯機用の水栓に乾燥機が激しく衝突を繰り返した結果、乾燥機の側面は凹み、蛇口からはポタポタと水が漏れだしている状況でした。蛇口を閉めると漏水は止まりましたが、このままでは洗濯もできません。

 

3連休の最中でしたが、修理してもらわないことにはどうにもなりませんので、まずはマンションの管理会社のコールセンターに連絡しました。ただ紹介してくれたところが世間相場よりかなり高めの料金設定(正確に相見積もりを取った訳ではありませんが、基本料金は倍以上高かったです。)でしたのでそこはお断りし、良くチラシ等が入っている水回り専門業者の中で、近くの業者さんを選んで来てもらうことにしました。

 

連絡してから3時間程で来訪してくれて、その場で対応を相談、これまでは温水冷水の混合水栓だったのですが、妻は温水を使っていないと言いますので、水栓は冷水のみとして、新しいものに交換してもらうことにしました。作業自体は1時間もかからず終了し、作業員の方の対応も料金も満足できるものでした。連絡から4時間かからず処理が終わった訳ですから有難い話です。今回は蛇口を閉めれば漏水は止まりましたが、どこか途中から噴き出したりしていたなら、大元の止水栓を閉じなければならない訳で、そうなればトイレも使えず、炊事もできないことになりますから、このように迅速な対応をしてくれる業者さんの存在は貴重だと実感しました。

 

 

来てもらったついでに、冒頭書いた洗濯機パンの漏水の件も相談したのですが、見た感じでは洗濯機パンに割れやヒビも見受けられず、排水トラップの詰まりもなさそうなので、この止水栓の漏れが今日始まったのではなく、これまでも少しずつ発生していて、それが壁を伝って溜まっていたことも考えられる。しかしそれよりも洗濯や洗面の際に何らかの理由で水がこぼれたという可能性が大きいとの説明でした。妻は得心していない様子だったのですが、階下への漏水も無いのならひとまず当面は静観しましょうという事になり、この日の修理は終了しました。

 

 

明けましておめでとうございます。

 

明けましておめでとうございます。
元日の我が家は、まず外房の蓮沼海岸で初日の出を拝んだ後、成田山新勝寺へ初詣に行き、妻の実家に年始の挨拶に寄ってお節やお雑煮を頂いてから帰る、というのが恒例となっています。
ちなみに元旦とは1月1日の午前中限定の言葉なのだそうですから、この場合はやはり元日が正解です。

 

成田山新勝寺は名前の通りお寺です。昔私は、大みそかの除夜の鐘は当然お寺だとしても、初詣は神社に行くのが普通だと思っていたのですが、千葉に越してきてからは成田山新勝寺が我が家の初詣先となっています。初詣の人出ランキングで見ても、一位は明治神宮、二位が成田山新勝寺、三位が川崎大師で、ベストスリーの内2つまでもが寺院ですから、大晦日=寺院、元日=神社という固定概念も実は必要ないみたいです。

 

元々初詣は自宅近くの氏神様(自分が住んでいる土地を守ってくれている神様)にお参りするものでしたが、江戸時代に「恵方詣(えほうもうで)」(その年の吉をもたらす方角にある社寺にお参りすること)というものが流行し、初詣は氏神様以外にも広がっていったのだそうです。今は「恵方巻」という風習として残っていますが、これは多分に商業主義的な企みのにおいがします。
ここで「社寺」とあるように、お参りするのはやはり神社でも寺院でもどちらでも良く、そもそも明治期の「神仏分離令」以前は「神仏習合」で多くの神や仏は区別なく信仰の対象とされていたようですから、神社にこだわる気持ちがあるのは明治以降の国策に沿った神道優先の名残なのかも知れません。
タリバンがバーミヤンの仏像を破壊して世界的に非難されたことがありましたが、この時の日本の「廃仏毀釈」もそれに劣らない程の愚行だったと思います。

 

今年の年末年始、天気は余り良くないという予報で、初日の出は拝めないかも、と思っていたのですが、大晦日までで天候は好転、元日の千葉県は全域晴れ予報に変わりました。
年末から帰省して来ていた息子含め家族4人で愛車POLOに乗り込み、早朝4時に外房へ向けて出発。例年なら完全防寒で出かけないと寒さに震えることになるのに今年はかなり暖かく、気温も8~9℃以下には下がりませんでした。
POLOよりも室内の広いハイエースの方が後部座席は楽なのですが、何せ完全商用車であり、だだっ広い後部荷室にはヒーターもエアコンもありませんから、この時期後ろに乗るのはちょっと厳しいです。

 

途中コンビニ休憩をはさんで蓮沼海岸に着いたのは5時半過ぎ、日の出時刻は6時40分過ぎですから駐車場でしばらく時間調整をしますが、この駐車場が年々混み合ってきて、早めに到着しないと駐車できない状況となってきています。今年も最後の2~3区画に滑り込みでした。

 

日の出時刻より少し早めに浜へ出て水平線の変化を眺めるのも楽しいのですが、蓮沼海岸は予報通り例年にない暖かさで(と言ってもやはりダウン等着込んでないと寒いですが、、)、日の出を待つ間もさほど苦ではありませんでした。

 

 

そこから成田に向かうのですが、途中の道の駅でトイレ休憩を兼ねて、車中で今年初めての朝食です。前夜の内に妻が用意していたお握りと玉子焼き(今年は失敗して焦げてしまったそうです。)、ウインナー、ちくわの磯部揚げなどですが、子供たちの元日の思い出はこれとセットなんだとか。

 

 

成田山新勝寺では前年の破魔矢を納めて新しいものを頂き、おみくじなどを引いて帰ります。今年は大吉でしたから、何かいいことがある予感です。
8時過ぎには既に初詣の第1波が引いていて、比較的ゆっくりお参りできる穴場の時間帯なのですが、今年は途中でゆっくりしすぎて到着が10時頃になってしまい、既に第2波の入場規制で参道まで行列がつながっていて、お参りを終えるのに1時間以上かかってしまいました。

 


参道には色々食欲をそそるものがあるのですが、この後は義父母宅でお節やお雑煮を頂きますので、買い食いは最小限に抑えるのが例年の決まりです。
義父母宅では、お屠蘇(運転手の私は除く)、お雑煮、お節をふるまわれ、その後全員で仮眠させてもらい、また夕食を御馳走になってから帰宅する、というのがパターンだったのですが、義父母も徐々に高齢となり家事の負担が体に応えるようになっていますから、今年からは成田山からひとまず自宅に直帰し、仮眠した後で夕方改めて義父母宅に伺うことにしました。我々が4~5時間仮眠する為に年末の早い時期から4人分の寝具を干したりして準備してもらっていましたので、それをなくすだけでもかなり負担は減ると思いますし、お節などは我が家からも持参することにしました。
よって買い食いも今年は解禁とし、煎餅や海鮮串などを思い思いに購入して小腹を満たして帰宅しました。
その後自宅で仮眠をして、夕方義母宅でお節やお雑煮を食べ、我が家の一部修正元日恒例行事が終了、2024年が始まりました。

 

<追記>

義父母宅に着く直前に能登地方で大きな地震があり、我々はクルマで走行中でしたので揺れは感じなかったのですが、緊急地震速報が家族4人のスマホで同時に鳴り出してビックリしました。能登が震源なのに関東にまで警報が来るというのは相当大きな地震だなと思ったのですが、義父母宅に着いてみると予想通り大変な地震でした。元日早々被災された方にはお悔やみ申し上げます。被害が大きくないことと早い復興をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

2023年最後のブログです。今年の我が家の10大ニュースは?

 

まだ12月30日で、2023年はもう一日残っていますが、私のこのブログは隔日掲載ですから次は2024年の元日となり、これが2023年最後の投稿です。
2019年6月1日にこのブログを開設し、以来4年と7カ月で844本の記事を書いて、20万強のアクセスを頂きました。ありがたい話です。
通算844本目の記事は、今年の振り返りとして「我が家の10大ニュース」を考えてみることにしました。

 

第1位:愛猫「ロク」が居なくなった

何といっても今年最大の出来事は、1月2日に我が家の愛猫「ロク」が20歳で亡くなった事です。新年早々とても辛い出来事でしたが、普段は居ない長男も帰省していて、生まれた時から一緒だった4人で見送れてやれたことがせめてものなぐさめでした。
今でも部屋のどこかでいるような気がする時がありますが、10年前に旅立ったお兄ちゃん猫の「クー」と天国でまた会って楽しく遊んでいるのでしょう。

 

若かりし日の二匹です。

第2位:コロナ発症

1月の終わり、遂に私も新型コロナにつかまってしまいました。仕事帰りの新幹線の車中でもらった公算が高いのですが、それもはっきりとはわかりません。この時点では新型コロナも死に至る病という認識ではなくなっていましたのでそう深刻ではありませんでしたが、周囲に移したのではないかというのは心配でした。
37度台以上に体温は上がらず、4~5日で軽快しましたので苦しくもなく、退屈しのぎにオーディブルを初体験しました。

 

第3位:ハイエース購入

8月半ば、長年の念願である桜前線を追う旅の足としてハイエースバンを中古で購入しました。2018年式ディーゼル12万km強走行の車両ですが十分満足で、ベッドキットを組んだり色々装備も整えました。8月末から9月にかけては東北旅、10月末から11月にかけては九州・四国・関西旅に出かけ、本番の予行演習もバッチリです。

 

 

第4位:飛鳥クルーズに家族で参加

8月初め、家族4人で飛鳥Ⅱでの2泊3日伊東花火クルーズに参加しました。横浜港発着で実質1日ちょっとのショートクルーズですが、伊東沖合に停泊して船室のバルコニーから見た花火も圧巻でしたし、豪華客船で優雅なひと時を過ごすことができました。

 

 

第5位:BABYMETALの幕張ライブに初参戦

1月、数年前からファンになっていたBABYMETALの約2年ぶりのライブコンサートに初めて参加しました。ファンになってすぐコロナ禍が始まり、一切のライブ活動を休止していたのですが、幕張メッセでの久しぶりのライブは老若男女、多国籍の多様な参加者がいて楽しかったです。メタル系のライブ初心者の私は、今も趣味でバンドをやっている長男を誘っての参加でした。

 

第6位:みちのく三大桜ツアーに夫婦で参加

4月、JR東日本「大人の休日倶楽部」主催の「みちのく三大桜ツアー」2泊3日に参加しました。みちのく三大桜とは、岩手県北上市の「北上展勝地の桜」、秋田県仙北市の「角館武家屋敷通りの枝垂れ桜」、青森県弘前市の「弘前公園の桜」を指すのだそうですが、今年は温暖な気候で桜の開花が異常に早く、殆どのところでソメイヨシノは散り始め、山桜が何とか残っている状況でした。しかしそのおかげで参加者は減り、大型バスに9人だけというツアーとなって、とてものんびり観光出来ました。

 

 

第7位:浴室・洗面室リフォーム

6月、浴室と洗面室のリフォームが完了しました。1週間近く風呂が使えませんでしたので、家族3人で毎日近所の温浴施設に通ったのは新鮮で楽しかったです。新しくなった風呂や洗面台は何だかホテルみたいでいい気分です。

 

 

第8位:夫婦で立山黒部アルペンルート・富山旅行

10月急に思い立って夫婦でアルペンルートを経由して富山に行って来ました。元々妻が富山に一人旅をする積りで計画していたところに私が乗っかったもので、初めてのアルペンルート・黒部ダムはとても雄大で感動しましたし、翌日行った富山県の称名滝もちょうど紅葉が見頃で絶景でした。

 

 

第9位:SSTR2023に参加
5月末、ここ数年はコロナ禍で現役世代の仲間たちが参加していませんでしたので、久しぶりに旧友が集合してのSSTRでした。高山の「国八食堂」にも行けましたし、七尾市の民宿も良かったですから満足なのですが、SSTRは年々商業化の匂いが強くなり、参加者も激増していますので、今後どうするのかは考えどころです。とはいえ既に2024年の概要が発表となり、しっかりカレンダーには記載してあるのですが、、。

 

 

第10位:神韻(シェンユン)公演を家族で鑑賞

1月、私の新型コロナ罹患で参加が危ぶまれましたが、何とか息子と夫婦の3人で新宿文化センターでの「神韻芸術団」公演に行くことができました。当初娘と三人で行くはずだったのですが、娘が有休を取り損ね、急遽息子とバトンタッチとなったものです。鍛え上げられた演技は見事だったのですが、母体となった法輪功の主張を前面に押し出す政治色の強い公演で、政治的思想や宗教観を盛り込むのはちょっと趣味じゃありませんので、同じ代金を支払うなら次は「シルク・ドゥ・ソレイユ」とかのほうがいいです。

 

振り返ってみると「ロク」が居なくなったことで実現したイベントが多く、居なくなるのを待っていたかのようで悲しいのですが、逆にロクが「これからは自由に遊んできていいよ」と言ってくれているんだと考えるようにしています。

 

ではちょっと早いですが、皆さん良いお年をお迎え下さい。

 

 

 

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