シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

踵痛完治せずツーリングは断念、映画「52ヘルツのクジラたち」を観て来ました。

 

タイトルには踵痛と書きましたが、辞書で調べても出て来ませんのでこんな熟語は無いのかも知れません。踵の痛みだということは字面でわかっていただけるでしょうが、踵の音読みが「しょう」らしいですから、読みは「しょうつう」となるんでしょうか?

 

とにかく数日前に発症した踵の痛みがまだ引かなかったので、再度のツーリングチャレンジを目論んでいたこの日、あっさり予定を変更して表題の映画を見に行くことにしました。天気は良かったのですが、気温は低く冷たい風が吹き荒れていたことも理由です。旅に出る前に無理したくもありませんでしたし。
数日前ハイエースで横浜まで出かけた時は強風で運転が怖い程でしたが、この日もそれにも増して強い風が吹き荒れていましたのでPOLOで出掛ける事にしました。一般道でも国道16号や6号などの広い幹線道を走っているとPOLOの小さな車体でさえ横風を感じましたから、この日の方が風は強かったんだと思います。帰宅してからニュースを見ていると横風で大型トラック横転という報道もありましたから、全国的に強風だったんですね。

 

「52ヘルツのクジラたち」は、昨年読んだ原作の小説に感銘を受け、今年の3月初め映画化されるのを知って楽しみにしていたものです。映画化はゴールデンカムイを年明けに観た時、映画館で知ったのですが、主演の杉咲花は実力派女優ですから、この難しい役どころをどう演じるのかにも興味がありました。

 

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春休み直前の平日17時20分開始の映画でしたから映画館はガラガラで、大学生や高校を卒業したての旧高3生と思われる男女が大半でした。
52ヘルツのクジラたちが上映されたのは縦横15×10席程の小さなスクリーンでしたが、観客は5~6名しかおらず閑散としていました。前回ゴジラの時に音響が良さそうな中央席を選んだところ、周囲はガラガラなのにその一帯だけが満席状態で肩を触れ合うような鑑賞環境となってしまいましたので、今回は端っこの席を予約していたのですが、そんなことを気にする必要は全くありませんでした。
私は最近映画を見る時は事前に席予約をしてから出かけているのですが、平日何もない時の映画鑑賞は、直前に映画館で空き状態を確認してから席指定した方が、前後左右の間隔も空けられて快適そうですね。

 

映画の内容には触れませんが、所々で原作と違う脚本になっているものの、概ね原作に忠実に作られていて、とても良い映画でした。元々涙もろい私には、涙をこらえ切れない場面も多々ありましたので、場内が空いていて良かったです。
主演の杉咲花は期待通り、共演の志尊淳もとても良かったです。志尊淳は前々回のNHKの朝ドラで顔を憶えたというレベルの知識しかなかったのですが、良い役者さんですね。

 

この日映画を見たTOHOシネマは、流山おおたかの森SCという駅直結の大きなショッピングモールの中にありますので駐車場も広く、平日なら停めるのに困ることはまずないのですが、映画を観終わったのが20時ちょっと前、それからSC内の飲食店で軽く食事をして20時半頃駐車場に戻ってみると、周りのクルマは殆どいなくなって、広い駐車スペースの中にポツンとPOLOが一台停まっていました。何だか薄暗い中で、白い子犬がうずくまりながら主人を待っているようにも見えていじらしかったです。

 

 

 

「枕草子」を現代語訳で読んでみました。

 

周防柳と冲方丁という二人の作家の平安時代を描く小説を続けて読んだことで、登場人物である紀貫之、紫式部、清少納言の作品にも興味が湧き、若い頃からすれば何度目かのチャレンジですが、もう一度読んでみることにしました。

 

選んだのは、紀貫之の「土佐日記」、紫式部の「源氏物語」、清少納言の「枕草子」という定番どころで、何度目かのチャレンジと書いた通り、若い頃から何度かは読んだり読もうと努力したりした作品ばかりです。
源氏物語と枕草子は、田辺聖子の「新源氏物語」と田中重太郎訳注「現代語訳対照枕草子」という文庫をかなり前から持っているのですが、枕草子の方は現代語訳で読んでも文体がとても硬く、何度も跳ね返されて挫折したままです。田辺聖子版源氏物語の方はそれに懲りて田辺聖子の小説としての源氏物語から入って見ようと考え、一度は通読したのですが殆ど記憶に残っていません。

 

 

 

 

 

紀貫之の土佐日記は他の二作と同じく学校の授業で習いはしましたがその後触ったことも無く、今回初めてのチャレンジとなります。
若い頃のように背伸びして教養の一環として、などと言う気持ちはありませんから、何なら漫画でも良い位なのですが、色々Amazonで探していて、角川ソフィア文庫が出しているビギナーズ・クラシックスというシリーズにたどり着きました。
角川ソフィア文庫というのは、元々の角川文庫がジャンルを帯の色で分類していて、その中で日本の古典文学作品やその研究書を対象としていた黄帯・白帯をまとめたものだそうです。今持っている枕草子と同じくどれも現代語対訳版なのですが、現代語が格段に読みやすく、これなら読み進められそうです。

 

ということでまずは直近に読んだ「はなとゆめ」の主人公である清少納言の枕草子から始めることにしました。
文庫で持っている枕草子は上下2巻、計1,000ページにもなろうかという大作(原文と現代文が併記されているので)なのですが、今回Kindle版で購入した枕草子は、同じ現代語対訳なのにその半分くらいの分量に収まっている感じです。意訳して短く読みやすくしているのと、半分位の章はカットしてあります。

 

 

枕草子の中でも記憶に残っていたのは第一段の「春は曙、、」という本当にさわりの部分だけだったのですが、今回ダイジェスト版とは言え枕草子を通読してみて、「はなとゆめ」に出て来るエピソードの多くがここからの着想であったことも良くわかりました。
また、現代語訳で読むと意味だけは分かるのですが、当時の服装・習慣・風俗がわかっていないと通じないことも多く、また原文にある格調高さも感じることはできません。
訳詞を頭に入れてから洋楽を聞くのと同じように、現代語訳を手元に見ながらAudibleなどで原文朗読を聞けたら一番感じは出るかもしれません。特に春は曙の段などは古文の授業で音読させられましたが、本当に名調子だと思います。

 

 

 

 

 

R1200Rようやく今年の初乗り、のはずが踵が痛くて、、。

 

年が明けてからも全く乗っていなかったバイク、この日は予定もなく天気予報も上々(好天気で気温も高い)でしたから、前日から久々に乗る気満々でした。

 

振り返ってみれば、昨年11月の中旬に昔の職場のライダー仲間から房総ツーリングに誘われたのが最後でしたから、実に4カ月も放置状態だったことになります。
この時は、折からの強風でアクアラインが通行止めとなり、都内・神奈川組が軒並み房総入りできずに、結果として私だけのソロツーリングとなったのでしたが、今回はその時に行った鴨川のカネシチ水産を目当てに出掛けようと考えていました。

 

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前日は昼から北関東での仕事があり、新幹線で何事もなく帰宅したのですが、最寄駅から自宅まで歩き始めたところで、右足の踵付近に鈍い痛みを感じました。そんな大した痛みでもなく、歩くのに支障がある程でもなかったのでそのまま帰宅したのですが、家に着いてからも一向に収まる気配がありません。
座った状態で踵を床につけている程度では全く痛くはなく、立ち上がって体重をかけると痛い、という状態ですからそんなに深刻さもなく、その日はそのまま寝たのですが、翌朝になっても状態はほぼ変わらず、このままではバイクに跨って踏ん張るというのが難しそうに思えてきました。

 

踵部分に力が加わると痛いという状態ですが、ここには筋肉や関節はないと思いますので、骨の痛みなのかなとも思ったのですが、踵の痛みで一番可能性が高いのは、「足底筋膜炎」という症状で、足の裏面を覆う足底筋膜が炎症を起こして踵部分に痛みを引き起こすのだそうです。やっぱり足の裏にも筋肉はあるんですね。

 

そしてその場合の対処法としては、しっかり休む、マッサージ・ストレッチ、冷やす・温める、足の疲れにくい靴を履く、正しい姿勢で歩く、などがあげられていて、それでもダメな場合は整形外科へ、と書かれていました。
ある意味当たり前のことが書かれているだけですが、今の私の場合は週末おとなしくして、マッサージやストレッチをしてみる、という事くらいですね。
思い起こせば中学校に入って部活を始めてすぐの頃、同じ右足の踵痛でしばらく悩まされたことがありました。足底筋膜炎は激しい運動や踵への強い衝撃で起きることがあるそうですから、その時もこれだったのかも知れません。
当時は周りに相談しても「ああいわゆる成長痛じゃない?」という感じで軽くあしらわれて、医者へも行かなかったのですが、今調べてみると「踵骨骨端症(しょうこつこったんしょう)=シーバー病」という」10歳前後の成長期で日常的に運動をしている男児に多い病気もあるみたいです。

 

その翌週(今週)には週中日までに片付けなくてはいけない業務があったのですが、ちょうど足も休めてやる必要がありましたから、この土日は会食に出掛けたのを除いては終日おとなしく机の前に座って、ほぼそれをやっつけてしまいましたので、今週踵さえ軽快すればバイクを引っ張り出すことに決めました。まだ今時点では少し痛いですが、桜旅に出てしまえばまた当分バイクに跨ることもできなくなりますから。

 

 

 

冲方丁「はなとゆめ」を読みました。

 

冲方丁の作品が続いていますが、今回読んだのは、前回の「月と日の妃」の姉妹編とでも呼べそうな「はなとゆめ」です。
前回、娘が子供の頃読んでいた「花とゆめ」という少女雑誌のイメージが強くて敬遠していたという事を書きましたが、今も昔もこんな表紙の雑誌ですから、いい歳をしたジジイが敬遠する気持ちはわかっていただけるかと。
しかも本作「はなとゆめ」の表紙もこんな感じです、、。

 

 

 

「月と日の妃」は、平安時代、一条天皇の中宮(皇后)だった藤原道長の娘彰子(しょうし)が主人公でその女房(侍女)として紫式部が登場しますが、この作品では彰子の前の中宮定子(藤原道長の兄道隆の娘)とその女房清少納言が主人公です。
両作品の違いは、「月と日の妃」はタイトル通り中宮彰子が主人公であり、「はなとゆめ」は女房清少納言が主人公であることです。清少納言の女主人中宮定子が、彼女にとっての花であり夢であった、というストーリーになっています。

 

冲方丁は、ほぼ同時代を同じ一条天皇の中宮として生きた二人の女性にまつわる物語に、知らぬ人は居ない程有名な女性文学者二人を配置しているのですが、上に書いた通り、作中での中宮と女房の関係は両作品では逆となります。
共通しているのは、どちらの中宮も、一族の繁栄の責任を一身に背負わされ、上級貴族間の陰湿な争いの被害者となった女性としてのみ描かれているのではなく、その中にあって気高さや美しさ、強さを維持して、その影響を周囲に与え続けた女性として描いているところです。

 

中宮とは今でいう皇后ですが、当時は多妻制でしたので、多くの妃の内で中宮となることは大変な名誉であり、一族の繁栄が約束されることでもありました。先に中宮となったのは定子でしたが彼女は若くして亡くなり、その後中宮として権力の中枢に長く座ったのが彰子でした。年齢も定子の方が10歳ほど上だったようです。

 

しかし二人の中宮がいかに気高い女性だったとしても、勿論争いと無縁だった訳ではありません。同じ藤原氏の中で、長兄である道隆の娘定子が中宮であった時、道隆は関白として栄華を極めており、一方その末弟である道長は一族の中では日陰者の存在でした。それを自分の長女彰子がまだ12歳で、当時としても子ども扱いされる年齢で強引に入内(じゅだい:内裏に入れる=妃として)させ、その頃から娘を何とか中宮として、自分は関白となる機会を虎視眈々と狙っていました。そして関白だった長兄道隆が亡くなったのを機に道長が猛烈な政治闘争を仕掛け、中宮定子も早世した後は後世に知られる我が世の春を築いたのですから、二人の中宮が当事者とならざるを得なかったのも当然です。

 

そして清少納言と言えば「枕草子」ですのでこの作品中でも登場しますし、終盤はそのことが主題となります。
定子が内大臣からもらった上質な紙に何を書こうかと清少納言に相談し、「一条天皇は史記を書き写しておられるようだけれど」と話したのに対して清少納言が「それなら枕でしょう」と答えたところ、「ではあなたが書きなさい」と、当時とても貴重だった紙を清少納言に下賜される、という場面がその始まりです。

 

これをきっかけに、清少納言は枕草子の執筆を始めるのですが、この「枕」とはどういう意味かについては今でも諸説あって、定まっていないのだそうです。
有力な説は3つあり、

①定子が「史記」と言ったのに対し、「しき」=「敷布団」「しきたへ(枕の枕詞)」と連想し、「ではこちらは枕でいきましょう」と答えたという説。

②史記(しき)=敷布団・しきたへ⇒枕に、「史記」=「四季」をプラスした合わせ技で「一条天皇が史記を書き写されるなら、こちらは四季を枕にした作品を書きましょう」と言ったという説。

③枕草子が書かれた当時、「枕草子」という言葉は普通名詞として使われていたそうで、「備忘録や日記帳などの書物」「歌枕の解説書」など諸説あるのですが、そのまま「ではこちらは枕草子を書きましょう」と言ったという説。

どれもありそうですが、才女清少納言ならば①とか②をとっさに考え付いて、知的な会話を楽しんでいたような気もします。

 

とはいってもこの作品中での清少納言は、ひたすら中宮定子に尽くし、年下の主人を慕い続ける謙虚な女性として描かれ、才を鼻にかけるようなところはありません。
ただ世の中では清少納言は才気煥発で目立ちたがり(?)な女性で、反対の性格の紫式部からは嫌われていた、というのが定説らしいです。「紫式部日記」には清少納言の悪口も書かれているのだそうですが、冲方丁はそのあたりはサラリと流しています。
紫式部も清少納言もお互いの主人である中宮のことをとても尊敬し、慕っていたようですから、ライバルであるお互いの主人の、侍女同志の反感でもあったんじゃないかと両作品を読んで思いました。

 

 

 

BABYMETALライブ2日目、の前に新横浜ラーメン博物館。

 

横浜アリーナで行われたBABYMETALライブの2日目です。
土日開催で、いつも2日目の日曜日は開演時間が1時間繰り上げられるのですが、これは遠方から参加する人が、翌週の出勤に支障が少ないようにとの配慮なのでしょうね。

 

ということでこの日は開場15時半、開演17時でしたが、前日は入場チェックで大混雑し開演が30分も遅れました。ただ後になって聞いてみれば、前日は一般席の開場は16時半だったのが20分以上遅れて17時前にやっと始まったのだそうで、それなら全てが後ろ倒しですから開演の遅れもやむを得なかったのかも知れません。その1時間(30分?)前に開場時刻が設定されていたVIP席は、人数も少ないですし混乱なく入れたのでしょうが。

 

前日のハイエースでは駐車場までの出入りが大変でしたのでこの日はPOLOで出掛けたのですが、全幅はむしろハイエースより広いかわりに全長が60cm以上短いPOLOなら狭い生活道路の交差点、駐車場の出入り口も楽々でした。
会場には前日と同じく開演の30分前くらいで十分とは思ったのですが、この日は東京マラソンの当日で、都内は混雑も予想されましたから早めに出発しました。結果首都高には全く渋滞もありませんでしたから、14時には着いてしまいましたが、昼食がまだでしたので、久しぶりに新横浜ラーメン博物館に行って見ることにしました。
ラーメン博物館は、まだ子供たちが小さい頃に連れて来たことがあり、新横浜だったことは憶えていたのですが、横浜アリーナからも徒歩数分ということを今回改めて知って、行って見る気になったのです。

 

 

入り口にはほとんど人影もありませんでしたから、よく確認もせず入場してしまったのですが、ラーメン店が並ぶ地下に降りてみると各店とも大変な行列で、ここでの昼食は断念しました。入り口前には現在の待ち時間も表示されていたのに、ちゃんと確認しなかった私のミスです。中では期間限定で復活している一風堂が一番待ち時間は少なかったものの、一風堂は今や首都圏にも何店舗もありますので、入場料450円は1階のラーメン資料館や昔の街並みの見学代と思って諦めました。こむらさきの熊本ラーメンが食べたかったですね。

 

 

まだまだ時間はあったのですが、前日の二の舞でこの日もライブ入場のために行列するかも知れませんでしたから、昼食にまで並ぶ気になれず、新横浜駅までのんびり戻って、COCO壱番屋のシーフードカレーにハーフきのこトッピングを遅い昼食としました。それでも16時半の会場到着予定時刻まではかなり時間がありましたから、近くのカフェでコーヒーを買って駐車場まで戻り、POLOの車内でゆっくりすることにしました。前日もハイエースで時間調整したのですが、快適性はやはりハイエースに分があります。

 

 

予定時刻の16時半に横浜アリーナに着いてみると、同じ開演30分前なのに前日とは様変わりで、入り口には一切渋滞がありません。運営サイドも前日で懲りてよほど気合を入れ直したのでしょう。
すんなり入場できましたので開演までまだ30分もあります。前日は慌ただしく通り過ぎたロビーでタワーレコードのコーナーや、お祝いの花などを眺める余裕もあったのですが、国産ギターメーカーのESPやWOWOWなどに混じって聖飢魔Ⅱからの花もありましたね。

 

 

この日のライブは、セットリストも前日と殆ど被らない内容で構成され、ボーカルの調子も絶好調、とても良かったです。前日と同じ上手側のアリーナ席でしたが、ステージからかなり離れた分、花道でつながれてアリーナ中央に設置されたセンターステージの模様は良く見えました。
この日も、場内で着用義務付け、と事前告知のあった光るリストバンド(運営では神器と呼んでいます。)をもらいましたが、2個あっても今後の使い道はありません。

 

 

BABYMETALはこの後またヨーロッパ・北米各地でのフェス参加が始まるのですが、5月末にはさいたまスーパーアリーナでべビメタ主催のフェスを開催することも発表されました。
野外フェスと違って指定席もありますから、老体にムチ打たなくても良さそうなのは魅力ですが、今年の私の桜旅は、北海道まで行くとすれば5月初旬まで続くかも知れず、この上散財して良いのか考えどころではあります。

 

 

 

 

 

 

BABYMETAL横浜アリーナライブ1日目。

 

3月2、3日両日、横浜アリーナで開催されたBABYMETALのライブに行ってきました。先日Zepp羽田で行われたディレイビューイングに続いてのベビメタイベントで、妻も少々呆れ気味です。

 

いい歳をしたしたジジイが年若いガールズバンドの追っかけみたいなことして、、という気持ちはあるんでしょうし、それも理解はできるのですが、最近では更に「Lovebites」というこれまた女性5人組のヘビメタバンドにも嵌りつつあり、またまた呆れられる状態が加速しそうです。
それにしても、若い時にはヘヴィメタルをウルサイ・むさくるしい・様式美がくどい(ファンの方すみません!超個人的感想です。)、などと感じて全く興味を持たなかった私なのですが、べビメタから逆流して本家(?)のヘヴィメタルバンドもたまには聞くようになっていますから、彼女らがヘビメタの間口を広げたとも言えそうです。(カタカナで略して書くと、べビメタ、ヘビメタがややこしいです。)

 

妻と娘は昨年千葉ジェッツの試合観戦で横浜アリーナに来ていますが、私は横浜アリーナ初体験です。駐車場は、いつも使うタイムズBでは全く空きがなく、軒先パーキングという同様のサービスで事前予約したのですが、考えてみれば私のこのブログにも軒先パーキングのバナーを貼ってありました。ブログ開設当初から貼りっぱなしで、すっかり忘れていました。

 

どうせ待ち時間が長くなると考えて車内でゆっくり時間待ちもできるハイエースで出掛けたのですが、これが大失敗。とても密集した住宅街の細い道の奥にある駐車場で、駐車場に進入するためには交差点や出入口で何度も切り返さなければならなくて大汗をかきました。これに懲りて二日目はPOLOで出動することにしたのですが、やはり全長が短い分かなり楽でした。
その一帯は新幹線で東京から大阪方面へ向かう時、進行方向左手(新横浜駅の南東側)に見える小高い崖を背にした住宅街で、新幹線からはいつも眺めていた景色なのですが、実際そこにクルマを乗り入れてみると、とても狭い一方通行路の連続で難儀しました。

 

ようやくのことでハイエースを駐車場に停め、車内で時間までのんびりしていると、窓のすぐ横では、車内に居る私に気付いていない野鳥が、やはりのんびり毛を膨らませて日なたぼっこしていました。Googleレンズで調べてみると、この鳥は「ひよどり」らしく、至近距離なのですが濃いスモークを貼ったハイエースの車内は全く見えませんから気を許していたみたいです。スモークを貼っていない運転席側の窓越しに撮影しても気付いていませんでしたから、よっぽど気持ちいい日向ぼっこだったんでしょうね。

 

 

初日は18時開演で16時半開場でしたが、どうせ混雑しているでしょうし、指定席でもありましたから17時半頃のんびり会場に向かうと、この時点でもまだ下の写真のような大混雑です。あきらめて列の最後尾に並びましたが、入場チェックが全くスムーズでなく、開演時間を過ぎても入れない観客の雰囲気は段々殺伐としてきました。
結局18時20分頃席に着き、それから5分もすれば場内が暗転し開演体制となりましたから、私は本当に最後の入場に近かったようです。

 



始まってしまえばあっという間の1時間半で、ライブ自体にはとても満足、私は舞台上手脇のアリーナ席だったのですが、音響は去年1月の幕張メッセと比べれば段違いに良かったですし、座席前後の間隔もゆったりしていて満足でした。
本当はここから2日目とまとめを書く積りだったのですが、かなり長くなりましたので前後編に分けることにします。

 

 

 

冲方丁「月と日の后」を読みました。

 

冲方丁の作品つながりで読み始めた「月と日の妃」は、全く予備知識もなかったのですが、偶然現在NHKの大河ドラマ「光る君へ」の主人公紫式部も登場する、藤原氏の栄華・権謀術数を描いた小説でした。
「光る君へ」には全く興味がなかったのですが、この小説を読んだおかげで、これからでも追っかけで見てみようかという気になってきました。
NHKプラスで2週間は見逃し再生ができるのですが、既に2カ月9話まで進んでいますから、NHKオンデマンドで有料視聴するしかないのでしょうか。

 

 

 

また時代背景も、この前に読んだ周防柳の「逢坂の六人」と同じ平安朝で、主人公だった紀貫之の少し後、紫式部や清少納言の時代ということで、すんなり読み進めることが出来ました。
主人公は一条天皇の皇后、藤原彰子(ふじわらのあきこ)で、「この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることも なしと思へば」という望月の歌で有名な藤原道長の長女です。
現代の女性の名前は通常訓読みですから、「ふじわらのあきこ」の方が自然なのですが、本作では「ふじわらのしょうし」、他の女性も同様に全て音読みで統一していましたのでそれには少し違和感がありました。

 

そして紫式部は彰子皇后の女房として登場します。一条天皇の皇后彰子と言っても知る人は少ないでしょう(私もそうでした。)が、かたや紫式部の名声は圧倒的で、「光る君」でも主役は紫式部です。ただこの小説では、紫式部は皇后を支える渋いわき役として描かれているのが新鮮でした。

天皇の后となるために後宮に入り、天皇の愛を受けて天皇候補になる男子を生むことができるかどうかによって、その女性の実家の男たちの運命が決まるという時代で、上級貴族の家に生まれながら(生まれたからこそ)、殆ど道具として扱われる女性たちの悲哀と権力への執着が描かれます。
彰子の場合は更に状況が複雑で、嫁いだ時、一条天皇は20歳位で、既に定子(ていし)という最愛の妃がおり、そして彰子は当時まだ12歳の子供。しかも、定子の父親は藤原道隆で、彰子の父親はその弟藤原道長ですから、娘たちは兄弟同士の権力闘争の犠牲者でもあったのです。

 

藤原氏といえば望月の歌の通り、摂関政治の中心にあって栄華を独占したという印象が強いですが、一族内の権力闘争もすさまじく、その闇、怨念、陰謀が渦巻く宮廷は決して雅な貴族の住処としては描かれていません。
幼すぎて父に利用されるだけだった内気な少女が、いかにして「国母」として信頼され、長く慕われる存在となったのかを丁寧に描いていて、日頃馴染みのない単語がポンポン出て来るのですが、さほど苦にせず読み進むことができました。

 

この次には、同じ冲方丁の「はなとゆめ」という小説が控えています。
この本は以前から知っていたのですが、娘が子供の頃読んでいた「花とゆめ」という少女漫画雑誌の印象がとても強くて、その手の小説なんだろうと勝手に思ってこれまで敬遠していました。
ところが今回「月と日の妃」を読んで、「はなとゆめ」は彰子のライバルでもあった定子の女房、清少納言が主人公だと知り、早速購入することにしたのです。
「逢坂の六人」から3作続いて平安時代の宮中を描く小説を読むことになります。

 

 

 

 

東京国立博物館で「建立900年 特別展『中尊寺金色堂』」を観てきました。

 

上野の東京国立博物館で開催中の、「建立900年 特別展『中尊寺金色堂』」を観てきました。

 

昨年夏、桜旅用に購入したハイエースの足慣らしで東北一周した時、中尊寺にも立ち寄り金色堂は見て来たのですが、屋内にあって更にガラスで囲われた金色堂は正直間近で見たという感動には遠かったのです。
その時は旅も最終盤で翌日には帰宅するという時点でしたし、とても暑い中広大な中尊寺の境内を歩き回って疲れていたのも理由だったのですが、そんな中、ラジオでこの特別展のことを知り、妻を誘って出かけることにしたのです。

 

風は強かったですがとても良い天気で、上野公園を歩いているととても気持ちが良かったです。ただそのせいもあってか沢山の人が訪れていて、国立博物館でもチケット売り場には長蛇の列ができていました。私たちは妻が前日に入場券をネット購入してくれていましたので、列に並ぶことも無くスムーズに入場できたのですが、特別展の入り口にも更に行列ができていて、入り口前で5~10分程待つことになりました。

 

 

入場してみると中は大変な混雑で、入り口の行列はこれ以上混み合わないようにするための入場制限だったみたいです。平日の午前中とあって熟年の方が大半でしたが、皆さんとても熱心に見て回っていました。
今回の展示は、タイトル通り中尊寺金色堂の建立900年を記念して、東京国立博物館の特別展として開催されているもので、金色堂の堂内中央に安置されている国宝の仏像11体が一堂に揃い、黄金に輝く金色堂の縮小模型も用意され、その他CGでも原寸大の金色堂が再現されていました。結構臨場感・迫力ありましたね。

 

 

今回私がこの特別展の事を知ったのはFM東京のブルーオーシャンという番組でだったのですが、そこでパーソナリティのフリーアナ住吉美紀さんが、360度ぐるりと回って仏像を眺める機会はそうないので、是非背後からもじっくり眺めて下さいと言っていたのを思い出し、やってみることにしました。確かに通常見ることができない仏像の後ろ姿は新鮮でしたが、あまりの人の多さにじっくり眺めるという訳にはいきませんでした。国宝級の仏像等は全て撮影禁止でしたし、一通り見物した後は常設展の方に回ることにしました。

 

館内には外国人の姿も多く、真剣な面持ちで展示に見入っていましたが、我々がルーブルや大英博物館に行くようなものなんでしょうね。もっとも私はヨーロッパにすら行ったことがないのでどちらも未経験なのですが、、。

 

 

 

中尊寺金色堂の特別展は本館で開催されていたのですが、同時に平成館という別棟でも本阿弥光悦の特別展が開催されていて、こちらにもかなりの人が流れていっていました。私たちは本館で特別展、常設展と見て回った後は、やはり混雑していそうなそちらは敬遠して、法隆寺宝物館のほうに回ったのですが、こちらは予想通り本館、平成館とは違ってとても閑静で、咳一つしても館内に響き渡るような雰囲気でした。拝観の最後をとても落ち着いて締めくくることができたのは良かったです。

 

10時半に入館して観終わったのが13時頃でしたので、近くで昼食をとって帰る事にしました。行ったのは上野駅のすぐ前にある東京文化会館の2階にある、フォレスティーユ精養軒という店です。以前やはり国立博物館帰りに寄ったのですが、精養軒のカジュアル版なんですかね。ここはクラシックやオペラ、バレエの公演に使われる本格的なホールですのでそれなりの雰囲気の人も多く、前回はバレエの衣装を着た可愛らしいお嬢さんの姿もありました。

 

 

 

 














 

 

 

確定申告が何とか終了しました。

 

今年も2月16日から確定申告の受け付けが始まっていたのですが、必要な書類やデータがほぼ入手できて、申告準備が始められるようになった年明け以降も殆ど放置状態となっていました。
勿論いつも気にはなっていて、頭の片隅では「そろそろやらなくちゃ、、」と思ってはいたのですが、最初の頃の申告作業そのものへの興味・楽しさが徐々に薄れ、更に今年はインボイス制度が始まって、何だかめんどくさそうだったのと、どうせ差額徴収されるんだろうという思いが相まって中々やる気にならないというのが実情でした。

 

しかしそうはいっても、申告さえすれば過払い所得税の還付を受けられるのはまず間違いありませんから、このまま放置する訳には行かず、重い腰を上げてまず昨年の帳簿の締切り及び決算処理に取り掛かったのが2月の初め、何とか確定申告用の数値を取りまとめたのが2月の10日過ぎでした。
それですぐ申告にかかれば16日の受け付け開始にも十分間に合ったはずなのですが、そこで力尽きてまたしばらく放置状態となり、先週の3連休で何とか気力を奮い立たせて、2日前にやっと所得税と消費税の申告を終えました。

 

心配していた消費税の徴収額は思った程ではなく、それは一安心でしたが、これについてはやはり釈然としない思いが強いです。
昨年のインボイス制度導入時、それまで免税事業者であった零細個人事業主の私は、今回も当然非課税事業者で良いと思っていたのですが、取引先から登録事業者とならないのなら消費税分を差し引くと通告され、結果的に登録せざるを得ませんでした。国税庁のホームページには、「インボイス制度を盾にして仕事の受注を減らす行為は、独占禁止法に抵触する場合があります。インボイス制度を理由に不当な交渉を持ちかけられたら、公正取引委員会の各事務所への相談を検討してみてください。」とあるのですが、国税庁の窓口で頼りになる返答は得られませんでした。公取に訴え出て、取引先と正面切って争うだけの気力もありませんでしたから結局登録事業者となったのですが、私のような弱い立場の個人事業主は多かったんじゃないかなと思います。

 

私が確定申告をやり始めたのは2015年分からなのですが、当時は給与生活者でしたから当然会社が年末調整はやってくれていて、ひとまず過払い所得税の還付も受けていたのですが、その頃家族4人分の医療費がかなりの額となっていましたので、医療費控除を受けるのが目的でした。当時既に国税庁のホームページで確定申告用のフォーマットはダウンロードできましたが、その先はまだ全くアナログで、手書きで数値を記入し医療費の領収書(レセプト)を添付して、最寄りの税務署の特設申告窓口に出向く必要がありました。申告期間中の税務署は長蛇の列で、遅々として進まない行列に並んで、イライラしながら申告していたのを思い出します。
それから今年で9回目の確定申告ですが、その後ダウンロードして作成した書類を郵送でも受け付けてもらえることになり、手書きではなく入力する方式となり、医療費のレセプトは添付不要となり、そしてついにはe-TAXが導入されて完全オンラインで申告は終了するようになりました。
この10年弱でかなりIT化が進んだのは実感しますが、あとはマイナンバー制度を活用して、個人の医療データや保険・年金の加入状況を一元管理、提供してくれるようになればもっと便利になります。まあその頃私は完全年金生活者となり、申告の必要もなくなっているのでしょうが、、。

 

 

 

 

 

 

周防柳著「逢坂の六人」を読みました。

 

周防柳という女流作家の「逢坂の六人」という小説を読みました。昨年の今頃から積読状態となっていたのですが、ようやく読破しました。
最近私は積読とはいってもKindle内に保存しているものが殆どで、実際に積み上げているのは少ないのですが、この作品はその数少ない中の1冊です。周防柳さんの作品はKindle化されていないものが多く、以前読んだ「高天原」という作品もそうでした。

 

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「逢坂の六人」の「逢坂」とは、今の滋賀県大津市逢坂で、「逢坂の関」として有名な山城国と近江国の国境の関所があったところです。
このあたりの歴史や地理に疎い私でも「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」という和歌は憶えていて、それで逢坂という地名も頭に残っています。風情のある地名ですよね。
ちなみにこれは百人一首に収められた蝉丸という人の歌で、恋の歌が多い百人一首にあっては異色の一首なのだそうです。

 

そして「逢坂の六人」の「六人」とは「六歌仙」のことで、「古今和歌集」の序文に記された六人の代表的な歌人を後世になって名付けたものであり、「僧正遍昭」「在原業平」「文屋康秀」「喜撰法師」「小野小町」「大伴黒主」の六人です。
この六人の内、喜撰法師は詳しい伝記などは不明ですが、古今和歌集の編者である「紀貫之」の変名という説もあるのだそうで、この本でもその説を採っています。「わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり」という百人一首の歌は私も憶えていますが、ここでは紀貫之が古今和歌集を編纂した宇治の庵で詠んだ歌という設定となっています。

 

古今和歌集の編者である紀貫之の目から見た、自身と他の五人を合わせた六歌仙にまつわる話が、当時の平安京、そしてその頃の感覚では都から遠く離れた辺境である逢坂周辺で起きる出来事を史実を交えて抒情たっぷりに描かれます
当初買ってはみたものの和歌などにさほど興味がないこともあって積読状態だったものが、読み始めるとたちまち引き込まれて2日ほどで読了しました。

 

作者の周防柳さんはまだ若くこれからもどんどん良い作品を書いて欲しいと思いますが、現代小説はとてもシリアスなテーマのものが多く、これまでちょっと手を出せずにいます。彼女の作品の中でこれまで好んで読んできた時代小説には、「身もこがれつつ-小倉山の百人一首」という、藤原定家を主人公とした作品があって、これは古今和歌集の紀貫之を主人公にした本作の姉妹編のような気もして、とても気になっているのですが、最近作という事もあってまだ文庫化されていないんです。ケチ臭いと言われるのですが、これは若い時からの習慣でもあり、実際文庫化される前の単行本で買ったのは、本当に文庫化を待ちきれなかった数作品しかありません。
またKindleで本を読むようになると、単行本と文庫本は装丁の豪華さや大きさといった差が全く無くなって、違いは発行時期だけですから、尚更単行本を買う気が起きなくなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逢坂の六人とは

南房鋸南町の佐久間ダム湖親水公園で頼朝桜鑑賞

 

空模様は怪しかったのですが、南房総の鋸南町で河津桜が見頃となっているとの事で、妻と出かけることにしました。
前回白子海岸に出かけた時も雨模様でしたが、ハイエースの車内で結構くつろげましたので、この日もハイエースで出動です。


鋸南町は、伊豆での戦いに敗れた源頼朝が真鶴から船出して上陸した地で、頼朝はここで再起して鎌倉入りを果たしました。その縁もあって2001年に河津町から「河津桜」の原木を譲り受けて植栽が始まり、現在では町内の各所に19,000本が植えられているのですが、こんな経緯から、鋸南町ではその河津桜を「頼朝桜」と名付け、毎年「頼朝桜まつり」というイベントが開催され、今年も2月10日から始まっています。

 

町内では、保田川沿いの600本、佐久間ダム湖親水公園の400本、佐久間川沿いの400本あたりが見どころのようですが、佐久間ダム湖親水公園は水仙も有名であり、タイミングが合えば両方の花を楽しめますし、回遊型の公園ですから花見には好都合です。
この日の目的地はここなのですが、年始早々水仙見物に来た時、既に水仙は開花していましたので、まだ花が残っているのかは心配でした。

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この日の足はハイエースでしたから運転手は私、成田空港の真ん中を抜けて芝山はにわ道という成田から九十九里浜へつながる道を進み、圏央道の松尾横芝ICから高速に乗りました。我が家から鋸南町に向かうにはかなり遠回りのルートですが、私が房総半島南部に向かう時には、市川・船橋・千葉市周辺の混雑を嫌ってこういった迂回路を使うことが多いです。

 

2時間半ほどで到着した佐久間ダム湖親水公園は、平日で空模様も怪しかったのですが結構な人出で、駐車場の空きを見つけるのにダム湖を半周程もする必要がありました。
水仙も盛りは過ぎていましたがまだ咲き残っていて、頼朝桜、梅、水仙のそろい踏みでした。クルマを停めて散策している時に雨に降られましたが、時折は日も差し込むお天気雨で、雨粒が日光にキラキラ反射してきれいでした。写真ではうまくとらえられませんでしたが、、。

 

雨粒が見えますかね?

当初の計画では昼ご飯は鴨川まで行ってカネシチ水産で魚、と考えていたのですが、のんびりしすぎて13時近くになってしまいましたので、近くの道の駅保田小学校に行くことにしました。



道の駅にある里山食堂で、私は「房総アジフライ給食」妻は「保田小定食」を選びました。小学校で使っていた机・椅子、給食用の食器で懐かしかったですが、味は本格的でとても美味しかったです。妻のハムカツの上に乗っている黒いのは鯨の竜田揚げで、当時私の大好物でした。一口分けてもらいましたが、これも当時と比べると実は格段に美味しくなっているんでしょうね。

 

最後に佐久間ダム湖親水公園への入り口にあるトイレの写真を一枚。ここは水仙の名所でもありますので、トイレも水洗じゃなく水仙です。

 

 

 

 

Zepp羽田でBABYMETALのディレイビューイング

羽田空港の近くに、京急空港線と東京モノレールが交差する天空橋駅がありますが、そこに隣接して最近建設された大型複合商業施設「HANEDA INNOVATION CITY」にある「Zepp Haneda」というライブ会場で、昨年8月にベビーメタルがここでやったライブのディレイビューイングがありましたので、行って来ました。

 

天空橋とはいかにも空港にゆかりのありそうな地名ですが、実際に駅近くを流れる海老取川に新しく架けられた人道橋が、地元からの公募で羽田空港をイメージした「天空橋」と決まり、それで駅名もそうなったのだそうです。
寒い中ウロウロするのも嫌ですからハイエースで出掛けることにしました。混んでいるようなら車内で寛ぐこともできますから。金曜日でしたから広い駐車場には十分余裕があり、駐車場に停めた車内で時間までのんびり待つことができました。
離着陸する航空機を間近から見られるスポットとしても知られているようで、確かに間近を離陸して行く航空機は迫力ありました。足湯につかりながら航空機見物できるスポットもあるようです。もっと明かるければここは絶好の撮影スポットなんでしょうね。

 

 

ディレイビューイングとは、文字通り演劇やライブなどの公演を録画しておいたものを後から映画館などで上映する催しのことですが、実際にライブをやった会場でディレイビューイングというのは珍しいのかも知れません。
昨年8月ここで行われた実際のライブにも応募したのですが、残念ながら全滅でした。最近のベビーメタルは国内では1万人以上の箱でしかやりませんので、定員3,000名弱のZepp羽田にはぜひ行きたかったのですが、定員が少ない分競争率も高かったようです。

 

18時半開演でしたから、施設内のフードコートで腹ごしらえしてから入場することにしました。店内のお客さんは大方がベビーメタルの観客のようで、私もそそくさと味噌カツ丼を腹に納めて入場しました。
今回私は2回の指定席だったのですが、それでも幕張メッセやピアアリーナなどと比べると段違いの近さでした。やはりこの距離で現物を見たかったですね。

 


「爆音特別上映」と謳っていただけあって、大音量と重低音の迫力はかなりのものでした。さすが実際のライブで使う会場だけあって市中の映画館での視聴とはレベルが違い、バスドラが身体を叩いてくる感じでした。
入場の際にドリンクを購入し、記念品を貰いました。もらったZeppのキーホルダーはお洒落ではあるのですが、「Z」の角が鋭角すぎて、穴の小さな鍵は通りません。ハイエースのキーをつけようとしたのですが、リングを介してつながないと無理のようです。
次は3月初めの横浜アリーナでのライブがありますし、それが終わればいよいよ桜旅に出発となりそうで、春間近という雰囲気になって来ました。

 

 

 

 

冲方丁著「麒麟児」を読みました。

 

冲方丁の「麒麟児」を読みました。最近読書量が極端に減っていて、積読状態のものが20冊近くになっているのですが、物理的な積読ではなくKindleでの保存ですから日頃目に留まることも無く、積読している意識が無いのが災いしていますね。

 

冲方丁(うぶかたとう)の著作はほぼ1年前、新型コロナ感染から復活して最初に読んだ、「戦の国」以来でした。その時の下のブログを読み返してみると、この時すでにこの「麒麟児」は積読状態となっていたようで、活字離れも甚だしいですね。

 

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その時にも書いたとおり、冲方丁はSF・ファンタジー作家として世に出たのですが、かなり若向きという印象で、ちょっと手にする気にはなれないでいました。私が彼の読者となったのは最初の時代小説「天地明察」からで、この作品は元V6の岡田准一主演で映画化されましたからご存じの方も多いと思います。幕府の命により、天体の運行を観察して日本独自の正しい暦を作り出そうと奮闘した元棋士の話です。

 

今回の「麒麟児」も時代小説ですが、舞台はぐっと近代に近付いた幕末から明治維新で、勝海舟と西郷隆盛が2人の英傑(=麒麟児)として描かれています。維新の英傑・英雄と言えば、やはり討幕側の西郷隆盛や坂本龍馬が思い浮かびますし、幕府側でそれに対峙した勝海舟の事を維新の英雄として意識したことはなく、咸臨丸で遣米使節団として太平洋を渡った幕臣、程度の認識でした。

 

この小説は、幕府軍が鳥羽伏見の戦いで朝敵となり、官軍が江戸まで迫ってきた1868年3月13日、14日に、幕府の陸軍総裁・勝海舟が直接官軍参謀の西郷隆盛を訪ね、江戸開城に向けての最終交渉を行った結果、すでに江戸城総攻撃に向けた包囲網がほぼ完成していたにも関わらず直前で戦闘は回避され、江戸が戦禍から救われることになった、いわゆる「江戸無血開城」の史実をもとに描かれています。
ここでは勝海舟の肩書が陸軍総裁とされていて、海軍じゃないのかと思ったのですが、確かに彼は江戸幕府幕府陸軍最後の陸軍総裁なんだそうです。

 

そういえば以前芝浦方面で勤務していた時、田町駅の改札から三田側の1階へと降りるエスカレーターのところに「西郷南洲・勝海舟 会見の図」という壁画があったのを思い出しました。田町駅から地下鉄・三田駅のあたりにかけて江戸時代に薩摩藩蔵屋敷があり、ここが江戸城無血開城に向けて西郷隆盛と勝海舟が会見を行った場所だったんですね。田町駅の隣の三菱自動車工業本社前には「江戸開城西郷南州・勝海舟会見之地」の碑もありました。もう20年以上も前の話ですが、今も残っているんでしょうか?

 

この「麒麟児」読了で少し読書熱が戻って来て、同じく昨年から積読状態(こちらはリアルな積読です。)となっていた、周防柳「逢坂の六人」も読み終えました。こちらは古今和歌集を編纂した紀貫之が主人公で、とても面白かったのでまたブログ化できるか考えてみます。

 

 

 

 

 

久しぶりに近所を散歩

 

三連休の最終日、混む連休に出掛ける事はあまりしない我が家ですので、ずっと家でのんびりしていたのですが、天気も良かったので午後から妻と近所で散歩でもしようかということになりました。我が家は、とは言っても、若い娘は3連休フルに使って元気に旅行中でした。
日頃運動不足なので散歩位はやらなくちゃと思いながらも中々実行はできておらず、散歩目的で出掛けたのは多分昨年秋以来です。

 

この日散歩の出発点とした近くの公園では、マルシェも開かれていて、家族連れが大勢ボール遊びなどに興じていました。この公園には、我が家でも子供たちがまだ小さい頃、やはりボール遊びやバトミントンをしに来たのですが、当時この公園はまだできたばかりで樹木も育っておらず、暑い日には日差しを遮ってくれるものが無くて閉口したものでした。
それから20年程経過した今は木々も大きくなり、子供たちを遊ばせるには格好の公園になっています。

 

 

まずは公園を一巡りして、マルシェに出店していたキッチンカーでオーガニックコーヒーを飲んでから近隣の散歩に出掛ける事にしました。軽ワゴンをDIYしたと思しきキッチンカーで、脱サラ風の中年男性がドリップコーヒーを注文の度に一杯ずつ豆から挽いて入れてくれます。私は「コンゴ ローランドゴリラ」というものを頼んだのですが、豆としてはコンゴ産のもので、ローランドゴリラとは、この豆の収益金のいくらかがコンゴのローランドゴリラ保護のために使われるという仕組みを表しているのだそうです。「タンザニア チンパンジー」などもあり、コーヒーを飲んで絶滅危惧種保護の応援ができるのは素晴らしいですね。

 

一休みしたらこの公園周辺の畑や点在する民家を縫う小道の散歩に出発です。北総のこの辺りは梨の名産地で多くの梨畑があるのですが、夏の収穫に向けて既に畑仕事に精を出す農家の方の姿がありました。一方でこの周辺は駅周辺から徐々に宅地化の波が拡がってきており、この間までの梨畑や雑木林が幾つも更地になって来ています。空家住宅が社会問題化していて、この周辺でも沢山の空家があるのに、こんなに新築住宅を建ててどうするのだろうと思うのですが、新築信仰が強い日本ではやむを得ないのでしょうか?

 

周辺では梅の木が花を咲かせていて、歩いていて梅の香りがただよって来るといい気分になります。以前にも散歩で立ち寄ったことのある寺院の庭でも梅がきれいに咲いていて、泉水では丸々と太った錦鯉が悠々と泳いでいました。
このお寺の門前には寺院には似つかわしくない鬼か悪魔のような像が置かれているのですが、それまで色々な所でこの像を見た覚えはあったものの、何なのか全く知りませんでしたから、以前来た時にその由来を調べてみました。そしてこれが「元三大師(がんざんだいし)」という高僧であること、僧侶とは思えないこの姿は、平安の昔この方が自ら鬼の姿となり、疫病神を退散したときの姿を写し取ったもので、「角大師(つのだいし)」などと呼ばれている事を知りました。この姿を刷った「お札(おふだ)」は、魔除けとして知られ、特に江戸時代以降、日本中の家々の入口に貼られてきたのだそうです。

 

 

公園を歩き始めてから2時間程、のんびり寄り道しながら約8,000歩のぶらり散歩でしたが年寄りには十分でしょう。これから陽気も良くなってきますから、桜旅に出る前に1~2度は散歩に出て、桜見物の足慣らしをしておきたいですね。

 

 

 

 

 

マンション理事会に届く苦情:騒音問題

 

新築で入居してから30年目となる自宅マンションでの、住民理事会の役員が任期2年目を迎えています。
入居後すぐに、新築の時の方がクレームも少ないので早めに理事をやっておいた方がいいですよと販売会社の係の人に勧められて、どうせ輪番で順番が来るのならそれもそうだと思って受けたのですが、その後巡り合わせが良かったのか29年目の昨年まで順番は回って来ませんでした。

 

約30年ぶりに理事になってみると、確かに新築当時とは様変わりで、様々な故障や不備、そしてそれに伴うクレームなどが、頻発とまではいかないものの日々起こっています。ただ大方のマンションでは、管理組合の理事は輪番制で生業をこなしながらのボランティアだと思いますし、我がマンションも同様ですから、管理実務は契約しているマンション管理会社にお任せで、月1回か隔月1回の理事会で管理会社からの報告を聞き、提案事項についてもほぼその提案通り追認する、という事が殆どです。

 

上に書いたクレーム案件も、理事会に直接届くことは殆ど無く、駐在の管理員さんが受けてくれて、その後管理会社が対応した結果を報告されますから、その点では大変なことはありませんが、設備関係以外で集合住宅ならではの苦情として件数が多いのはやはり騒音問題です。全戸ほぼ同じ大きさで3LDK以上の完全なファミリー型マンションですから、若者が深夜騒いで、ということはないのですが、人によって音に対する許容範囲は大きく違うようで、私からすればその程度で?と思うようなクレームも多いです。最近のマンションは防音・遮音性能が向上していると思いますが、30年前の我がマンションはそこまでの対策はされていませんし、やはり音に対して繊細な人は集合住宅は向かないですね。

 

このマンションはここが最初の住宅購入だった若い夫婦が多かったので、我が家と年齢が近い小さな子供が沢山いました。おかげで長屋的なコミュニティがすぐに出来上がり、子供たちの成長にはとても良い環境だったのですが、元気な子供たちが室内で走り回る足音はやはりかなりのものでした。私は自分ではそんなに神経質ではないと思っていたのですが、我が家の上階は男の子ふたりでしたから特に活発で、何度かはもう苦情を言って行こうかなと思うこともありました。ただそれはお互いさまで、我が家の下階も私と同じように我が家の騒音を我慢してくれていたらしく、ある時子供同士の遊びの中で、下階の男の子からウチの息子が「お前んちウルサイ!!」と言われているのをたまたま耳にして、我慢しているのはウチだけじゃないんだという事を痛感しました。正義面して苦情を言って行かなくて良かったです。

 

現在でも年に数件レベルで苦情は発生しますが、入居当時の子供たちももうとっくに成人して、今では独立した家庭も多いですから、騒音自体少なくなっているようです。その他では原則禁止となっているペット飼育の問題、ゴミ出し、自転車の整理整頓とか細々した苦情はありますが、住民の皆さんのモラルが比較的高いのか大きな揉め事はないので助かっています。
任期は2年で、今年の夏に住民総会を終えるまでが任務ですから、それまでは大きな問題が発生しない事を祈っています。

 

 

 

 

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