シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

猫の鳴き声

 

二匹いた我が家の愛猫の内、お兄ちゃん猫の「クー」が亡くなったのが12年前、そして妹猫の「ロク」も昨年1月に亡くなってしまい、我が家では23年ぶりに猫のいない生活が始まりました。今でもどこかでロクが鳴いているような気がすることがあるのですが、思えばクーは寡黙で殆ど鳴かない猫、一方のロクは女の子らしく(?)とてもおしゃべりで賑やかな猫でした。

 

我が家で今も語り草なのは、娘とロクの口喧嘩事件です。まだ大学生だったかコロナ禍で在宅勤務だった娘が、ロクにねだられておやつのチュールをやり始めたのですが、ロクはとても喜んで際限なく欲しがり、おやつをあまり食べさせないほうがいいと思った娘が、「もうこれで終わり、お終いね」といったところ、それが不満だったロクに「にゃにゃっ!」という感じで言い返されたのだそうです。ムカッとした娘が「終わりって言ってるでしょ!」と言い返すと、前にも増して大きな声で「「にゃにゃにゃ~!」と返され、そのやり取りが何回か続いた時、娘はまるで女友達と言い争いをしているような気持になって何だかおかしくなってしまったのだとか。本当に「もっと頂戴って言ってるでしょ!」と言い返されているみたいだったそうです。

 

確かにロクの鳴き方はバリエーションが豊かで、何かをねだる時の鳴き方、怒っている時の鳴き方、嬉しい時の鳴き方それぞれあったのですが、普通は一般的な猫の鳴き声とされる「にゃー」に近かったです。それがご飯などを食べて満足し、まったりしている時に話しかけられると、「あん」とか「わん」とか聞こえる犬の鳴き声のような返事をして来ることもありました。

 

日本では犬の鳴き声は「わんわん」、猫は「にゃーにゃー」などと表現されますが、昔から「わんわん」「にゃーにゃー」だったのかといえばそうでもないようで、犬は平安時代には「ひよ」、室町時代に入って濁音がついて「びよ」とか「びょう」、江戸時代になってからようやく「わん」となったのですが、今でも狂言では犬の鳴き声を「びょうびょう」と表現するのだそうです。
同様に猫の「にゃーにゃー」も、平安時代は「ねうねう」と書いて「ねんねん」と読み、鎌倉時代は表記も発音も「ねうねう」、現在の「にゃーにゃー」となったのは、こちらも江戸時代からでした。

 

調べついでに、世界では猫の鳴き声がどう聞こえているのかも調べてみました。

英語(英語)「meow(ミャウ)」
英語(米語)「mew(ミュー)」
フランス語「miaou(ミャウ)」
ドイツ語「miau(ミアォ)」
スペイン語「miau(ミャウ)」
イタリア語「miao(ミャーオ)」
ロシア語「МЯY(myau/ミャーウ)」
スロヴェニア語「mijav(ミヤゥ)」
中国語「喵(クチヘンに苗:(miao/ミャオ)」
韓国語「야옹(yaong/ヤオン)」

 

「ミャオ」とか「ミュウ」とか「M」ではじまる擬音が多く「N」の日本は少数派ですね。多くの言語で、日本語の「にゃーにゃー」のように、「mew mew」「喵 喵」などと繰り返しのかたちで使用されることが多く、これらは、繰り返し鳴いて訴えかける猫の特徴を、よく捉えた表現となっているようです。

 

ちなみに「猫の鳴き声 中国語」とか「・・・韓国語」とGoogleに入力してみたら、上の通りに出てきました。「喵」は日本では使わない漢字ですし、ハングルもロシア語の「Я」も日本では使いませんが、どれも普通に出て来るのですから便利な時代です。

 

 

 

 

HIACEドライブ:猫・犬の居るキャンプ場「花はなの里」でデイキャンプ

 

前回、外房の海でも眺めながらハイエースの車内でコーヒーを飲もうと妻を誘っておきながら、私の睡眠不足で当日キャンセルとなってしまいましたので、この日はその罪滅ぼし?リベンジ?で、富津市にある「花はなの里オートキャンプ場」というところにデイキャンプに出掛ける事にしました。

 

花はなの里は最近はやりの高規格キャンプ場とは一線を画す、手作り感満載の昔ながらのキャンプ場で、売店も自販機も一切ありませんが、その代わりに、おさわり自由の人懐っこい猫や犬が大勢で出迎えてくれます。

 

今年の夏前にバイクでのキャンプツーリングとして初訪問し、私と同じく猫や犬が大好きな妻と娘も是非行きたいと言っていたのですが、温暖な房総半島とはいえ流石に12月ともなればテント泊は寒いですし、私はそこまでガッチリ寒さを防いでくれるシュラフも持っていませんからデイキャンプとしました。
ハイエースでの車中泊なら自宅用の寝具を持ち込めば何とかなるでしょうが、娘は平日で出勤ですし、年末の繁忙期とかで早朝出掛けて深夜に帰宅という状態が続いていましたから、夫婦でのお出かけはやはり日帰りにしようということになったのです。

 

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このキャンプ場のデイキャンプは11時チェックイン17時チェックアウトで、途中買い出しをしても3時間あれば十分ですから8時に出発する予定だったのですが、出発がちょっと遅くなり予約していた11時ギリギリの到着となってしまいましたので、買い出しは後回しにしてまずキャンプ場に向かいました。
我々が一番乗りで、この日はバイクのソロと、バンガローに一人の予約が入っているだけなのでどこでもいいとのことで、前回と同じ最下段の奥にひとまずハイエースを停め、猫たちの様子をうかがいに行きました。見晴らしは上段の方が良いですが、下段の方が猫・犬たちに近いですから、、。

 

この時点ではまだ猫たちは屋内の各自のベッドや日当たりのいい縁側でお休み中、真っ先に出迎えてくれたのは、犬のサブ君です。春先に脳梗塞を患ったそうですが、この日はとても元気そうに見え、すぐにゴロンと横になって更なるおさわりの要求です。ひとしきりサブ君の相手をした後は、君津市まで戻って市内のスーパーで買い出しをしてきました。

 

 

買い出しから戻って女性オーナーに話を聞くと、夜間は猫たちは屋内に戻って寝ているのだそうで、そろそろ出してやりましょうかと言ってドアを開け始めたとたんに、数匹の猫が駆け出してきました。何匹かは真っ先に我々のもとに駆け寄って来てなでろなでろと要求しますし、妻になでられていたオス猫は「なでられ権?」を巡ってもう一匹のオス猫と取っ組み合いの争い⇒果ての無いにらみ合い、にまで発展してしまいました。
犬のサブ君と猫たちは当たらず触らずの距離感で穏やかに共存しています。

 

 

この日はとても風が強くタープも焚き火も断念せざるを得ない程でした。
当初は焚き火で網焼きにする積りで海鮮(エビ・ゲソ・ホタテ)やウインナーソーセージ、牛肉を買ってきたのですが、急遽ガスストーブでの鉄板焼きに変更です。エスビットのストーブも強風で全く機能しませんでしたから、ガスストーブ一つで鉄板焼きも汁物もコーヒーも何もかもこなすことになってしまい、食事中はとても慌ただしくて殆ど写真を撮る余裕がありませんでした。

 

海鮮焼きと焼肉、最近私のマイブームである鯖の水煮缶とインスタント味噌汁で作るあら汁、そしてスーパーで買ったおにぎりがこの日のメニューでしたが、おにぎりまでは食べきれず。
海鮮や肉を焼き始めると、ワラワラと猫たちが寄ってきますが、近くまで寄ってくる人懐っこい子も、自分から手を出したりはしません。前回ここの女性オーナーに伺ったところ柔らかいササミくらいなら大丈夫ですが、とのことでしたし、味を憶えさせるのは良くないと思いあげることはしませんでした。
そういえば前回帰る時、次はチュールを買ってこようと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていましたので次は必ず。

 

 

今回が上の写真にも写っているSOTOのガスストーブのデビューでした。これまでずっとコールマンのガソリンストーブ・ランタンを愛用してきたのですが、やはりガスは手軽で便利ですね。ランタンも買いましたので今後はガスシリーズの出番が多くなりそうです。

 

この日は一日中大変な風で、往復の高速道路でも箱型真四角なハイエースは強い横風を受けてフラフラでした。それにしても大型のトラックなどはハイエースどころではない面積に横風を受ける訳で、ハンドルを取られないはずはないと思うのですが、後ろに付いて見ていても横に流されているようには見えません。プロは横風で煽られる度に細かくハンドルを修正して蛇行しないように走行しているのでしょうか?

 

 

 

 

世田谷をブラブラ<後編>

 

世田谷散歩の後編は、世田谷線で松原駅から宮の坂駅まで行き、豪徳寺を訪問するところからです。

 

私が暮らしていた頃の世田谷線は東急カラーの少しくすんだ感じの緑色だったのですが、今はカラフルで現代的な車両になっています。
宮の坂駅に展示されていた下の写真の車両が当時の色なのですが、当時でも既にこの東急グリーンの車両は、ここ世田谷線や池上線、目蒲線というローカル路線にしか残っていませんでした。そしてその後この車両は更に江ノ電に譲渡されて活躍していたのだそうです。そういえば今も江ノ電ではこの車体色が走っていますね。

 

 

宮の坂駅からは歩いて数分で豪徳寺の門前に出るはずなのですが、私たちは道を間違えてぐるりとお寺の周囲を一回りすることになってしまいました。世田谷のど真ん中にも関わらず広い敷地を有する立派なお寺です。

 

 

実際に見ると思ったより沢山の招き猫が並んでいて驚きます。
そして私はここで自分の勘違いに気付きました。私はここの招き猫は各地で飾られていた招き猫が何らかの事情で役目を終えて、お雛様と同様にここに奉納されて来ているのだと思っていたのです。ところがここの招き猫はサイズこそ様々ですが、顔・体形・仕草はすべて同じで、このお寺で販売されているもののようです。要は他のお寺の絵馬がこのお寺では招き猫、ということなんですね。
ですから招き猫には色々な願い事らしきものがびっしり書き込まれていますが、その殆どは外国語で、この日訪れていた人も恐らく7~8割は外国人でした。

 


招き猫は小さいのから大きいのまで5~6種類のサイズがあり、500円~7,000円で販売されていました。私は一番小さいサイズのものが可愛くて好きでしたが、体長1~2cmしかないですから、願い事を多く書き込むことはできないですね。ちなみにこの日招き猫は既に完売でした。

 

豪徳寺の招き猫は「招福猫児」と書くのだそうですが、小判を持っておらず、右手をあげています。人を招いて「縁」をもたらしてくれますが、福そのものを与えてくれる訳ではなく、人との大切な「縁」を生かせるかどうかはその人次第、という教えからなのだそうです。

 

 

境内には三重塔があり、一階の周囲を囲うように十二支が飾られているのですが、よく見ると、「子(ねずみ)」のところには、招き猫の姿もあります。猫はねずみにだまされて十二支に選ばれなかったのを恨みに思い、それ以降仲が悪くなったのだと言われますが、豪徳寺では仲良く一緒に過ごしているのです。

 

道を間違えたせいで通常のルートとは逆に、帰りに表参道を通ることになってしまいましたが、立派な松並木の堂々とした参道です。
このあとは世田谷線を挟んで西側にある世田谷八幡宮にもお参りして行くことにしました。

 

世田谷八幡宮は世田谷の鎮守の神様として信仰されており、宮の坂という駅名もこの神社脇の坂に由来するのだそうです。江戸時代には奉納相撲が盛んに行われ、境内には土俵や力石があります。渋谷氷川神社、大井鹿嶋神社とともに江戸郊外三大相撲の一つとされ、今でも毎年秋の例祭には東京農大相撲部による奉納相撲が行われているのだとか。
本殿の隣には世田谷招魂神社という日露戦争、太平洋戦争の戦没者を御祀りする神社がありましたが、ここの狛犬には子供がじゃれついている様子が彫られていて、こんな狛犬は初めて見ました。

 

 

ここからはまた世田谷線で三軒茶屋に向かったのですが、宮の坂駅では反対ホームに猫電車が来ていて、ちょうど良いタイミングでした。東京西部の山の手散歩を終えて、三軒茶屋からは田園都市線直通の半蔵門線を使って一気に東京東部の下町錦糸町まで戻り、夕方早い時間にゆっくり帰宅できました。

 

 

帰宅途中、錦糸町駅構内で京都名物の鯖寿司が売られていましたので晩御飯用に購入しました。京都の老舗の寿司らしく、鯖も肉厚で美味しかったのですが、これ一本でこの日の二人分の昼ご飯代に相当します。かなり高いなあとは思いつつ、妻の実家にも買って行ったところ大層喜ばれました。関西出身だけあって妻も義父母も鯖寿司は大好物で、その分味にもうるさいのです。ただ厳密にいえば、好きで良く食べていたのは大阪のバッテラで、同じような鯖の押し寿司でも、鯖寿司とは作り方等若干違うのだそうです。

 

 

 

 

 

 

愛猫クー&ロクの合同慰霊祭に行って来ました。

 

我が家の愛猫(だった)クー・ロクが眠っているペット霊園で、毎年春秋の2回実施されている合同慰霊祭に、一人暮らしの息子も帰ってきて家族4人で行って来ました。

 

ロクは今年の正月2日に亡くなりましたからまだ1年経っていませんが、もう2回目の慰霊祭となり、10年前に亡くなったクーはコロナ禍で中止となった期間を除いても既に十数回目の慰霊祭となります。時の経つのは早いものです。

 

クルマでないと不便なところにある霊園には朝早くから多くの参列者が詰めかけます。普段は利用客も少ない最寄り駅のタクシー乗り場にもこの日ばかりは行列ができ、霊園まで往復する専用車両も用意されます。慰霊する側も高齢の方が多く、免許返納した方もいらっしゃるのでしょう。

 

合同慰霊祭の日は毎年なぜか雨が多く、参列者も難儀するのですが、この日は前日から一気に秋の気配となった涼しい空気と秋晴れの空で、とても気持ちの良い日でした。
混まない内に朝早く行こうと相談して、11時からの僧侶による読経が始まる前にお参りを済ませました。
我が家のクー・ロクと義父母宅の愛猫だったクロのお参りを済ませたのが10時55分、ギリギリで間に合いましたが、続々と人が集まってきており、駐車場整理の方は大忙しでした。

 

 

まずはちょっと離れたところで合同供養されているクロにお参りし、それから卒塔婆を受け取ってクー・ロクのお参りです。クロはかなり前に亡くなりましたのである時期から合同供養に移したのです。
卒塔婆を見ると、「畜生」という文字が読み取れます。確かに犬猫を畜生と呼ぶことは間違いではありませんが、何だか蔑称だと感じられて以前からあまりいい気持ちはしていなかったのです。
今回この卒塔婆に書かれている「汝是畜生発菩提心」という文言を改めて調べてみると、ちゃんとした仏教の経典からの言葉であることがわかり、ちょっと安心しました。仏語とはいえ、畜生という言葉自体に今の時代いい印象がないのは事実ですが、まあ犬猫をはじめとしたペットをまつる霊園が平気で蔑称を使うことはないでしょうし、、。

(「梵網経‐下」に説く第四五軽戒の、常に大悲の心を起こして衆生を教化するよう戒めたことばから) 仏語。畜生に対して、おまえは畜生であるが菩提心を起こせと教えることば。 ー出典ー 精選版 日本国語大辞典

お参りの後は義父母たちと合流し、慰霊祭の報告を兼ねて昼食会です。高齢にもかかわらず焼肉が食べたいとのご要望にお応えして、3世代6人で焼肉を食べに行って来ました。お二人とも健啖で結構なことです。御馳走する積りが逆に御馳走してもらうことになってしまい恐縮しましたが、実子である妻は平気な顔です。まあそんなもんでしょうね。義父母も孫の顔を久しぶりに見ることができて喜んでいましたし、秋晴れに恵まれた良い休日となりました。

 

 

 

 

 

 

 

南柏のイタリアン「モモンガの森」にリベンジ訪問

 

前回妻と昼食に行こうとして満席で果たせなかった、柏市南部のイタリアンレストラン「モモンガの森」に娘も含めた3人で行ってきました。

 

モモンガの森のかわりに行った、和食の「美食茶屋」もとても満足ではあったのですが、やはりこの店も心残りで、その週末の夜、レイソルの試合のハーフタイムにスタジアムから電話を入れて予約を取りました。

 

 

正式な店名は「トラットリア モモンガの森」で、森が点在する柏市郊外の田園地帯にある民家で営む、小さなイタリア料理店です。
トラットリアは大衆料理店で、リストランテが高級レストラン、でいいのでしょうが、残念ながら私はリストランテと呼べる格の店に行ったことはないです。
イタリア料理店では、他にタベルナというのもありますね。最初タベルナが「食べるな」と聞こえてかなり違和感があったのを思い出しますが、トラットリアとそう差はないと考えていいのでしょうか?
イタリア料理と言えばピザが思い浮かびますが、本来これらの店ではピザは提供されないことが多く、ピザはピッツェリアというピザ屋さんで食べるものなんだそうです。トラットリアとピッツェリアとの両方が看板に掲げられているお店も沢山あって、このようなお店ではピザも食べられますが、ここモモンガの森にはピザはありません。確かにピザ窯が必要ですから小さな料理店では大変かも知れませんね。

 

トラットリアの名前通り、テーブルが4つだけで気取らない雰囲気の小ぢんまりした店内には先客が2組、もう1つテーブルは空いていますが、オーナー1人で調理、配膳、接客とこなしていますから、これで一杯なんでしょう。14時までのランチ営業ですが、我々が13時予約で最後の組でした。

 

こちらも先日の美食茶屋と同じく、パスタランチコースの単品提供でしたが、パスタとドリンクは選べます。3人でしたのでそれぞれ別のパスタを選んでシェアしたのですが、どれもモチモチした生パスタで美味しかったです。

 

 

いつも食い気が先行して料理の写真を撮り忘れるのですが、この日は妻と娘の二人から写真は撮ったの?との指摘を受け、無事全ての写真を残せました。
窓から見える風景も中々いい感じです。柏市の南部、東京に隣接する千葉県東北部ですから、首都圏と呼んでもおかしくない地区なんですが、こんな風景があちこちに残っています。

 



そしてこの店を家族全員が気に入った理由がもう一つ。ここのオーナーが大の猫好きで、店内には猫グッズが沢山配置されており、実物の可愛い猫ちゃんも居る事でした。我々がランチタイム最後の客でほかのお客さんが居なくなっていたこともあって、ガレージで昼寝中の「ボタン」君を紹介してもらいました。
オーナーの愛車オールドミニの屋根の上で気持ちよく昼寝中を邪魔されて、少々ご機嫌斜めでしたが、触ることも許してくれて、とても可愛い6歳の男の子でした。
慌てて写真を撮ったのでピンボケですが、今年1月に天国に行った我が家の愛猫「ロク」と同じ、白黒のハチワレで、とても懐かしかったです。ボタン君会いたさに今後も通ってしまいそうです。

 

 

 

千葉県富津市「花はなの里」:久々のソロキャンプツーリング<後編>

 

「花はなの里」キャンプ場で夕食も済ませ洗い物も終えた頃、丁度夕暮れとなってきました。
夕食準備中には匂いに誘われて様子をうかがいに来る子も何匹か居たのですが、野良のように近付いて来てひったくって行くような子はいませんでした。ちゃんとご飯は貰っているでしょうし、人間の食べ物は良くないと思ってあげなかったのですが、あとで聞くとやはり味のついたものは避けて欲しいけれど、鶏のささ身とかで味が付いてないものなら良いですよ、との事でした。今回は何も準備してきませんでしたが、次回はチュールでも買って行こうと思います。

 

 

いつもよりかなり早く18時には夕食を終えていたのですが、その頃には、その辺をのんびり歩いたり遊んだりしていた猫たちの姿が見えなくなりました。トイレや風呂のある建物の方に行ってみると、ちゃんと彼らの為の小屋があって寝床もそれぞれ用意されているようです。既に熟睡モードの子も数匹いましたし、眠っていない子も毛づくろいをしたりしてまったり過ごしていました。
彼らは基本外猫として暮らしていますから、純粋室内猫だった我が家のクー・ロクと比べると毛並みもゴワゴワしていますし、ちょっと汚れているのは当然です。でも私が子供の頃田舎で飼っていた猫たちはまさにこんな毛並み・手触りだったことを思い出しました。

 

日が陰り始めると更に気温は下がり、焚火の熱が恋しい位になって来ました。
場内で販売されていた薪400円也は、解体された古民家の廃材のようなものが多く、乾燥しているので良く燃えてくれたのですが、建材に使われる木材だけあってとても硬く、バトニングで細かくしていくのにかなり難儀しました。女の人の力ではナイフの刃が入って行かないんじゃないかと思うくらいです。
ただ、良く乾燥しているので火の粉がはぜることも少なく、こんな日の為に買っておいた着火剤「今治のホコリ」少量を使うだけで苦労せず着火できました。

 

 

この日は快晴でしたから満天の星空で、久々の独りの焚火を満喫しました。
下戸の私はこんな時もコーヒー片手なのですが、呑めればいいなあと思う瞬間でもあります。

 

この日は平日にもかかわらず宿泊者は多かったのですが、私の隣は86で来場したソロの男性、はやりのバップテント(軍幕)にコットで、寡黙に焚火を楽しんでいましたし、上段の方にはワンポールテントにライトやフラッグを飾り付けた若いカップル、猫好きらしいソロ女子、ソロ中高年(年齢不詳)と多彩でしたが、皆騒ぐような人たちではありませんでしたから、とてもいい雰囲気で楽しめました。私は過積載のヘビー級バイクでしたので未舗装の急坂はご遠慮し、最下段を選んだのですが、上の方が眺望は良かったでしょうね。

 

21時半頃に焚火の後始末をして風呂に入り、22時半にはもうテントに潜っていましたが、寝付いたのは日付が変わった頃でしょうか。場内にあるザリガニ釣りなどを楽しむ池のカエルたちの大合唱で中々眠れず、柔な(?)都会人になったことを痛感しましたが、単に歳のせいで寝つきが悪くなっただけかも。

 

途中結構冷えて来ましたので、厚めのシュラフにしておいて良かったのですが、6時頃目覚めてテントから出てみると、目の前に3匹の猫たちが座ってこっちを見ています。代わる代わるなでられて、満足したのか去っていきましたが、あれは何だったんでしょう?

 

 

そしてコーヒーを淹れてからハムエッグを作っていると、バターとハムの匂いに誘われたのか、また数匹集まってきました。この時も一定距離以上には近付いて来ず、猫の基本姿勢でちょこんと座ってこちらを見ているのがとても可愛かったです。

 

 

朝ご飯が終わって一休みしたら後は撤収ですが、キャンプは楽しくてもこの撤収だけは好きになれません。特にバイクの場合は、とりあえずクルマに突っ込んで帰って自宅で整理、ということができませんから、どんどん気温が上昇する中再び汗だくになりました。グランピングや高規格キャンプ場に高い料金を払う気は余り無いのですが、どこかのキャンプ場で撤収サービスを始めてくれたら間違いなく料金払います。

 

そして撤収の最中にふらりとやって来た子は、私のテントに入り込んでマットの上に座り込んだりして邪魔するし、、。後で見ると彼の足跡がマットにくっきり残ってました。

 


チェックアウトは11時ですが、チェックインと同じく少し大目に見てもらって、最後から2番目になっての出発でした。
犬猫の居るキャンプ場と言いながらこれまで猫のことにしか触れませんでしたが、犬は受付の際迎えてくれた結構大柄な一頭だけしか会っていません。
おとなしく撫でられていたかと思ったら、次の瞬間「誰?」という感じでワンワン吠え出したりします。聞いてみるとまだ10歳なのだけれど、脳梗塞を患ったことがあって、右前脚に麻痺が残り、若干記憶が濁ることもあるのだとか。前立腺肥大でもあるそうで、犬も成人病を患うのは人間と同じなんですね。
猫と違って犬の彼は基本繋がれていることが多いらしく、その点は可哀そうです。

帰りはまだ12時前でしたからいつもの迂回コースは取らず、君津ICから京葉道の原木ICまで真っすぐ高速で帰りました。このコースなら渋滞が無ければ2時間かかりませんが、前回の冒頭で書いた通り、この時車載温度計は36.5℃を指していて、撤収作業で大汗かいた後ですので身の危険を感じ、市原SAで500ccのペットボトルの水を飲み干し、ソフトクリームで体を冷やして13時半過ぎ無事帰着しました。テントやシュラフ等泥汚れを落としたり干したりするものも多かったですからひとまず自宅に戻り、荷物を全て降ろしてから、シャワーを浴びて2時間程仮眠しました。
夕方涼しくなってからトランクルームにR君を戻して今回のキャンプツーリング終了です。走行距離は220km程度でしたが充実した2日間でした。

 

 

 

 

千葉県富津市「花はなの里」:久々のソロキャンプツーリング<前編>

晴れマークが続き、仕事もプライベートも予定が入っていなかった今週の水・木曜日、ソロキャンプツーリングに行って来ました。

 

ゴールデンウィーク前に友人たちと予定していた、道志の「椿荘オートキャンプ場」でのキャンプが雨で流れてしまいましたのでそのリベンジなのですが、現役世代の友人たちは平日キャンプにはさすがに参加できませんから、本当に久しぶりのソロキャンプとなりました。アルバムの記録によれば、ソロは2017年8月長野県の松原湖高原以来です。

 

今回は急に思い立ちましたので、近場の房総半島で、以前から行ってみたかった富津市の「花はなの里」というキャンプ場にしました。平日ですから前日予約でも全く問題ありませんでしたが、当日もっとガラガラかと思いきや意外と人は入っていました。
ここは高規格のオートキャンプ場という訳ではありませんが、場内で自由に暮らしている猫や犬と触れ合えるのが人気のキャンプ場です。1月に愛猫ロクが他界して以来、猫との触れ合いが全くなくなりましたから、それはとても楽しみでした。
また高規格ではないと言ってもトイレは水洗ですし、風呂(五右衛門風呂となっていましたが、実際は釜ではなく巨大なドラム缶?風呂でした。)もシャワーもありますから私には十分です。各設備は至る所手作り感満載で、昭和の林間学校といった趣があり、むしろ私は好きでした。

 

高速を使えば2時間かかりませんので9時過ぎにゆっくり出発です。久しぶりのソロとあって色々試したいものがあり、加えてパッキングが下手なこともあって、どこまで行くんだというような大荷物です。

 

 

両日ともに季節外れの真夏日、帰りの高速では車載の温度計が36.5℃を示していましたが、行きの高速でも既に30℃超え、たまらず君津PAで水分補給です。PA併設のスマートICから降りればすぐなのですが、熱中症になりそうでしたので用心のため。

 

 

到着したのは11時半過ぎ、本来は12時からのチェックインなのですが快く受け付けてもらえましたので、一番乗りで設営です。
風はあり、木々の間を通って来る風が心地良いですから、日陰で何もせずじっとしていられるなら天国ですが、キャンプ特にソロキャンプではそうはいきません。設営までに大汗をかいてしまいました。

 



テント設営時から、遠巻きに監視体制の猫がいましたが、近寄ろうとすると逃げるそぶりですので諦めました。
そのかわり、設営終了を見計らって(?)チェックに来た子が一匹。とても人懐っこくて私の椅子ににおい付けした後はひとしきり「なでろコール」が続きました。

 

この日はテントの設営を済ませたらすぐに買い出しに出かけて、昼食から作り始めようと思っていたのですが、テント設営ですでに大疲労。しばらく休憩することにして、昼食は買い出しに向かった君津市内(キャンプ場は富津市ですが、君津市との境界線近くです。)の丸亀製麺で、冷たいうどんで済ませました。

 

その間に場内をぶらぶらすると、この日の暑さもあって至る所でゴロゴロしている猫たちが、、。その中の数匹はすぐに近寄って来てお触りをねだりますし、自分から近寄って来なくても触られるのは好きな子が多いですから、猫好きにはたまらないですね。沢山の写真がありますがキリがありませんから数枚を適当に、、。

 



猫と戯れて一休みした後、君津市内に出かけて昼食を食べ、スーパーで買い出しをしてきました。夕食はとあるアウトドアクッキングの記事で見かけた、お手軽海鮮寿司と缶詰を使った簡単鍋、そしてステーキです。

 

私は、エスビットのポケットストーブを湯沸かし用に使っているのですが、一般に知られている軍用品とは違う、一枚板のように薄く収納できるタイプです。エスビットの固形燃料は煤が出ますのでもっぱら旅館の宴会などで一人鍋用に使われる固形燃料を使うのですが、煤も出ず快適です。ただ、コーヒーを飲むくらいならこれで十分ですが料理となると力不足で、途中からコールマンのガソリンストーブの出番となります。

 

 

暑くて火を使う料理はかなわんなあと思っていたのですが、日が傾くと急に涼しくなって来て、鍋の違和感もなくなってきました。
簡単鍋は牛肉の大和煮缶と焼き豆腐、エリンギ、長ネギを使い、味付けは大和煮缶だけ。エリンギと長ネギは自宅から持参しました。ごま油で鷹の爪を炒め、和風だしと水で煮込めば簡単美味しい鍋となります。大和煮ですからちょっと甘め、辛いのが好きな方は豆板醤やコチュジャンを足してもいいかも。

 

海鮮寿司は市販のいなり寿司から油揚げを外して、油揚げ、刺身を適当な大きさに刻み、刺身パック付け合わせの大葉・刺身のツマも残さず使って、いなりの酢飯と混ぜ、わさび醤油を垂らして食べます。この日はアジの刺身と、ボイルホタテを半分寿司用に使い、残りのホタテはバター醤油で頂きました。ステーキの写真は撮り忘れましたが、こういった料理では南部鉄の一人用鉄鍋がいい仕事してくれます。

 




 

 

 

 


日が落ちる前には夕食も済ませ、涼しくなってきたので焚火の時間なのですが、例によって長々と書き過ぎましたので次回に続きます。

 

 

 

 

愛猫クー・ロクの合同慰霊祭と満開の桜

 

毎年春秋に開催されるペット霊園主催の合同慰霊祭に家族4人で行って来ました。春秋のお彼岸のお墓参りに相当するものだと思いますが、今年1月に亡くなったロクにとっては初めての慰霊祭となります。

 

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この霊園には、我が家のクーとロク、妻の実家の愛猫クロの3匹が眠っています。いつもは、混雑を嫌い、僧侶による読経の時間は避けてお参りするのですが、この日は息子が帰ってくる時間の関係で、午後の読経が行なわれている最中のお参りとなってしまい、雨の中、傘をさして順番の列に並びました。

 

 

この霊園はこの地域で50年以上も続いているところで、犬猫を中心とした哺乳類、小鳥をお預かりする、と案内されており、祭壇の近くに並べられた卒塔婆も愛犬、愛猫というものが殆どですが、愛モモンガというのも一つ見受けられました。
しかしペットは哺乳類だけではなく、蛇や蜥蜴、大型の鳥類、魚等色々ありますがその場合はどうなのでしょう?ここでも受け付けてもらえるのか、それとも特別な霊園があるのでしょうか?
また獣医さんについても、専門というのはあるのでしょうか?哺乳類だけでなく、鳥類、爬虫類、両生類、魚類問わず何でも診てもらえるものなのでしょうか?

 

私は爬虫類が苦手で、触ることは勿論、見ることもできれば勘弁してもらいたいというくらいですので、勝手な意見とは思いますが、我が家のクー、ロクが眠っている隣の棚に蛇ちゃんが来るのはご遠慮願いたいのが本心です。
それに、猫の側はともかく、蛇ちゃんの方が猫の隣では安眠できないような気もします。

 

そんな事情ですので、これまで我が家のペットは猫と金魚だけで、金魚が死んでしまったときは、本当は良くないのでしょうが、近くの小川まで行って水辺に穴を掘り、そこに埋めてやりました。魚ですから生ごみとして捨てることももしかしたらできたのかも知れませんが、さすがにそれは可哀そうでできませんでした。
金魚といえば、妻のお義父さんは皮膚病になった金魚に「赤チン」を付けていたそうで、赤チンが魚にも効くのか?すぐ水に戻しても効果は持続するのか?その話を聞いた時は色々疑問でしたが、その時その金魚の皮膚病はとりあえず治ったそうですから、効果はあったんでしょうね。

 

今や「赤チン」を知らない人も多いでしょうが、正式名称は「マーキュロクロム液」で、それまで主流だった「ヨーチン(正式にはヨードチンキ)」に対して、赤い色をしていたので、赤チンと呼ばれました。ヨーチンにはアルコールが入っていて、とてもしみて痛かったので子供には嫌われ(私も嫌でした)、一気に赤チンがとってかわったのですが、2020年に最後の一社(最盛期は60数社が生産)が製造を終了し、今では赤チンにはお目にかかれません。
赤チンが売れなくなった理由は、1970年代に「マキロン」(当時白チンと呼んだのだそうです。)が発売され、色が付かなく、しみない傷薬が人気になったことと、赤チンが当時起こった水銀による環境汚染問題に絡んで、人体に良くないのでは、という風評被害が重なったことで、徐々に人気が落ちていったのだとか。

 

この日は朝から冷たい雨が降り続いていて、この慰霊祭の日は雨の確率が高いような気がします。これも涙雨というんでしょうか。
雨は降っていたものの周辺の桜はまさに満開で、クルマを走らせると目移りする程でした。この日は肌寒かったですが、本格的な春の訪れを実感しますね。

 

 

我が家の愛猫「ロク」、老いの日々と別れ。(ご注意:長文で、しかも気持ちが滅入るような描写があります。)

 

2023年1月で20歳と7か月、人間に換算すると98歳を超えたお婆ちゃん猫のロクでしたが、1月2日の23時10分頃、天国に旅立ちました。
なかなか文章にする気力が起きず、関係のない記事を3本ほど書いてやり過ごしていたのですが、仏教でいう初七日も過ぎましたので、気持ちの区切りを付けるためにもここで彼女の記録を書いておこうと思います。
彼女が年老いてからの話や死の描写等、愉快な話ではありませんのでご注意ください。

 

実はここのところ彼女はめっきり年老いて来ていました。正直年を越せるか心配な程だったのですが、何とか持ち直してくれて、これなら大丈夫そうという事で元日の初日の出遥拝・初詣も、妻だけは見守りで残りましたが、私と子供たちは予定通り出かけたのです。

 

元日の午後帰宅した私が妻と交代で見守り体勢に入った時も、特にそれまでと変わりはなく、私に寄り添って寝たり、ご飯を食べたりしていました。ところが1月2日の午後急に、てんかんから来るけいれんの発作が起き、8時間余りも苦しんだ末に、その日の23時過ぎ、家族4人に見守られながら息を引き取りました。2002年の6月2日に我が家に来てから、ちょうど20年と7カ月でした。1月2日のブログをアップした時にはその苦しみの最中だったのですが、その時は前日夜中に投稿予約していたものを取り消す余裕もありませんでした。

 

生前最後の写真は1月2日の朝9時半頃、ご飯も食べて、ホットカーペットの上で気持ちよさそうに寝ている姿です。この6時間後にあんなに激しい発作に襲われるとは思ってもいませんでした。

 

 

老齢となり、痩せて足腰もかなり弱くなってきていましたが、かなり年老いたことをはっきり実感したのは、昨年の3月初旬に体調を崩した時です。突然食べたものを吐き戻し、唸り声をあげながらフラフラさまよい出すという事があり、同時に寝床で脱糞もしてしまい、排便については潔癖でトイレ以外ではそれまで粗相をしたことのないロクには初めてのことでした。
その時の獣医さんの診たては、年老いて来て消化能力が落ちてきているところに、消化の悪いものを食べ過ぎて吐き戻してしまい、その際一気に体力が奪われてしまったのだろう、という事でした。
我が家ではそれまで、2種の高齢猫用ドライフードを混ぜ合わせて常時食器に用意しておき、無くなったら足すというやり方だったのですが、それからはやり方を改めてドライフードは細かく砕き、食べ過ぎないように少量ずつ与えることにしました。

 

その後は、彼女の動作もとてもゆっくりになり、ヨタヨタすることも増え、先が長くないことも意識せざるを得なくなりました。それまで彼女の食事は、栄養を考えて高齢猫用のドライフード2種に限り、おやつとしてチュールをあげるくらいだったのですが、それからは食べたそうにするものはよほどのことが無ければ焼き魚でも唐揚げでもハムでも、ほんの少しづつですが食べさせてやることにして、各種キャットフードも好みを見ながら取り揃えました。妻は、先住猫の「クー」が亡くなる直前やはり色んなものを食べたがったのですが、健康に悪いと考えて一切食べさせてやらなかったことを長く後悔していて、ロクにはそんな思いをさせまいと考えたようで、それには私も賛成でした。ロクは、それ以外にチーズ、牛乳、ヨーグルトなども大好きでした。
そして、それまではドライフードと水を多めに用意しておいて、1泊程度なら家族揃っての旅行にも行っていたのですが、それ以降家族揃っての外出は日中なるべく短時間とし、泊りの場合は誰かが残ることにしました。

 

そして本当に最期を意識するようになったのは、12月初旬の夜中に突然全身けいれんの発作が起きたことです。翌日すぐ獣医さんに連れて行ったところ、これはてんかんの発作であり、老齢の猫の場合まれに発症することがあって、以降何度か続く可能性があることと、それがやがて死につながることは覚悟して下さいと告げられました。
それ以降発作は起きなかったのですが、それ以降目が良く見えなくなって、部屋の中を色々なものにぶつかりながら徘徊しはじめ、排尿・排便も色んなところでするようになりましたから、彼女の生活空間はリビングに限定して常に目が届くようにし、部屋中ペットシートを敷き詰めました。それ以降は妻か私が必ず付き添うようにして、24時間目を離さないようにしたのですが、私はともかく、夜添い寝をしていた妻の負担はかなりのものだったと思います。それでもロクの体調は日によっては以前と変わらないくらいまで戻ることもあり、食欲だけは最後の発作の直前まで旺盛でしたから、もし足腰が立たなくなっても、目が見えなくなってもこのまま生きられるのでは?という期待もありました。実際、最期のてんかんの発作さえなければそうなっていたんじゃないかと今でも思います。

 

最期は安楽に死ねず、8時間半もうなったりもがいたりして苦しみぬいたことがとても可哀そうでしたが、今になって考えれば、それがもっと生きたいというロクの意志表示であり、簡単に死ぬもんかという姿勢を私たちに見せてくれたのかも知れない、とも思います。あんたらも簡単に諦めちゃ駄目よと言われたような気がします。

 

1月2日は、年に何日もない家族全員が揃っている時でしたので、みんなで看取ってやることができました。小さい時から兄弟のように育って来た子供たちにとっては、長時間ロクの苦しむ姿を見続けるのは苦痛だったと思うのですが、よく看取ってやってくれたと思います。

 

ロクはお兄ちゃん猫のクーが眠るペット霊園で翌日火葬してもらい、同じ棚に並べてもらいました。クーは64歳で亡くなり、ロクは98歳ですから、クーに「お婆さん、あんた誰?」と言われて怒っているかも知れません。

 

若い頃のクー・ロクです。

気分転換の積りで出かけた初乗りツーリング(もう妻との交代見守りも要らなくなりましたから、、)の時も、一人で田舎道を走っているとついロクのことを思い出して鼻の奥がツーンとしてきたりしました。
城山三郎という作家の晩年の作品に「そうか、もう君はいないのか」というエッセイ集があるのですが、ご想像の通り「君」というのは亡くなった奥様のことです。城山三郎の作品は結構読んだのですが、このエッセイはタイトルだけで内容が想像できるような気がして、未だに手に取る勇気がありません。
今回ロクがいなくなり、ツーリングの時のような日常の場面で、「そうか、もうロクはいないんだ」と思わせられることが多いです。

 

昨日は仏教でいう初七日で、丁度祝日でもありますので、息子も帰って来て4人で墓参りに行って来ました。いつまで経ってもこの思いが消えることはないでしょうが、ここで一つの区切りとして、頑張って生きた彼女を見習って残りの日々を生きようと思います。

 

2022年、今年最後のブログです。

 

2022年もあと数時間で終わります。
毎年言っているような気がしますが、「え? もう年末?」というのが実感で、月日の経つのが恐ろしく早いです。

 

私のように歳を取ってきて月日の流れを早く感じたり、楽しい時間があっという間に過ぎてしまうように感じたり、別に1秒の長さは変わらないのに不思議です。
歳を取るにつれて月日の流れが早くなるという現象は、心理学の研究対象ともなっていて、「ジャネーの法則」という名前もついているのですが、これは「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する」というものです。歳を取って行くとその年齢に占める1年の割合は当然に減ってきて、例えば10歳の時の1年の割合は10%もあったのに対して、今68歳の私にとっての1年はわずか1.5%弱にしか過ぎませんから、その差は明らかで、短く感じるのは当然ということですね。
また、新しい経験が減っていくと時間の経過は早く感じられるので、同じ事を繰り返している大人の時間はすぐに経つ、ともいわれているそうです。これにも思い当たる節があります。

 

そして「楽しい時間は早く過ぎる」という現象は、楽しいとその物事に集中して取り組みますが、結果色々なことを考えていない状態となって時間の経過が早く感じられる、という理屈で、これは上の「新しい経験が減っていくと、、」というケースと同じです。
また、楽しいと心拍数が上がり動作が機敏になるのも、時間の経過が早く感じられる原因なのだ、という解説もありました。

 

どうせ時間の経過を早く感じるのならば、「楽しい時間は早く過ぎる」という状態で暮らしたいものですが、ではあっという間に過ぎた私の2022年にはどんな出来事があったのか振り返ってみます。
そんな時この日記代わりのブログは便利で、今年はこの記事を含めて184本の記事を隔日掲載してきましたので、ほぼ当時の記憶を呼び起こすことが出来ます。

 

まず今年一番のトピックスは3月に娘がコロナ感染してしまったことです。当時は今よりもコロナに対する恐怖感は強く、感染が判明した時にはかなり身構える感じがありましたし、同居している妻も私も感染を覚悟したのを思い出します。そして真っ先に頭に浮かんだのは、全員が重症化し入院ともなってしまったら、愛猫「ロク」をどうしよう?という事でした。幸い娘は重症化せず、妻も私も感染せずに済みましたが、家族3人の隔離生活はかなり厳しかったです。そしてコロナ当初より格段に使い勝手が良くなったネットスーパーやフードデリバリーにはずいぶん助けられました。

 

このブログのテーマでもあるバイクライフですが、今年は計18回のツーリングに出かけていました。約3週間に1回のペースですが、殆どが日帰りツーリングで、お泊りツーリングは、5月のSSTRと10月のキャンプツーリングの2回だけでした。
ツーリング回数としてはまあこんなものでしょうが、もっと長距離、できればもう一度北海道・九州ツーリングにも行きたいですし、バイクでは未踏の東北にも行きたいですね。
また私の愛機R1200R以外に、娘のFTR223も今では殆ど私のバイク化していますので、これにも乗ってやらねばならず、近場はFTR、中長距離はRという役割分担が必要です。

 

その他では、愛車POLOでのドライブや家族の慶弔にも単独・家族で結構出かけていたのですが、やはりコロナの影響で在宅率が高いのは事実で、そのせいかNetflixやAmazonプライムで観た映画のこともかなり記事にしていました。
となると、いくら色々な映画を観たとはいえリビングで安楽に画面を眺めているだけですから、「同じ事を繰り返している大人の時間はすぐに経つ、、」に当てはまる生活だったとも言えそうです。

 

では来年にはもっと外に出ることを多くして、体感時間を長く、、と言いたいところですが、コロナの状況もまだまだ不透明ですし、それに加えて我が家では愛猫「ロク」が最近かなり老いを実感させる状況となってきて、妻と私が交代で見守る体制となっていますから、在宅率は今年より更に増えるかも知れません。ただ私にとっては、若い頃から疎遠だったロクとの仲が急速に縮まっているのがとても嬉しくもありますので、全く苦にはなりません。安楽な老後を全うさせてやろうと思っています。

 

という事で来年も今年と大きくは変わらない年となりそうですが、今後とも宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

愛猫「ロク」の近況

 

我が家の愛猫であり最長老でもある「ロク」は今年の6月で20歳となり、人間換算なら来月98歳となる高齢猫ですので流石に色々衰えも見えてきて、体調を崩すことが多くなってきました。
それもあって2カ月位前からは妻か私のどちらかが交代で家にいて見守ることにしたのですが、それ以来徐々に私との距離も縮まって来たようです。元々ロクは私にはなついておらず、近付こうとしても避けられるのが普通だったのですが、最近になってようやく近付いても逃げない程度にはなってきました。

 

2002年6月に我が家の一員となり、今では100歳目前のお婆さん猫ですが、若い時は3kg前後の小柄な体ながら、固太りのゴムまりみたいな猫でした。最近ではかなり脂肪も筋肉も落ちてきて、体重はこの間体調を崩して獣医さんに行ったとき計ってもらったら、2kg強しかなかったです。
マンションの4階住まいですから完全な室内猫なのですが、若い頃は狭い家の中を縦横に走り回って、カーテンや壁紙、ふすまなどは常にボロボロでした。また当時はお兄ちゃん猫である2歳年上の「クー」も元気一杯でしたから尚更です。

 

その後我が家は入居20年を超えて室内のリフォームをして、天井・壁のクロス、床の絨毯を張り替えてもらいましたが、その時にはお兄ちゃん猫のクーはすでにおらず、ロクも13歳となっていて老齢猫の仲間入りをしていましたから、走り回ったりカーテンをよじ登ることもなく、我が家の内装は以降無事なままです。
ちなみにその時リフォームを依頼した業者さんからは、今時床をフローリングにしないのは珍しいと言われましたが、猫は寒がりで我が家は人間も床の冷たいのは苦手ですので、絨毯のままにしてもらいました。また犬や猫はフローリング床で滑って足腰に負担がかかると聞いていたことも理由の一つでしたが、その後のロクはもう走り回ることも殆どありませんでした。

 

今回、妻と交代でロクのそばに居るようになって、改めて猫って寝てばかりだなあと実感しました。猫の語源で有力な説は、「ネ」が鳴き声、「コ」が親しみを表す接尾語だというものらしいですが、寝る子でネコという説も捨てがたいですよね。
今のロクはそれこそ食事、排せつ以外は昼間殆ど寝ています。

 

妻は、かなり前からロクのご飯とトイレが置いてあるリビングに布団を敷いてロクの隣で寝ているのですが、それは日中ずっと寝ているのに、夜は活発になって2~3時間ごとに大きな声で鳴いて起こされるからで、夜中に大声で鳴き続けるのはご近所さんにも迷惑ですから妻はすぐ間に合うようにそうしているのですが、寝不足で大変といつもぼやいています。
でも厳密に言うと猫は夜行性ではなく「薄明薄暮性(はくめいはくぼせい)」の動物なのだそうです。薄明薄暮性の動物は、文字通り明け方と夕暮れに活動するのですが、この習性は猫の主な獲物であったネズミが活動する時間に合わせているためなのだとか。

 

成猫の場合、平均的な睡眠時間は1日14~16時間といわれていて、これでも1日の大半は寝て過ごしていることになりますが、だとしたら「寝子」はかなり有力な説ではないかと思えてきます。子猫や老猫の場合は更に睡眠時間は長く、1日20時間ほど眠るのだそうで、確かにロクを見ているとそんなものでしょう。
先日もご飯をうるさく催促され、食べた後満足してホットカーペットの上で座っているなと思っていたら、いつの間にか暖かさに誘われて寝落ちしていました。

 

 

夏場は涼しい娘のベッドの上で昼寝しているのですが、寒くなってきてからは押入れのロク専用ベッドが昼寝場所です。でもこの時はそこまで持たなかったみたいで、ここで行き倒れのように熟睡していましたね。

こんな状況ですから、最近では夫婦そろっての外出は殆どしておらず、行きつけの近くの店に1時間程度食事に出かけるくらいがせいぜいです。お互い調整しあって、それぞれ行きたいところに単独で出かけるのが最近の行動パターンですが、そうなってみると一番出かけやすいのは、お互い仕事がない土日祝という事になります。ツーリングは平日と決めていたのですがそうも言っていられなくなりましたので、週末の出動も考えようと思っています。

 

妻は既にかなりの期間泊りがけの旅行もしていないのですが、それというのもロクの右後ろ脚は肉球の傷が癒えないままもう2年以上経っていて、包帯のまき直し・消毒は日課となっています。その際、ロクが最も信頼する妻の存在は欠かせず、私と娘は介助役としてどちらかが居れば良い存在なのです。
妻にとってはかなり負担の大きい話ですが、だからといって、「旅行できるようになったら思い切り羽を伸ばそう!」といった考えも、ロクが居なくなるのを待っているようでとても嫌だから、そうは考えないようにしているそうです。猫ってそういう飼い主の気持ちを敏感に感じ取るという話を聞いたこともあり、妻の気持ちは良く理解できます。私も協力して、あとで後悔しないように、穏やかな余生を過ごさせてやりたいですね。

 

 

先住猫「クー」、10年目の慰霊祭と「ロク」との日々。

 

我が家の愛猫である20歳の老嬢「ロク」には、かつて2歳年上の「クー」というお兄ちゃん猫がいました。彼が亡くなってはや10年が過ぎ、春秋定例の合同慰霊祭に行ってきました。
彼が我が家にやってきたのは2000年の9月のことで、だから「クー」なのですが、妻のママ友から、知り合いの保護猫活動家が引き取った子猫がいるんだけどどうかと勧められたのです。

 

私も妻も愛猫家で、特に妻は実家でずっと2匹の猫と暮らしていましたので、いずれ猫は飼いたいねと話していたのですが、子供が赤ちゃんの内は思わぬ事故の可能性もありますし、やめておこうと思っていました。
それが下の子供も3歳となり、もう大丈夫だろうという事で既に猫を飼っていたこのママ友に紹介を依頼していたのです。

やって来たのは、近くの神社で保護されたという生後1週間程度の白茶トラの男の子で、怪獣のソフビ人形との比較でもわかる通り、手のひらに乗る程小さく、か弱い印象でした。まだミルクしか飲まなくて、妻は夜中も2~3時間おきに授乳して、3人目の子供ができたみたいと笑っていました。

 

 

そして彼が2歳になる年の6月にロクが来た訳ですが、2歳ともなれば立派な成猫で、我々のひそかな心配をよそに、小さなロクを何事もなく迎え入れてくれました。
下の写真のようにちょっかいを出すのは常にロクで、クーはお転婆娘に嚙みつかれてもそれを優しく受け止める温厚なお兄ちゃんでした。

 

 

その後2匹で仲良く10年間暮らしましたが、ロクが来た時でも既に大きかったクーはその後もどんどん成長し、最大7kg、ロクの2倍以上の体重となりました。

 

クーが亡くなったのは2012年の11月、息子が大学1年生、娘は中学3年生の時でした。夏頃から徐々に食欲が落ちていたのですが、11月に入ってあっけなく死んでしまい、妻も私も気持ちの整理が難しかったです。生まれた時から腎臓の数値が悪いロクと違ってこれといった持病もありませんでしたし、丸々と太って健康そうに見えたこともあって、根拠はありませんが何となく室内飼いの猫の平均寿命といわれる14~15歳までは生きてくれるものと思い込んでいました。今になって考えれば、人間と同じで肥満が寿命を縮めたという事なのでしょう。

 

息子と娘が4歳差、その3つ下がクーで、更に2つ下がロクですから、子供たちにとっても幼い日を共にした兄弟・姉妹みたいなもので、彼らの情操教育上もとても大きな存在だったと思います。そして子供たちにはこれが身近で経験する初めての死でもあり、二人共この時の記憶は今も鮮明だと言っています。

 

死後は近くのペット斎場で火葬してもらい、遺骨も納骨堂に安置してもらっています。形式的には昨年末亡くなった父の永代供養をお願いした納骨堂と同じですが、勿論そんな立派なものではなく、学校の下足箱様の棚に骨壺が並んだものです。
春秋には合同慰霊祭があり、コロナによる2~3回の中断を除いてはほぼ毎回参列していますが、亡くなったのが11月という事もあり、秋のほうが彼を偲ぶ気持ちは強いです。
今回は10年目という区切りの慰霊祭でもあり、別居している息子も帰って来て4人で行ってきましたが、午前一回午後一回の僧侶による読経の時間は混み合いますので、それを避けてさっさとお参りして帰ります。近いこともあって、度々墓参りには訪れていますから、この日は卒塔婆を納めて来るのが主目的です。

 

 

ここには妻の実家の「クロ」も眠っていますから、高齢の義父母に代わってお参りしてきました。彼は妻の故郷である兵庫県に実家があった頃から飼われていて、義父母と共にはるばる千葉県まで引っ越してきたのです。夜中に彼を連れて救急で動物病院に行ったりもしました。

 

クロはクーの数年前に亡くなっていますので、これまで十数年この慰霊祭には参列していますが、年々参列者は増えていて、他人ごとではないですが平均年齢も上がってきているのを実感します。ちゃんと見送ってもらってお参りもしてもらえるペットはある意味幸せですが、高齢の飼い主に先立たれ悲惨な目に合うペットの話もよく聞きます。命を預かる責任は大きいですね。

 

 

映画「ゴーン・ガール」を観ました。

 

サンドラ・ブロックの「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」「しあわせの隠れ場所」を観た、愛猫「ロク」とのお留守番の日、実はもう一本「ゴーン・ガール」という映画も観ていました。

 

ベン・アフレックとロザムンド・パイクが共演した2014年の映画で、ベン・アフレックは良く顔を見る俳優さんなのですが、この日初めて顔と名前が一致しました。ロザムンド・パイクに至っては顔は見たことあるけれども名前は初めて知ったという程度でしたが、二人とも結構なキャリアの持ち主なんですね。

 

ベン・アフレックは、私の御贔屓のマット・デイモンと幼馴染で、彼の出世作である「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」(1997年)ではマット・デイモンとの共作でアカデミー脚本賞を受賞し、それで一躍有名になったのだそうです。
ロザムンド・パイクはロンドン出身の女優さんで「007ダイ・アナザー・デイ」(2002年)でボンドガールに抜てきされ、華々しいスクリーンデビューを果たしたのだそうで、それなら彼女の事は観ていたはずです。最近何本か続けてダニエル・クレイグの主演作品を観ていますが、これは彼の前にジェームス・ボンドを演じていたピアース・ブロスナンの最後の007ですね。

 

eiga.com

 

スリラーですから内容に触れるのは難しいのですが、作品情報にも書かれていることだけを書き抜いておくなら、
「最も近しい存在=パートナーこそが、実は最も謎めいた存在であることを、見る者すべてに突きつける衝撃のサイコロジカル・スリラー「ゴーン・ガール」。「セブン」「ドラゴン・タトゥーの女」の鬼才デビッド・フィンチャー監督の過去最大のヒット作にして、最大の衝撃作。」
という事です。

 

とにかくこの映画の女性は強いですし、男はクズです。そしてロザムンド・パイクもベン・アフレックもそれぞれの役柄を完璧に演じています。題名の「ゴーン・ガール」はロザムンド・パイクの事だと思うのですが、彼女はもう(30代?40代?の)いい大人という設定ですから、ガールというところにも深い意味があるんだなと感じました。
結婚生活に夢を抱いている人は観ない方が良いかも知れませんが、逆に結婚生活に疑問を抱いている人も嫌になってしまうかも、、。

 

この日はリビングのTVの前に陣取ってほぼ終日映画を観ていたのですが、そうしていると普段は寄ってこないロクが何か食べたくなった時だけやって来てご飯の催促をします。妻や娘がいる時は私には全く近寄って来ないのですが、私しかいないとかわいい声で鳴いて催促するのです。

 

 

 

 

最近では高齢の為に消化機能も弱って来ていますから、高齢猫用と消化器サポートのドライフードを混ぜてフードプロセッサーで砕きその都度水で練っています。
その他に用意しているものをこの機会に調べてみると、チャオチュールの11歳以上用をまぐろ・かつお味主体に数種、チャオの焼かつお、焼ささみ高齢猫用、カルカン、モンプチは18歳以上用でまぐろを主体に数種、色々取り揃えて9種類の食べ物がそろっていました。それに加えて牛乳、ヨーグルト、チーズ、ハム、ソーセージなども好きなのですがそれらは食べ過ぎるとすぐ吐き戻したりしますから、その時の気分でほんの少しずつ、小指の先位だけ食べさせています。
ただ、今彼女が何を食べたがっているのかを理解するのは中々難しくて、今はモンプチだろうと思って出してやっても、欲しくないと明からさまにそっぽを向き決して食べようとはしません。そして望みのものが出てくるまでじっと待っていますし、知らんふりしているとこちらが根負けするまで鳴き続けます。
まあ家族みんなすぐ根負けしてしまうのが事実なのですが、ロクも「ゴーン・ガール」に出演できるくらいの強い女なのでしょう。9月で人間換算97歳となったロクからすれば、小僧の分際で偉そうに!というところかも知れませんが、、。

 

 

4回目のワクチン接種が終わりました。

 

先週4回目のワクチン接種に行ってきました。
1~3回目と同じ、市が用意した特設会場での接種でしたが、ここは市の体育館を会場として継続使用しているものですから、もう2年以上も体育館としての使用はできていません。総合運動公園として併設されている野球場、陸上競技場、武道館等も使われているのを見たことがなく、この2年間で一般市民のスポーツ環境が激変していることを感じます。

 

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台風の余波で荒れ模様の天気の中、クルマで出かけましたが、駐車場も混んでおらず、入り口にも人の気配はありません。1~3回目の時とは様変わりで、ちょっと拍子抜けして会場に入ってみると、中は意外と人が多くかなりの待ち時間も発生していました。第7波の急激な拡大で危機感を持った方が多いのでしょうが、今時点では60歳以上または基礎疾患がある人が対象ですから、我々世代のご夫婦が多かったです。

 

そしてそういったご夫婦を見ていると、多くの場合女性が二人分の接種券や身分証明を持参していて、バッグから男性の分も出して係員に手渡す、男性は黙って横に立っていて必要最小限の対応だけ、というケースが多いです。いかにも昭和世代といった光景ですが、俺はそんなことしてないなと思って振り返ってみると、何のことは無い先日の参院選挙の際も、しっかり投票用紙から財布、免許証まで妻に渡しっぱなしで出かけていました。ちょっとした外出でも、基本財布や免許証は妻に渡して手ブラのことが多いですから全く同じですね。自分は意識高い人間だと思っていたのは大きな勘違いでした。
そんな私ですが、ジェンダーレスな考え方をしようと努力はしていて、以前は「家内」と書いていたのを「妻」と改めたり、料理をする私って偉いでしょう?みたいなニュアンスにならないように気を付けたりはしています。
そこで気になったのは、この日見かけたご夫婦の呼び方で、本当なら「奥さん」「ご主人」と書くのがこれまでの習慣上は一番しっくりくるのですが、これは「家内」とほぼ同じ意味の言葉ですからやはり使えません。しばらく悩んだ結果、単純に「女性」「男性」としたのですが、何が一番正しい呼び名なんでしょうね?

 

会場内は相当混み合っていたのですが、受付、接種券・身分証明の確認、体温チェックは数人待ちですぐ終わり、その後の医師の問診のところでほぼ100名という過去最高の待機が発生していました。
それでもこの2年間で運営手順は確立していてスタッフにも熟練者が多く、更には我々受ける側も4回目ともなれば慣れたものですから、経過観察時間まで含めた全体でも50分程度で終わりました。結局問診前の待機も20分程度だったんでしょうが、正直それはとても長く感じました。
また、1~2回目接種の頃は、治療法も確立していない致死率の高い未知のウィルスに対する恐怖があってピリピリした雰囲気でしたが、今はかなり雰囲気も和らいでいます。

 

週初めの接種でしたから、念の為その週は予定を入れていませんでした。妻や娘の3回目接種では二人とも副反応がありましたから、自分にもあるかも知れないと警戒していたのです。
結果的には、接種翌日が終日36.8度程度でその次の日は平熱に戻りましたから微熱とも言えない位でしたが、平熱は36度前後ですから若干のダルさは感じました。
まあ副反応はなかったと言って良いでしょうが、接種個所の痛みは1~3回目と同様にかなり残り、数日間接種側の腕を下にしては寝られませんでした。

 

何の予定も入れていませんでしたから、この週は妻と娘が仕事で出かけた後は愛猫の「ロク」と二人での留守番となり、映画鑑賞や読書が進みました。
ロクは必要最小限しか私には近づいて来ず、日がな娘のベッドの上で寝ていましたが、動きもゆっくりとなり、殆ど寝て過ごしている(これは若い時もそうでしたが)事を改めて実感しました。

 

 

寝ているところを暇な私にちょっかい出されて不満顔です。冬の間は押入れが彼女の定位置なのですが、暑い夏になってくるとこのベッドが快適なようです。夏の宮殿、避暑地と呼んでいるのですが、おかげで娘はコロコロ掛けに忙しく、ロクが各部屋を移動する為にエアコンも複数常時稼働となりますので色々大変です。まあ我が家の最長老、特権階級ですから仕方ありません。

 

 

我が家の愛猫「ロク」が20歳の大台を迎えました!

 

これまでも度々紹介していますが、我が家の最長老、猫の「ロク」は今月で大台20歳に到達、人間換算なら96歳となりました。
2002年6月2日の早朝、母猫から育児放棄されてウチの前で夜通し鳴き続けていたのを私が保護して来ました。危険を感じて一生懸命逃げようとするのを追いかける形になりましたので、いつまで経っても私の事は好きにはなれないみたいで、流石に20年経てば同居人としての認定はしてもらっていますが、それ以上にはなれません。そもそも男性が怖いというところもあるみたいです。

 

今年もアニコムというペット保険の会社からバースデーカードが来ましたが、我が家で今もバースデーカードを貰っているのはロクだけです。ちゃんと彼女の健康保険証もあるのですが、幸いこれのお世話になるような大病はしたことがありません。
バースデーカードには6月1日誕生となっていますが、これは届け出の時にキリ良くそうしただけで、6月2日が我が家でのロクの誕生日です。ただ獣医さんでは既に生後数週間だねと言われましたので、実際には5月中旬生まれということになります。

 

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その後しばらくして避妊手術のため獣医さんで事前検査を受けたところ、腎臓の数値がかなり悪く、このままでは手術に耐えられないかも知れないので、しばらく薬で体調を整えてからにしましょうと言われました。無事避妊手術はできたのですが、正直腎臓に問題を抱えたままでは長生きは難しいのかなあと思っていたのです。

 

ところがその後、2歳年上の先住猫「クー」とも仲良く暮らし、健康体だったはずのクーが12歳で先だった後も、10年間穏やかに過ごして来ています。
ちなみに「クー」は9月生まれ、「ロク」は6月生まれだからという名付け方ですから、この後もし新入りを迎え入れたとしても名前だけは既に決まっていました。
1月⇒「イチ」、2月⇒「ニイ」、3月⇒「サン」、4月⇒「シイ」、5月⇒「ゴー」、7月⇒「ナナ」、8月⇒「ハチ」、10月⇒「トー」、11月⇒「トイチ」、12月⇒「トニー」という具合で、至極安直です。

 




とはいえこれまで全く無病で過ごしてきたわけでは無く、何度かは命の危機を感じるような時もありました。直近では今年4月、実父の納骨の時に急に具合が悪くなったのですが、既に超高齢猫の域に入って来ていますから、何か普段と違う症状が出るととても心配です。

 

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クーは大柄な猫で、体重は7kg以上あったのですが、ロクは小柄で若い時のピーク時でも4kg程、ただし固太りで丸々しているという感じでした。それが歳と共に痩せて来て今では3kg弱しかありません。身軽に本箱の上や食器棚の上を飛び回っていた面影もなく、普段はゆっくりゆっくり歩いているのですが、何かの拍子に野生のスイッチが入るらしく、雄たけびを上げながら走り回ることもあります。そして肉球の皮が再生せず薄皮状態の右足がまた破れて血だらけになるのです、、。

 

 

 

健康保険のお世話になるような病気もなくここまで長生きしてくれましたが、腎臓が良くないのは変わっておらず、若い時から水を大量に飲みますし、その分排尿量も多いです。そしてもう治らないと言われた右後ろ足の肉球も、毎日の洗浄・薬塗布・包帯替えが必須ですので、それ以外はできるだけ穏やかな余生を送ってくれるように家族で見守って行こうと思います。
我がマンションはペット飼育の可否で揉めたあげく、現在飼育中のペット一代限り、という決着となっていますから、我が家にとってはロクが最後の同居猫です。
一日でも長く一緒に居たいですね。

 

 

 

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